第五話 幸せの兆し
案の定、ものすごーく怒られた。
こんな時間にほっつき歩くな、屋敷の金を持ち逃げしたのか、買い食いしたんじゃないだろうな。銅貨の一枚に至るまで細かく調べられたけど、幸い食糧は無事だったので解放された。
今日のご飯はパン一つくれたのでラッキーだ。
残飯を漁ったらお肉の切れ端が見つかったのでサンドイッチにしてみた。
これがなかなかいけるのだ。
公爵家で働き始めたわたしの密かな楽しみである。
「生きとし生けるものに祝福があらんことを……いただきます」
右手を胸を手に置いて左手で祈りを捧げる。
食前の祈りはちゃんとしなさいってお母様がしつこく言ってたっけ。
(なんか、今日は感傷的になっちゃうな……死にかけたからかな)
サンドイッチを平らげると、薄味のスープを流し飲む。
ちょっと焦げ臭くて苦いのはご愛敬。
焦げた野菜でも入れないよりはましなのだ。
「よいしょっと」
屋根裏部屋から降りる。
今日の仕事は終わったので、食事を終えたわたしはお風呂に向かった。
さっき玄関のほうがすごく騒がしかったから、きっとシグルド様がいらしたのだろう。上級侍女やルーク様やエスメラルダ様がかかりきりになっている間にお風呂を済ませねば。
(いつもなら残り湯だけど、今日はあったかいかも)
そう考えると嬉しくなってほっぺたが緩んでしまう。
あ、エスメラルダ様と言えば、帰って来たわたしを見てすっごく驚いてたっけ。
にっこり笑い返すと、なんだか蒼褪めた顔をしていた。
あれは何だったんだろう。
(まぁいいか。お風呂、お風呂~♪)
誰もいない廊下は平和である。歩いているだけで楽しい。
だけど、そんな楽しい時間はすぐに終わってしまった。
「ねぇどうすんのよ。私、嫌よ。あんな化け物の給仕なんか……!」
「私だって嫌よ! あそこまで酷いとは聞いていなかったわ!」
「噂にたがわぬ怖さよね……私、さっきまで本当に震えが止まらなかった」
「ねぇどうすんの? 次、誰が行く?」
「わたくしはもう嫌よ。無理」
「そんなのみんなそうよ。でも誰かが行かないと。旦那様たちはみんな寝室に逃げたし……あ」
あ。と言いたいのはこっちの台詞だった。
シグルド様を歓待しているはずの上級侍女たちが廊下の影でこそこそ話していた。ばっちり目が合ってしまったわたしは先輩侍女に微笑まれてしまう。
「ちょうどよかったわ。アンネローゼ」
(……絶対わたしにとってはちょうど良くないやつだ)
猫なで声の先輩を見てわたしは思ったけど、声には出せない。
屋敷のヒエラルキーが最下位のわたしは頭を下げて、
「ジミー先輩。なんでしょうか」
「あなたにシグルド様への給仕を命じるわ」
「え?」
「ほら、いつも頑張ってくれてるからね、先輩から後輩へのご褒美みたいなものよ」
さっきめちゃくちゃ嫌がってたの聞こえてましたが……。
この人たちがそこまで嫌がるってよっぽどの人よね。
いつもは唯々諾々と従うわたしだけど、今回ばかりは遠慮したほうがいい気がしてきた。
「いえ、シグルド様のような高貴な方にわたしみたいな女が近づくべきでは……」
「なら、私からも命じるわ」
「え」
わたしはびっくりして飛び上がりそうになった。
侍女先輩たちが慌ててお辞儀する。わたしも一緒に倣った。
だってそこに居たのは、屋敷の女主人であるエスメラルダ様だったから。
「アンネローゼ、シグルド様に給仕しなさい」
「でも」
「昨夜のお詫びもかねて、ね。これは私からの謝罪のようなものよ」
エスメラルダ様はにっこり笑ってわたしの肩に手を置いた。
「やってくれるわよね?」
(これ、わたしに選択肢がないやつよね……)
ここで断れば何をされるか分からない。
せっかくの温かいお風呂を諦めるのは惜しいけど、命あっての物種である。
クビになるよりいいかと、わたしが頷こうとした時だった。
「いづっ!?」
「?」
エスメラルダ様が急に手を引っ込めた。
まるで静電気にでも触れたような動きだった。
「エスメラルダ様?」
「お前……何をしたの?」
「わたしは何もしておりませんが……」
本当にどうしたんだろう。
あら? なんだか肩に薄い膜が……気のせい?
ちょっと触ったら消えちゃった。疲れてるせいかしら。
「……さっさと行きなさい。主人からの恩情を無駄にするものじゃないわ」
「かしこまりました。奥様」




