約束と鬼の涙
二人が思い返して居たのは、出会った頃の記憶だ。ずっと、見守ってくれた山崎。
例え、それが仕事であっても、千夜を幕府に無理矢理返さなかった。見つかれば、自らが危険に晒される。下手をすれば、山崎が誘拐犯となったかもしれない。しかし、山崎は、全て分かっていながら、彼女を守り続けてくれたのだ。
「烝、ありがとう。」
千夜から突然、礼を言われ、目を丸くする山崎。そして、彼は、顔を赤に染めて、惚けた声をあげた。
「な、なんや?急に……熱出たんか?」
熱など出て無いのに、 千夜の額に手を当てる山崎。お礼を言っただけなのに。
「熱無いから。————ずっと、言いたかったから、今、言っただけ。明日、気をつけてね。烝。」
お礼の理由なんか、教えない。だって、今更、照れ臭いし。
「……おう。任しときぃ。」
彼は、少し頬を染め、ニカッと笑った。
*
一方その頃、副長室にて。
「なんなんですか?
土方さん。もう、報告も終わったし、帰っても良いですよね?」
報告して部屋を出ようとしたら、呼び止められた沖田は、不機嫌丸出しで土方を見る。
「ダメだから、呼び止めたんだ!座れ!」
仕方なく、土方の前に座る沖田。しかも、珍しく真剣な面持ちの彼に、口を尖らせた。
「本当、何なんですか?」
「お前、あの時……。ちぃが、死にそうになった時、刀に手をかけたよな?————それは、何故だ?」
いつもみたいに、ヘラっと笑って、見間違いだと言えばいいのに、言葉が出て来ない。
真剣な眼差しの土方を見たら嘘をつく事ができず、ただ視線を逸らし口を開いた。
「————約束したんですよ。」
「約束?」
「ちぃちゃんを一人にしないと………。
僕は、あの時、
————死のうとしてました。」
そう言って、土方に視線を向けようとした時だった。
バシッと部屋の中に響いた音。
沖田は、鈍い音と頬に感じる痛みにただ、目を見開いた。
そして、目の前に、涙を流す男の姿。
「……土方…さん…」
殴られたのは、理解できた。何故、土方が泣くのか、理解できず、なんて声をかけたらいいか?そんな事が頭の中を埋め尽くす。
「————ふざけんじゃねぇっっ!
ちぃを失って、お前迄、失わなきゃならねぇのかよ!……俺はっ……」
「……まだ死んでませんけど?」
「んな事たぁ、わかってんだよっ!————あんな思いはもうゴメンだ……。」
僕の前には、鬼副長では無く、
ただの、土方歳三の姿があった。大粒の涙を流す彼を誰が鬼と呼ぶだろか?
芹沢鴨を撃つと決めた時、彼を初めて鬼だと思った。少なくとも土方は、沖田よりも芹沢鴨を尊敬し、憧れすらしていた。その男を手にかけると言った土方の顔は、今でも、忘れはしない。アレは、紛れも無い、本物の鬼であった。
その、鬼が、涙を流す………。彼を変えたのは、千夜だ。それが分かっている沖田は、彼女の為に、頭の中で出来上がった言葉を土方に投げかけた。
「その思いを、ちぃちゃんは、ずっと、持っていたんです。
貴方が辛いと思った事を、何度も見て来たんです。
……僕は、確かに彼女と約束しました。
でも、土方さん。僕が死んだら……
————ちぃちゃんを殺さないで下さい。
貴方が、土方歳三が、また、千夜を救って下さい。————お願いします。」
「……何を…言ってんだ……?」
「ちぃちゃんは、この国に、居なければならない人間です。もし、僕が新たな世を見る前に死————」
「死なせねぇっ!何が、この国の為だっ!ふざけんなっ!
千夜は、隊士が居なければ、組じゃねぇ。
隊士、一人一人大事だと言った!
国も同じだ!人が居なければ、国じゃねぇ!
お前も、ちぃも、死んだらいけねぇんだよ!」
「……無茶苦茶言いますね。」
少し呆れた表情を見せた沖田。だが、嬉しかったのも確かであった。
「無茶苦茶でも、貫きゃ、誠になるんだろうが……。」
そう言った土方に、沖田は、ため息を漏らした。
「僕は、必要ないと思いましたよ。近藤さんが養子を迎えた時に————。
わかってますよ。周平を養子にしたのは身分、金だって事ぐらい。でも、一言。言って欲しかったですよ。……本当は……」
寂しそうに、そう言った沖田。土方は、頭をボリボリと掻いた。
養子にした谷昌武を近藤周平と名乗らせた近藤。沖田からすれば、それは羨ましく、妬ましかった。
そして、その兄までもが七番組組長、槍術師範を務める。手厚い待遇に、嫌気を覚えていたのは本心だ。武士階級の出身者で、新選組にとっては貴重な存在————。
だけど沖田は、近藤が養子を迎えた事は、複雑な心境だった。
近藤の為に、頑張ってきた筈なのに、認められてないといやでも思ってしまったのだ。
そして、土方に、その不満を口走ってしまったのが現状だ。
「必要ねぇ訳ねぇだろうが。近藤さんの考えはわからねぇがな、武士への憧れだろうよ。
んなことで、悩むんじゃねぇ。なんなら、俺の養子に————。」
「丁重にお断り致します。」
頭を下げた沖田。土方は笑って、目の前に下がった頭を乱暴に撫でた。
出会った頃は、もっと小さかった宗次郎を思い出したのだ。
「…ちょっ、土方さん、髪、ぐしゃぐしゃになりますって!」
「俺の好意を踏みにじった罰だよ!」
「どんな、罰ですかっ!
嫌に決まってるでしょ?女ったらしの養子なんて。ヤダですよ~。」
沖田も笑っていた
「………そこなのかよ。」
案の定、沖田の髪はボサボサとなり、結い直さねばならなくなってしまった。
「……総司、いいか?死ぬんじゃねぇ。」
はぁ
「死を覚悟して戦うのが武士でしょ?」
「嫌なもんは、嫌なんだよ!」
無茶苦茶にも程がある。
沖田も、もう、二度と味わいたくない想い。土方がそう言うのもわかる。
「————明日から、ちぃちゃん復帰ですよね……。」
「あぁ。また、忙しくなるぞ。
なんたって、お転婆ヒメだからなっ!」
「貴方が育てたんでしょうが…」
ジトッと土方を見た沖田。
そして、その後、二人で笑い合う。お転婆姫を思い出して————。
死にたく無くても、人はいつか死ぬ。
それは、千夜とて同じ。誰も死んでほしくないし、死にたくない。
だけど、戦わなければ、新たな世は来ない。
思想という壁は、今まさに崩れる寸前まで来ていた。
そして、沖田は、思う。
生きていく中で、戦う相手は、自分の想いなのかもしれない。と。
より多くの命を新たな世に連れて行こう。それが彼女の望みなら、共に生きたい————。
それは、他ならぬ自分達の願いだ。




