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第三十七話 わたしじゃなくても

 

 シグルド様のお屋敷は温かくてぽかぽかする。

 ずっと陽だまりの中に居るみたいで心地よくて、この中に居るためならどんなことでも頑張れると思う。自惚れじゃなければ最近はシグルド様も打ち解けてくれたし、無表情のお顔の中にも色んな顔があることが分かって嬉しかった。誰にも明かしたことがない胸の内を、わたしだけに言ってくれたのもすごく嬉しくて……。


「──……ゼさん」


 だけど今は、それだけじゃ──


「アンネローゼさん!」

「はみゅ!」


 慌てて返事をすると、シャム婆様の顔がすぐ近くにあった。


「お湯沸いてますよ」

「ご、ごめんなさい。すぐに淹れますね」

「もう……今日はどうしたのですか? ボーっとしてることが多いようですが」

「それは……」


 わたしはそっと隣室の扉を見る。

 転移陣がある地下室にはあの部屋しか通じていない。

 今日はまだ午後三時。ちょっぴり早いけど帰ってきてもおかしくない頃。


「……シグルド様と何かあった?」

「え」


 シャム婆様は微笑んだ。


「分かるわよぉ。今朝からなんか変だったものね」

「あぅ……申し訳ありません……」

「謝る必要はないわ。粗相を働いたわけでもないし。それで、どうしたの?」


 どうしたのかと言われればどうもしていないというか。

 勝手にわたしが悶々としちゃって悩んでるというか……。

 そもそもわたしは、何を悩んでるんだろう?


『シグルド様は、お前だから助けたわけじゃないのよ』


 昨日の夜からずっと頭の中に響いているエスメラルダ様の言葉。

 たぶんこれに引っかかってるんだと思うけど、そんなの今更のことじゃない?


 だって彼はみんなの騎士だ。

 王国で四人しか居ない筆頭騎士のうち最強と目される英雄。

 そんな彼がわたしなんかを助けるなんて出来過ぎているもの。


 シグルド様はわたしじゃなくても助けた。

 それは分かっている。それが彼の良いところだから。


 なのに、どうして……。


(シグルド様にとって、わたしって何なんだろう)

「アンネローゼさん」


 シャム婆様がわたしの手にそっと触れた。

 顔を上げると、年老いた先輩侍女さんは微笑んでくれる。


「思っていることは、言わなきゃ伝わらないわよ」

「はい」

「特にシグルド様はね。あの方は察しが悪いから」

「……はい。あの、シャム婆様。シグルド様は──」


 その時、地下室から音がした。

 わたしとシャム婆様は顔を見合わせ、侍女としての務めを果たすべく立ち上がった。

 隣室に行くと、ちょうど地下室への扉が開くところだった。


「おかえりなさいませ、シグルド様」

「あぁ。変わりはなかったか?」

「はい。あ、いや、えっと……」


 わたしが視線を彷徨わせると、シャム婆様が背中を押してくれる。

 軽くうなずいて、わたしはシグルド様に向き直った。


「あの。些細なことなのですけど、お話が……」

「話か」


 シグルド様は上着を渡しながら頷いた。


「分かった。夕食を取りながら訊こう」

「頑張ってね、アンネローゼさん」

「は、はい」


 いつものように夕食前にシャム婆様が居なくなる。

 わたしはシグルド様が湯あみをしている間に夕食の準備を済ませた。

 洗面所から出て来たシグルド様の髪は濡れていた。

 ほんのり香る独特な匂いに、胸がちょっぴりドキっとする。


「それで、改まって話しとはなんだ」

「あ、いや。大したことではないのですが……」


 こんなの聞いちゃって引かれないかな?

 でも、どうしても聞いておかなきゃ。

 そうじゃなきゃ、わたしは……。


「えっと……シグルド様は、ニ―ナ様と昔、その、色々あったんですよね」

「あぁ」

「その……」


 きゅっと膝の上で手を握りしめながら、意を決して顔を上げた。


「シグルド様にとって、わたしってどんな存在なんだろう……と、ちょっと気になりまして」


 答えはあっさりしていた。




「庇護すべき弱者だ」




 その言葉は、わたしの肋骨を粉砕して心臓に穴をあけた。

 ひゅっと息を呑んだわたしにシグルド様は平然と続けた。


「そして今は私の侍女でもある」

「あ……」


 違う。そうじゃない。

 わたしが欲しいのは、もっと別の。


「あ、あはは。そうですよね。大丈夫です。分かってました」


 ──笑わなきゃ。


 口の端をあげて、筋肉を動かそう。

 大丈夫。分かってたことだもの。

 ショックでもなんでもないし、シグルド様らしいなって思う答えだし。


「すみません、変なこと聞いちゃって」


 シグルド様は一拍の間を置いて、


「逆に聞くが、君は…………」

「はい?」

「いや」


 結局、何も言わなかった。


「なんでもない。聞きたいことはそんなことか?」


 そんなこと(・・・・・・)


 喉の奥がカラカラに渇く。

 心臓の鼓動が耳ので嫌な感じに響いていた。


(そうよね……シグルド様にとっては『そんなこと』なのよね)


 だって彼は『持っている側』だから。

 地位も名誉も魔力も何もかも、私にないものすべて持っている

 もちろん殊更それを欲しいとは思わないけど、魔法という生きる権利すら持っていない貧民の私からすれば、すべてを持っている彼の言葉は上から目線で、強者の物言いに聞こえた。私は、誰かに縋らなければ生きてすらいけないのに……。


『シグルド様はお前だから助けたわけじゃないのよ』


 悔しいけど、エスメラルダ様の言う通りだわ。

 確かに彼には可愛らしい一面もあるし、他の人が言うような冷血漢でもない。

 でも英雄だ。

 ロンディウム家の騎士として人を助ける。

 かくあるべしと育てられ、ロンディウムの理念を体現する人なんだ。


(分かっていたわ。分かっていた、はずなのになぁ……)


 今、やっと理解した。


 わたしはきっと、欲しかったんだ。


 ──わたしじゃなきゃダメだって。

 ──わたしに傍に居てほしいって。


 ロンディウムの騎士としてじゃない。

 シグルド様がそう望んでくれる、たった一言が欲しかったんだ……。


「話が終わりなら、食事を続けよう」

「はい」

(……ほんと、ダメだなぁ。私)


 いつもは美味しい食事が、今日は喉を通らなかった。





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