第三十二話 騎士の理念
『ザザ、ケネストルの令嬢がシグルド様に接触しました』
「了解。引き続き警戒を続けて頂戴。通信終了」
耳元の通信機に当てた手を離してエスメラルダはホッと息をついた。
「ここまでは計画通りですね、あなた」
「あぁ、そうだな。想定外のこともあったがな」
「……えぇ、あの忌ま忌ましい小娘が」
ニ―ナ・ケネストルはシグルドの元婚約者である。
いや、婚約者にすら成りそこなったと言うべきだろうか。
シグルドが当主候補へ上がっていた時に名乗りを上げた令嬢が彼女だ。
彼らの間に何があったかは知らないが、シグルドは自ら当主候補を辞した。
それと共に彼女も婚約者候補から身を引いて騎士の身分に準じていたのだが、彼女がシグルドへただならぬ想いを抱いていたのは事実で、エスメラルダ達はそこを利用できると考えたのだ。
「ニ―ナとシグルドを戦わせて消耗させ、そこをルーク様がつく。正攻法とは言えない作戦ですけど、王国の筆頭騎士と呼ばれるシグルド様に勝とうするのですから、むしろルーク様の頭脳をお示しになるいい機会かと思います」
「まぁ、あの兄上に勝とうとするのだ。これぐらいはな」
「えぇ」
(同時にあのアンネローゼにも痛い目に合わせられますしね)
エスメラルダは笑顔で頷いた。
アンネローゼに仕掛けた罠を利用されたのは想定外だった。一度魔法杖に仕掛けた罠は発動しない限り取り除けないからだ。あの時は煮えたぎる怒りを持て余してあの悪女をどう始末しようかばかり考えていたが、そもそもこの銀の杖を使う機会すらなくなってしまえば、エスメラルダの勝ちは揺るがない。
(お前の破滅は決まっているのよ、アンネローゼ)
こちらにはルークの直臣である配下の者達が居る。
ニ―ナを筆頭に、彼らを使えばアンネローゼを追いこむことは容易い。
「あなた、そろそろ準備しましょう」
「分かった」
エスメラルダは銀の杖を握りながら、口元を三日月に吊り上げた。
◆◇◆◇
「ニ―ナ様……」
「妙だとは思ったんだ」
唖然とする私の隣でシグルド様は言った。
「私のロンディウム嫌いを知っているお前が招待状を送って来た理由。シャム婆は実家に向き合わせる為と言っていたが、お前がそれだけの理由で私を呼ぶとは思えない。今、この時の為だったんだな」
「そうだ」
ニ―ナ様は熱っぽい目で頷いた。
「私はずっと燻っているんだ、シグルド。あの日、貴様に袖にされた時からずっと」
お二人の間に何があったかは分からない。
ニ―ナ様の熱っぽい眼差しなのに対し、シグルド様は冷めた顔をしていた。
私が出会ってから見たことのない、それは敵対者を見る目だった。
ニ―ナ様の中に燻る火が、見る見るうちに大きくなっていくのが分かる。
「なぁシグルド。どうして私じゃダメなんだ? どうして当主になってくれなかった? 貴様が当主になってくれたら、私は全力で貴様を支えるつもりだった。なぜ父親の言いつけに従い、おめおめとルークに当主を譲った? なぜ私じゃなく、その人を傍に置いてるんだ!」
私は思わずシグルド様の裾を握ってしまった。
怖い。ニ―ナ様の目が。私を見る眼差しが、怖い。
「ロンディウムは道を違えた」
シグルド様は少しだけ振り向いた。
ずっと怖い顔をしていたお顔がふっと和らぎ、口の端をあげる。
(あ……いつものシグルド様だわ)
シグルド様はニ―ナ様に視線を戻した。
「ニ―ナ。お前が懸想しているのは巷に囁かれる『ロンディウムの騎士像』であって、私ではない。なぜこの子を傍に置いているかと言ったな。それが騎士の務めだからだ」
ズキン、と心臓がちょっぴり痛んだ。
痛んだけど、無視した。今はわたしのことなんてどうでもいい。
「騎士とは弱き者を守り、理不尽を切り捨てる者のことだ。名誉や誇りは騎士が行動した結果についてくるものであって、決してその逆ではない。むしろ騎士は結果を求めてはならない。弱き者の傍に立つ、その行いこそが騎士なのだ。ロンディウムの祖たる理念はここにある。貴様が求めているのはただの──幻想だ」
シグルド様がこんなに喋っているのは初めて気がする。
口で言うのは簡単だけど、それを実行できる人がどれくらいいるだろう?
自分苦しい時、悲しい時、苦難に負けそうなとき、他の人に寄り添える人は一握りだ。
(これが、騎士の中の騎士と言われる所以なのね)
シグルド様の返答が分かっていたかのように、ニ―ナ様は杖を掲げた。
「ならば、決闘を」
「……」
「私が勝てばロンディウムの当主になってもらう。それでどうだ」
「負けたらどうする」
「その時は……二度と貴様の前に現れない」
「そうか」
シグルド様はただ頷いた。
まるで負けることなんて考えていないかのように。
「さらばだ、我が友よ」
その寂しげな響きに、思わず声をかけてしまう。
「シグルド様……」
「アンネローゼ。君への指示は一つだけだ」
シグルド様は振り返らなかった。
「全力で、逃げ回れ」
「……はいっ!」




