第十四話 シグルド様の意外な一面
シャム婆様は森の中のお屋敷を一人で管理していらっしゃるようだった。二階建てのお屋敷は三部屋しかないから、掃除は楽かもしれないけど、お年を考えたら街との往復が大変じゃないかしら。そう思ったけど、さっきのことを思い出して慌てて首を振った。この人にはたぶん、歳とか関係ない。
「──きつくないかしら、アンネローゼさん」
「あ、はい。大丈夫です」
お風呂で湯あみして、ふわふわした意識を今に戻す。
ずっと冷めた残り湯で身体を清めていたから、こんなに気持ちいいのは久しぶりだ。あかすり? というやつをやってもらって肌がすーすーした。すーすー。
「まぁ可愛い」
シャム婆様が用意してくれたのは侍女服じゃなくて、花柄のワンピースだ。
今日はおりえんてーしょん、という奴らしい。
現場の空気を感じて、ざっくばらんに説明をしてくれるのだとか。
「シグルド様が夜中に通信をしてきた時は驚いたわ。女性用の着替えを用意してくれって言われて……でもまさか、あなたのような子が来るなんて……」
「あ、あぅ……ごめんなさい……わたし……」
ハッとする。自分を貶めちゃダメって怒られたばかりだ。
慌てて口に両手を当てたわたしに微笑んで、シャム婆様は肩に触れた。
「誤解しないで、良い意味で言ったのよ」
「いい意味で……?」
「えぇ、とっても綺麗なんですもの!」
「きれい……亀齢?」
どういうことだろう。わたしが亀の年齢みたいに見える?
まさか綺麗なんて言ってるわけじゃないだろうし……。
「……なるほど。これは重傷ね」
「シャム婆様。わたし、怪我はしていません」
「見えない傷のほうが厄介なのよ。あなたも、シグルド様も」
……シグルド様も?
「さ、行きましょう。シグルド様が朝食を用意してくださってるわ」
小さいお屋敷だから洗面所を出て突き当たりの廊下を曲がったらリビングだ。
カタカタ、ササ、ぐつぐつ。
なんだかお料理をする時みたいな音がするけど……。
「来たか。調子はどうだ」
「はい、おかげさまで……」
はわわわ! シグルド様がエプロン姿に!
キリっとした黄金の瞳は真剣にフライパンを見ている。
クマさんがついたエプロンを身に着け、夜を秘めた黒髪に三角巾が巻いてあった。
キュンキュンと胸がおかしな鼓動を鳴らす。
(か、可愛い……!)
不遜にもそう思ってしまう。
いやだって、普段はクールで無表情のシグルド様がクマさんのエプロンって。
とても絵になるというか、この人に着られてクマさんも喜んでるように見えるし。
「よし」
シグルド様はフライパンを見て頷き、お皿に料理をよそっていく。
大粒の目玉焼きにベーコン、かぼちゃのスープと麦粥があった。
「シャム婆、運んでくれ」
「はいはい、もちろんですとも。旦那様はアンネローゼさんと挨拶しましょうね」
「あぁ、アンネローゼ、おは……」
おはようございます。とにこやかに返そうとしたのだけど、シグルド様の言葉が不自然に止まってしまったものだから、わたしの挨拶は魚の骨みたいに喉に引っかかってしまった。
「あのぅ、シグルド様?」
「……うむ」
沈黙を挟んだシグルド様は頷いた。
「良いな」
「はぁ」
「体調はどうだ」
何が『良い』のか分からないけど、いつものシグルド様が戻って来た。
わたしを心配しているのかいないのか分からない感じの無表情。
なぜだかそれが安心して、わたしは頷いた。
「おかげさまで、すっかり元気になりました」
「ふむ。まぁ、まだ本調子ではないだろう。君には麦がゆを用意した」
「ありがとうございます」
「食事については体調を見ながら相談とする。良いな?」
「はい」
なるほど、そういう『良い』だったのね。
たぶんわたしの顔色を見て調子が良いことを察してくれたんだろう。
「ここでは私も侍女も等しく食事を摂る。作法は気にするな」
「は、はひ」
「熱いうちに食べなさい。味は保証しよう」
こくこく、と頷く。
シグルド様が作ったものを頂けるなんて光栄すぎて死ねる。
シャム婆様が料理を運んでくれたので、食前の祈りを捧げる。
「では、いただ──」
けれどシャム婆様は、シグルド様のお皿を下げて言った。
「旦那様、言葉足らずも過ぎれば愚鈍です」
「む」
「口下手も不器用も、私からすれば社交性に欠ける行い。このシャム婆、坊ちゃまをそんな男に育てた覚えはありません」
「……」
わたしにはシャム婆様が何を仰っているのか分からなかったのだけど、シグルド様は分かったらしい。彼は眉間にぐっと皺を寄せると、わたしのほうに向きなおった。そのまま見つめられること数秒。
「アンネローゼ」
「はい」
「綺麗だな」
「ほえ?」
………………。
今、なんて言った?
「きれい……? あの、わたし、亀の年齢のことはよく」
「そうではない。君の容姿のことだ」
「ようし」
「身綺麗にしたことで素材の良さが浮き彫りになった」
シグルド様はそこで口を閉ざした。
シャム婆様のほうに「これでいいか」と視線を送る。シャム婆様は満足げだ。
綺麗、綺麗、綺麗……。
わたしの頭の中でシグルド様の言葉が繰り返される。
ぺたぺた、と頬を触る。つねった。痛い。夢じゃない。
「何をしている」
「……ごめんなさい。わたし、わたしにそんな……」
「アンネローゼ」
シグルド様はスプーンを置いて言った。
「君は今日から謝るのは禁止だ。どんな悪いことをしてもな」
「え、えぇ……? 悪いことしてもですか?」
「そうだ。君が思う悪いことには何が入る」
「夜中に台所に忍び込んで食材を拝借したり……お菓子を、食べたり?」
「良い。私が許す」
「ほえ」
「シャム婆、それでいいな」
「えぇ、えぇ。もちろんでございますとも。間食も必要ですものねぇ」
わたしが呆然としている間にもシグルド様はスプーンを止めない。
なんだか、とてもとても甘やかされているような気がする。
こんな、綺麗とか……美味しいごはんとか……夢みたいで……
「何をしている。早く食え。この料理は冷めたら不味い」
「はい」
あぁ、瞼が熱い。
心臓がすごい速さで脈打って身体が火照る。
せっかくの美味しい料理なのに、濡れた視界でよく見えない。
ダメ、泣いちゃダメなのに。
シグルド様にまた泣き虫って言われちゃうわ。
でも……。
「ありがとう……ございます……」
麦粥の味はしょっぱくて、胸の奥の深いところがポカポカした。




