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第三十九話 優しさに包まれて

 


 耳障りな化け物の悲鳴が街中に響いた。

 血を噴き出しながら倒れる化け物を一瞥して、シグルドは剣についた血を払った。


「ずいぶんご機嫌斜めだな」

「何のことだ」


 振り返ると、軽薄そうな従騎士(ジョン)は肩を竦めた。


「天下の筆頭騎士様が災魔(レギオン)を剣で倒す時はご機嫌斜めと相場が決まってる」

「……」

「アンネローゼ嬢と何かあったのか?」

「………………」

「黙ってても顔で丸わかりだぞ」


 シグルドは溜息をつき、周りを見渡した。

 街のあちこちから黒い煙が上がった、戦場である。

 元は風光明媚な街で有名だった場所は災魔(レギオン)の襲撃で荒れ果てている。


「生存者の救助は」

「八割方完了ってとこだな」


 ジョンは煙草に火をつけた。


「いかんせん、災魔(レギオン)の襲撃が急すぎた。まだ埋まってる奴もいるかもしれねぇ」

「なら、早く務めを果たせ。私を揶揄う暇があれば一人でも多くを救えるだろう」

「俺たちの任務は災魔(レギオン)討伐で、救出部隊は他にも動いてる……あーもう分かったよ。残党が居ないか周囲を回ってくる。テメーはそこを動くんじゃねぇぞ! 絶対だかんな!」

「早く行け」


 一人になったシグルドは息をつき、剣を収める。

 どれだけ災魔(レギオン)を斬っても心のなかのざわつきは消えてくれない。

 昨日の夜に見た彼女の表情が、忘れられない。


「あいつに見抜かれるとは、私もまだまだだな」


 今は仕事に集中すべきだ。

 ロンディウムの騎士として自分が為すべきは侍女の心を推し量ることではない。

 理不尽な災魔(レギオン)の襲撃に苦しむ民たちのため、この力を振るうのだ。


「生存者の救助を」


 仕事に逃げるようにシグルドは目を閉じて魔力による小規模な感知を始めた。

 その気になれば街中に魔力を張り巡らされて人間を感知することも可能だが、呪われたロンディウムの魔力に触れれば気が乱れる。たとえば治療院で重傷患者に治癒を行っている者を邪魔すれば、助けられる命も助けられない。


「……あちらか」


 シグルドが向かったのは倒壊した民家の一つだ。

 真上から災魔(レギオン)が降って来たのか、屋根の上に穴が空いている。

 ぐちゃぐちゃになった室内の中には潰れた死体があった。


 その正面に──



「う、うわああ、お母さん、お母さん……」

「……」


 とめどなく泣き続ける、一人の子供がいた。

 七歳にも満たないだろう少年だ。頭が潰れた死体は母親だろう。

 もう何度となく見た光景。それでも、直視するのは憚れる有様だった。


「大丈夫か」


 声をかけると、少年は一瞬泣き止み、


「うわぁぁあああん、うわぁああああん!」

「……」


 シグルドの顔を見て、また泣き出してしまった。

 少年の気持ちは理解できる。

 目の前で母親が潰れたトマトのようになれば誰だってこうなるだろう。


 だが、


「立て」

「やだあああああ、お母さん、お母さんっ!!」

「母親は死んだ。お前が今やるべきことは生きることだ」

「お母さんあぁあああああああああああああん」


 シグルドは溜息を吐き、


「……残念だが、お前が泣いたところで母親は生き返らない」

「うわぁあああああああああああああああん」

「……」


 どれだけ言葉を尽くしても子供には届かない。

 シグルドの言うことは正論だった。

 正論だからこそ、間違っているのだろう。


 それを理解していてもどうすればいいか彼には分からなかった。


 こんな時、彼女なら。

 あの心優しい女性なら、何と言うだろう。


 シグルドはあの笑顔を見るだけで力が湧いてくる気がした。

 どんなに心無い言葉をぶつけられても耐えられた。

 ロンディウムの騎士として生きる彼がただのシグルドとしていられる唯一の居場所だ。


(やはり私は、人としてどこか欠けているのだろうな)


 泣きわめく子供一つ、どうにもできない。

 母を失った子供にかけるべき言葉も分からない。


 仕事ばかりで、災魔(レギオン)を倒す道具として生きて来た。

 ずっとその繰り返しだと思っていた。

 毎日毎日毎日、救って、崇められ、時には罵られ、それでも杖を振り続けて来た。


 人としてのシグルドはとっくに擦り切れている。

 ここに居るのは、ただ騎士であろうとする人とは違う残骸に過ぎない。

 そんな自分を癒してくれた彼女なら、こんな時──


「泣かないで、なんて言わない」


 ふわりと、隣を通り過ぎた女性が子供を抱きしめた。

 白髪の女性に抱きしめられ、少年はきょとんと目を丸くする。


「辛かったね。怖かったね」

「ぅ、ぁ」

「もう大丈夫。この騎士さんが、助けに来てくれたからね」

「お、かあさん、は……?」

「お母さんは……居なくなっちゃった」

「……っ」

「ごめんね……辛いね……しんどいね」


 紅花色(ルビー)の瞳に涙が滲む。

 ぎゅっと抱きしめる女性の手は震えていた。


「でも、生きなきゃ」

「……いき、る?」

「苦しくても、悲しくても、生きなきゃ。お父さんとお母さんの意志を無駄にしないために……あなたが命を無駄にした時、誰にも思い出してもらえなくなった時……本当の意味で、お母さんが死んじゃうから。そしたら」


 白髪の女性は──アンネローゼは顔を上げていった。


「きっと、かけがえのないものに出逢えるから」

「…………」


 少年はアンネローゼの胸に抱かれ、気絶するように眠った。



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