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第十六話 二人の休日

 

「おかえりなさいませ、シグルド様!」


 地下室から出たシグルドを迎えたのは華やぐ声だった。

 思わず面食らう。

 にこにこと立つアンネローゼは新品のメイド服を着ていた。


「……ただいま。どうしたんだ」

「どうしたも何も、ご主人様をお迎えするのはメイドの努めですから!」


 はい、と手を差し出される。


「小遣いか? いくらほしい」

「上着をお預かりします」

「別にいい。自分でやる」


 途端、アンネローゼは笑顔が曇った。


「そう、ですよね。すみません。わたし、はしゃいじゃって……」

「……」


 シグルドはため息を吐き、上着を渡した。


「いつものところにかけてくれ」

「はい!」


 ぱぁ、とアンネローゼの顔が華やいだ。

 つい癖で「いつも」と言ってしまったが、アンネローゼはぱたぱたと子犬のように走って、書斎の一角にかけてくれた。


「うふふ。可愛らしいでしょう?」


 一生懸命な後輩侍女を見守りながら、シャム婆。


「とてもまじめでいい子ですねぇ」

「もう仕事は教えたのか」

「はい。ひと通りは。といっても、ずいぶん仕込まれたんでしょうね。私が教えることなんてありませんでしたよ」

「……そうか。昼は食べたのか?」

「えぇ、いま、夕飯の支度をしようかと考えていたところです」

「夜は私がやる。シャム婆はそろそろ帰れ」

「そうさせてもらいます」


 自分で言っておきながら、シグルドは固まった。


「……珍しいな。いつもは食い下がって来るのに」

「えぇ、私一人なら旦那様のお世話をしましたけども」

「シグルド様、戻りました! 今、お茶を淹れますね」


 にこにこと台所に向かうアンネローゼ。

 シャム婆様は柔らかく目を細めて言った。


「今は、あの子が居ますから」

「……そうか」

「それじゃ、アンネローゼさん。私はもう上がるわね。お疲れさま」

「あ、シャム婆様。お疲れさまでした!」


 ずいぶん打ち解けたものだ、と思う。

 まだ出会って一日も経っていないのにシャム婆がこうも心を開くのは珍しい。

 シグルドがシャム婆を見送りに玄関に立つと、彼女は振り返って言った。


「旦那様、あの子を大事になさいませ」

「分かってる。もし私の侍女が嫌になったら信頼できる場所を紹介する予定だ」

「……はぁ。育て方を間違えましたかもしれません」

「何を言っている」

「このシャム婆、野暮な真似はいたしませんとも。それでは」


 一人、森の街道を歩いていくシャム婆。

 その姿が目に入ったのか──


「あの、大丈夫でしょうか?」


 アンネローゼはシグルドの斜め後ろに立って心配そうな顔をしていた。


「この森、すごく災魔(レギオン)や妖精たちがいっぱいるのに……」

「問題ない。あれを見ろ」


 シグルドが指差した先にいるのは茂みに潜んでいる災魔(レギオン)だ。

 獲物の匂いにつられてやってきた黒い巨体はシャム婆を睨んでいる。

 しかし、シャム婆は災魔(レギオン)に気付いていた。


「……その牙を引っ込めなさい。駄犬。死にたくなければね」

「…………」


 立ち止まり、ただ睨んだ。

 災魔(レギオン)は怖気づいたように後ずさり、身を翻して森の奥へ消えていく。

 シャム婆はこちらの視線に気づいたのか、にこりと笑い、街道を歩いて行った。

 ふあぁぁ……と感動したようなアンネローゼにシグルドは鼻高々だ。


「シャム婆はかつて名を馳せた女騎士だ。この森で彼女に勝てる獣はいない」

「す、すごい! すごいです! あれは、なんていうんでしょう。殺気? みたいな感じですごかったです!」

「そうだろう」

「はい。シグルド様と同じくらいかっこよかったです!」


 シグルドは疑るようにアンネローゼを見た。


「……君は、私が怖くないのか?」

「前にも聞かれましたね、それ。まったく怖くないです」


 アンネローゼは即答した。


「シグルド様はわたしの恩人ですから。」

「気分が悪くなったり、頭が痛くなったりは?」

「この通り、元気はつらつです! 今ならルーク様も一発ですよ!」


 しゅばばば、と拳を突き出すアンネローゼ。

 格闘技のような仕草は様になっている。さすがはフランクの娘といったところか。

 とはいえ、シグルドが気になったのはそこではない。


「……笑顔が」

「はみゅ」


 アンネローゼはきょとんと目を丸くし、肩の力を抜いた。

 うーん、と首を傾げる彼女は分からない顔をしている。


「笑顔?」

「……」


 シグルドはアンネローゼをじいっと見つめた。

 かつて実の父に言われた言葉が頭をよぎる。


『お前は生まれてはならなかったのだ』

『ロンディウムの呪われた血め。貴様など俺の息子ではない』

『俺の前から失せろ! 貴様を見ていると食欲が失せる!』


 シグルド・ロンディウムの魔力は一般的な人間の千倍に相当する。

 千年以上もの間、脈々受け継がれてきた血脈は魔力に呪いを生み出した。


 人を畏怖させ、他者を避けつけない絶対的な力。

 ロンディウム家はこの力を制御するために騎士たれと己を律してきた。


 だが、絶大なる力は孤独を生んだ。

 誰もがシグルドを遠ざけ、顔を見ると目を背けた。

 怪物、人型災魔(レギオン)、魔力の器……。

 いずれかの悪口は耳にタコが出来るほど聞いた。


 気にするな、といつかジョンは言った。

 大いなる力には責務が伴います、とシャム婆は言った。

 悪口に迎合しない彼らはシグルドにとって心を通わせる数少ない者達だ。





 だが、彼らもシグルドの前では無理をしている。





 ラッセル家がロンディウムの魔力に耐性があるのは事実。

 しかし、シグルドの魔力は特別製だ。

 彼らがシグルドの魔力に中てられて影で体調を悪くしていたのを知っている。


 誰もがそうだ。

 誰も彼には近付けない。誰も笑わない。

 それなのに──


「君の笑顔は、良いな。アンネローゼ」

「え?」

「無理をしていない。自然な感じが。良い」

「……褒めてますか?」

「最上級の褒め言葉だ」

「これが!?」


 驚くアンネローゼにムッとして、シグルドは彼女の顎を持ち上げた。

 ほんのりと頬が色づく。


「不満か」

「いえ、とっても嬉しいですけど……もう少し、柔らかにお伝えいただけると嬉しいです」

「ほう」

「シャム婆様がシグルド様には思っていることを伝えたほうが喜ばれると言っていました。あとお顔が近いです」

「ふむ」


 シグルドは離れた。


「まぁ、いい。茶を淹れてくれ」

「はみゅ! お湯を沸かしていたの忘れてました!」


 アンネローゼは慌てたように台所へ戻り、魔法具を止める。

 急須からカップにお湯を注ぎ、茶葉を蒸らし、待つこと数分。


「どうぞ、シグルド様」

「あぁ」


 出来上がったカップの匂いを嗅ぐ。

 鼻を通り抜けるダージリンの香りが心地いい。

 普段と同じ茶葉なのに、口をつけると、ほんのり胸が温まる気がした。


「……温かいな」

「はい。お湯ですからね」

「ふ。そうだな」


 シグルドは口の端をあげた。

 茜色の光がリビングに居る二人を照らし出している。


「あちち! わたしにはちょっと熱かったです。ふー、ふー」


(たまにはこんな休日も、悪くない)




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