記憶喪失
千夜の寝ている部屋に入れば、沖田と土方の姿。中村の肩に腕を回していた山崎は、2人の前に膝をつき、頭を下げた。
「————すんませんでした。俺の所為で、ちぃは…」
まだ、目が覚めたばかりの山崎が頭を下げる。土方は、優しく声をかけた。
「お前の所為じゃねぇよ。無理に仕事を詰め込んじまった、俺の責任だ。」
「土方さん…」
「まだ体調悪いんだろ?」
「すんません。」
そう、謝った山崎。
「千夜?山崎君、目が覚めたって。次は、君が目を覚まさないとね?」
千夜に話しかけ、悲しそうな笑みを見せる沖田。
握りしめた指が、ピクッと小さく動いた。
「……え?千夜?」
「どうした?総司。」
「今。————千夜の指が動いた…」
その言葉で、土方も山崎も中村も千夜の近くに駆け寄る。
「ちぃ?」
「千夜さん?」
「ちぃ…」
「……千夜…」
祈る様に、声をかけた。
薄っすらと目を開けた千夜。その瞬間、男達は、喜びの表情を見せた。
だが…
「……あの、あなたたちは————誰?」
その言葉に、皆、表情を強張らせた。
「————ち、ちぃ?なんの冗談や?」
山崎でさえ、動揺を隠しきれない。
「……そんな、千夜さん?俺、わかります?」
起き上がった千夜は、皆の顔をグルリとみわたし、首を横に振った。
「……どういう事?」
「ちぃ、俺はわからねぇのか?」
「ごめんなさい。」
「……千夜さんは…外傷性健忘です。」
中村の声に、クッと唇を噛み締めた山崎。
「ようするに、記憶喪失や。」
「……記憶喪失?」
唖然とする。
「そ…それは、治らねえのか?」
「未来なら、頭の中を見る機械がある。けど、此処には、そんなもんない。自然に治るのを待つしか、ない。」
キョロキョロと、周りを見渡す千夜。彼女は、誰一人として、覚えてはいなかった。
出会った頃と、逆になってしまった光景 。
不安なのは、千夜。沖田は、無理矢理、笑顔を作る。
「君の名前は、千夜。」
「千夜?貴方は?」
「僕の名前は、————沖田総司。」
「総ちゃん?」
「…………。そう。君は、初めて会った時も
僕をそう呼んだ。」
漢字は違うけど、彼女と初めて会った時、『宗ちゃん。』そう、呼んだ。
「……総司。」
辛くないはずがない。ずっと、想っていた千夜と、夫婦になって、子供ができて幸せの中に居たのに、記憶を無くした彼女。
悲しそうな笑みを見せる沖田に、皆は、悲痛な面持ちで、彼を見た。
その後、皆が自己紹介をした。
「なんで、俺だけ、烝。なん?」
「……ダメ、ですか?」
なぜ敬語?調子狂うんやけど……?
控えめな千夜に山崎は、言葉を返せなかった。
その後、別室に幹部を集め、千夜が記憶喪失だと伝えた。
「嘘だろ?ちぃが、記憶喪失だなんて…」
「治す方法はっ!」
永倉が声を出すが、山崎が首を振った。
「自分の事も、わかっとらへんみたいや。」
と、重い空気の中険しい顔をする男達。
「……やめましょうよ。」
「総司?」
「千夜は、生きてるんです。そんな悲しそうな顔するの、やめましょうよ。」
壁に寄りかかり、少し疲れた表情の沖田。
彼が一番辛いのは、皆わかっていた。
「……そ、そうだな!ちぃは生きてたんだ。悲しむのは違うよなっ!」
その場の空気をなんとかしたくて、藤堂が口を開く。
~~
隣の部屋から聞こえてきた歌声。ゆっくりで
どこか、悲しい曲
「千夜が、歌ってる…」
「……総司、ここはもういい。ちぃの側に居てやれ。」
「はい。」
沖田は隣の部屋へと早足で向かった。
部屋に入れば、夜空を見上げながら歌を口ずさむ千夜の姿。沖田はまた、無意識に笑顔を作り彼女の横に腰を下ろした。
「……いい、曲だね。なんて曲?」
「あぁ、総ちゃん。わからないの。」
わからない……。ただ、口ずさんでみた曲
「……そっか。」
沖田も夜空を見上げて見れば、いつもとなにも変わらない夜空が広がっていた————。
「綺麗だね。空…」
「うん。」
「私、何も覚えてないけどね、一つだけわかった事があるの。」
「…え?何を?」
沖田は、自分だけ覚えてくれてるんじゃないか?と、淡い期待が芽生える。
「あなた達が居る、この場所が私の居場所だって……。」
考えてる事とは全く違う答えに、沖田は、表情を曇らせた。
記憶がなくてもいい。そんなのは、本心ではない。辛いのは彼女なのに、自分のことを覚えててくれたら…。そう、思ってしまう。
「君の居場所は、此処だよ。」
悲しそうに微笑む目の前の彼。それを見て、チクリと胸が痛んだ……。
どうして、そんな悲しそうに笑うの?……どうして?
気づけば、手が勝手に彼の頬へと伸びていた。
驚いた彼の顔を見て
「……あっ…ごめんなさい。」
そっと手を引っ込めようとしたら、ガシッと掴まれた腕。そのまま、また彼の頬に戻され、戸惑う。
「……あの…総ちゃん?」
「なぁに?ちぃちゃん。」
ちぃちゃん……
ドクンッと、胸が高鳴った。頬に触れたままの手。
ちぃちゃん。そう呼ばれて、高鳴った胸。
「ごめん。寝よっか?」
そして、彼はまた、悲しそうに笑いながら私から離れた。
なんで?そんなに悲しそうに笑うの?
さっき、一瞬、彼は、笑った。すごく綺麗な笑顔だった。
沖田の布団を敷き、もう寝ようとした頃、スパンッと部屋に入ってきた男。
「椿っ!」
「…へ?」
振り向いた瞬間に抱きしめられた千夜には、なにが起こっているのかわからない。
「慶喜公、千夜が驚いてます。」
部屋に入ってきたのは慶喜。
仕事の為、外出していたが、宿に帰ってくるなり千夜の意識が戻ったと聞き慌てて部屋にやってきたらしい。
抱きしめられた温もり。何処かで感じた事がある?だけど、思い出せない————。
なにも、思い出せない。
大切なモノ、全て失ってしまった気がする。
ズルッと、千夜の体から力が抜ける。抱きしめた慶喜が異変に気づく。
「椿!椿っ! ?」
「千夜?」
千夜は、慶喜の腕の中で、眠りについた。
「眠った?」
「驚かせないでくれ」
その後、慶喜に、千夜が記憶喪失だと伝え、その日は、皆、眠りについたのだった。
翌日、千夜に皆の紹介をする事になった。
覚えていないのだから仕方ないのだが、皆が怖いのか、沖田の服の袖を掴み背に隠れようとする千夜。
「…そんな怖がる必要ねぇよ。」
そう言った、土方の声にビクッと反応する始末だ。
「本当に千夜か?」
確認したくなるほどの変わりよう
「ごめんなさい。」
「い、いや。すまねぇ。」
その後、皆、自己紹介をした。
自己紹介の後、3日後には、東京に帰ると皆に知らされた。
厠に行き、部屋に戻ろうと、千夜は、宿の中を歩く。
「でも、総司の奴大丈夫かな?」
「あぁ?何がだ?」
どうやら藤堂と永倉、原田が話をしているみたいで声をかけようとしたが、二人の言葉に身体が硬直した。
「ガキだよ。」
「あぁ、総司の双子の子供たちか…」
その声に、咄嗟に隠れてしまう千夜。
総ちゃん、子供が居たんだ。って事は、祝言あげたって事だよね?
何故だか痛む胸を押さえ、千夜は、宿屋を飛び出した。
何故、胸が痛むのか。何故、沖田が気になるのか、わからない。
彼の笑った顔が他の誰かのモノだと、そう、思い込んでしまった。
まだ日も高い刻限、見知らぬ場所をただ、訳もわからず走った千夜。
偶然にも着いた場所は、河原だった。
「川…?」
水面が日の光に照らされ、キラキラ光る。ゆらゆら流れる川に手をつけてみる。
「冷たい。」
なんで、飛び出したのか、自分にもわからない。戻ろうと、立ち上がって辺りを見渡すが、現在地がわからない。
宿の場所さえ、記憶のない千夜には、わかる筈なく、河原に座り込んだ。
*
「すいません。千夜見ませんでした?」
千夜の姿が見えなくなって、しばらく時間が経った。沖田は、店の人に千夜の居場所を尋ねてみる。
「あー。あの、髪の短い女の子なら、さっき、外に出ていかはったわ。」
目を見開く沖田
「ど、どっちに行ったか、わかりますかっ?」
「確か…右に行ったと思うわ。」
「…ありがとうございます。」
そう言いながら、沖田は、宿を飛び出した。




