長州藩主
長州藩邸の門をくぐり抜けた時、目の前に立っていた人物に気づかず、ドンッと、ぶつかってしまい、千夜は、その反動で、地に腰をつけてしまった。
「————!」
「千夜?大丈夫?」
心配する吉田。それとは、対照的に、高杉は、
千夜のぶつかった人物に視線を向けていた。
「————…藩主。」
その声に、千夜と吉田は、その人物を見上げた。
高くなった日の光を背に、こちらへと視線を向けた藩主と呼ばれた男。
「————…毛利、敬親。」
長州藩、第13代藩主が、千夜の前に立っていた。
「ほう。俺の名を、知っている。か。
ただ、守られているだけの女では無い様だな。桂。」
毛利の近くに、膝をつく、桂の姿
「はい。」と、返事をした桂の表情は、千夜からは、読み取れなかった。
————長州、毛利、禁門の変
頭の中で、単語が繰り返される。そして、一人の男が脳裏に浮かんだ。
鉄扇を振るい、
『俺は、壬生浪士組筆頭局長、————芹沢鴨だっ! !』
そう、怒鳴る男。
————椿。
そう、優しく声をかけてくれた男
そして、自分を見つめながら、息絶えた、彼の顔。
「……下村?————っ!」
千夜は、頭を抱え俯いた。
「千夜?」
唇を噛み締め、小刻みに揺れる腕と身体。
知らない。ヤダ。見たく無い。
————ちぃ。
————ちぃちゃん。
浅葱色の羽織り、誠の隊旗
あぁ。そうだ。
私は————…
綺麗な浅葱色の空を目に映し、
千夜の身体は、そのまま地に吸い込まれていった。
倒れた千夜に駆け寄る、桂、高杉、吉田。
それを見て、藩主は、
「目が覚めたら、
俺の部屋まで連れてこい。」
そう言って、その場を立ち去ってしまった。
吉田が千夜を抱き上げ、藩主が向かった先に視線を向けるが、すでに、返事をする相手は、藩邸の中。
彼女を連れて、部屋へと帰るしかなく、そちらへと、足を運んだ。
「無理、させちまったか?」
心配そうに千夜を覗き込む高杉
「大丈夫だよ。」
そう言った、吉田は、もう一度口を開く。
「大丈夫に決まってる。」
まるで、自分に言い聞かせる様な声色に
「あぁ。そうだな。」
と、高杉は、こたえた。
薬が切れてしまえば、彼女は、帰るべき場所に帰ってしまう。手放したくは無い。
だからと言って、また、彼女を薬漬けにするなんて、今の吉田達には、出来るはずがなく、
ただ、今は、大丈夫。
と、自分を言い聞かせることしか出来なかったのだ。
「ほら、早く布団に寝かせてやろう。」
そう言った桂の声に、返事もなく、高杉と、千夜を抱き上げた吉田は、藩邸の部屋に戻った。
彼女を敵にはしたく無い。だから、此処に残って欲しい。彼女の居たい場所から引き離した自分達には、そんな言葉を彼女に、言う資格がない事は、十分過ぎるほど、わかっていた。
部屋に戻れば、桂は、襖の近くに高杉は、窓の近くへと腰を下ろした。
目を覚ました彼女が、逃げ出してしまわぬ様に・・・。
空が茜色に染まった頃、千夜は、目を覚ました。視線を彷徨わせれば、吉田の姿が目にとまる。
「??あれ?」
その声に、男達は跳ねるように、千夜のいる方向へと視線と身体を向けた。
「千夜?大丈夫?どっか痛くない?」
心配そうに声をかけてくれたのは、吉田だった。
クスクスと笑う千夜に、吉田は、眉間に皺を刻んだ。
「何?」
「ううん。なんでもない。」
半身を起こしながら、そう言った千夜。
「大丈夫か?本当に。」
「大丈夫だよ。みんな、心配性だね。」
まるで、誰かさんみたい。
クスッと笑う千夜に、桂は歩み寄る。
「体は、問題無さそうだな。藩主が呼んでいる。」
「桂っ!千夜は、起きたばっかだよ? !」
怒鳴る吉田に、その言葉に頷く高杉。
「稔麿、構わないよ。私も、藩主に話があるの。————大事な、話がね。」
少し口角を上げる千夜に、男達は、互いに顔を見合わせた。
そして、藩主の部屋にやってきた4人は、姿勢を正し、藩主の前に腰を落ち着けた。
他の部屋と変わらない広さに、変わらない間取り、鼻をかすめる畳の匂いが少しだけ、緊張を取り除いてくれる。
「目が、覚めたか。して、俺に話があるとか。」
申してみよ。そんな態度の藩主。千夜は、口を開く。
「長州は、この先、幕府に勝てます。
だから、
————無駄な戦いは、しないで頂きたい。」
驚いた様な藩主と桂らの顔
「それは、誠か?」
「はい。嘘偽りない。誠の話に御座います。」
「しかしな。確たる証拠は無い。」
千夜は、藩主の言葉を聞いて鼻で笑った。
「何が可笑しい!」
「確たる証拠が欲しいなら、私が、作って差し上げますよ。
————確たる証拠とやらをね。」
鋭い視線で、そう言った千夜に、藩主は、内心驚いた。そして、背中を伝う冷や汗に、自然と背筋が伸びる。
「お前が、長州を勝たせると言うか?」
「それが、望みならば、しかし、私は、此処から出られない。ねぇ?藩主様。」
要は、長州を勝たせてやるから、自分を自由にしろ。
そう言う事だ。
藩主は、悩む。この女に任せてもいいのか・・・と。
「何を悩む必要がありますか?たかが女一人に、ダメにされる様な藩ではないでしょ?」
そう言われて仕舞えば、この話しを蹴る事は、藩の恥にもなり兼ねない。
「わかった。お前の好きにしろ。
ただし、藩の誇りを傷つければ、お前の命は、ないと思え。」
千夜は、それを聞いて、妖しく微笑んだ。
「承知。」
そう言って・・・




