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第十三話 初日の朝

 

 ロンディウム家で働くわたしは早起きが日課だった。

 屋敷の皆さんが起きる前に水壺の中身を入れ替え、埃一つないように拭き掃除を始める。皆さんが起き始めた頃に裏庭の手入れをして、食事が終わった頃、入れ替わるように残飯をいただいた。食べかけのパンと冷えたスープが出てくるときはいいほうで、基本的にはカビの生えたパンや濁った水が出されたから、残飯を漁ってお腹を満たした。


 それが終わったら公爵家の雑事を済ませた。領地中から苦情や嘆願書が届くため、順番にそれを処理していき、領主の裁可が必要なものだけにまとめておく。これをやっておかないと行政官から書類の束を投げつけられるので、そのうち種類別に分けることを覚えた。諸々の雑務を終えたら夕方になる。わたしの僅かな自由時間だけど、魔法が使えないわたしが出来ることと言えば、読書か刺繍くらいで、ボロボロになった衣服を綺麗に繕うことが日課になっていた。


 そうして、起きたらまた冷たい朝が始まるのだ──。


「ん……?」


 うつらうつらと、わたしは身体を起こした。

 まだ日は昇り切っていないけど、早く起きないと朝の支度に遅れてしまう。

 瞼をこすりながら起き上がろうとすると、優しい声が耳朶をくすぐった。


「まだ寝ていて大丈夫だぞ」

「……んみゅ?」


 わたしは霞んだ視界の中、声のほうを見る。

 寝起きの視界はぼやけていて、薄暗い部屋の中はよく見えない。

 だけど、その姿は──。


「もう君は辛いお仕事なんてしなくていい。ゆっくり休むんだ」

「おとー、さま……?」

「…………うん。そうだよ」

「これは。夢……?」

「うん、夢だ」


 お父様は頷いた。


「今はおやすみ。アンネローゼ」

「はい……」


 夢の中にお父様が出てくるのは久しぶりだった。

 色々と話したいことがあったけど、どーにも言葉がまとまらない。

 でも、お父様はこんなに優しかったっけ……。


「ここにはもう、君を傷つける奴はいないからね」


 そうなんだって思ったら目の前を手で覆われた。

 その手に促されるままに、ゆっくりと身体を倒す。

 布団の中はまだ温かくて、眠気が残る余韻がわたしを二度寝に誘う。


「おとーさま……」

「なんだい?」

「どうか、手を……」

「……あぁ。いいよ」


 お父様の手は最後に触れた時より太くて、ごつごつしている気がした。

 けれどその温もりに包まれているだけで、無限の安心感がわたしの胸を満たしていく。


「ずっと、会いたかった……」

「うん」

「おかーさまにも……会いたい……」

「うん」

「ごめん……ごめんね……わたしだけ……生きて……」


 頬に雫が流れて、わたしは意識を失った。




 ◆◇◆◇





 パチ、と目を覚ました。

 小鳥のさえずりが聞こえる。朝の温かい光が部屋に差し込んできた。

 サァと血の気が引いたわたしは一瞬で覚醒する。


「──っ、いけない、寝坊だわ!」


 ベッドから跳ね起きた。

 早く水壺の中身を替えないと。埃一つないように掃除をして、裏庭の手入れをして、それから、それから……。


「あれ……? ここ、どこだっけ」


 見慣れない部屋だった。調度品は少ないけど化粧台もあるし、大きな姿見もある。まるで貴族様のお屋敷みたい。埃っぽい屋根裏と違って空気は澄んでいて、窓から入る風が気持ちいい。


「あぁ、そうか。わたし、シグルド様に助けてもらって……」


 風でなびく白髪を抑えながら目を瞑る。

 思い出したら昨日は散々な醜態を見せてしまった気がする。

 いきなり泣き出したりして、わたし、変な女に思われてないかしら……。


「おはようございます。アンネローゼさん、でしたね?」

「はみゅ!?」


 いきなり声をかけられてびっくりした。

 慌てて顔を向けると、優しそうなおばあさんが嬉しそうな顔をしていた。

 歳を取ってはいるけど腰は曲がってなくて、なんというか佇まいが綺麗だ。


「まぁまぁ! あの坊ちゃまがこんな可愛らしいお嬢さんを連れて来るなんて、歳は取るものねぇ。うふふ、うふふ」

「えっと、あの……あ、もしかしてお手伝いさんですか?」

「えぇ、えぇ、そうですとも」


 昨日の夜、シグルド様が言っていたような気がする。

 もう一人お手伝いさんがいるから明日仕事を教えてもらう云々……。

 つまりわたしの先輩だ。

 わたしは慌ててベッドから飛び降りて平身低頭になった。


「はみゅっ、し、失礼いたしました。わたし、アンネローゼ・フランクと申します」

「これはこれはご丁寧に。(わたくし)はシャムナ・ラッセル。気軽にシャム婆と呼んでくださいな」

「はい、シャム婆様…………ん? ラッセルって」

「あぁ、愚息(ジョン)と会いましたか。いやだわ恥ずかしい」


 シャム婆様は頬に手を当てておっとり首を傾げた。


(わたくし)たちラッセル家は代々ロンディウム家に仕える家系でして。本当なら側付きの役目もあの子が継ぐはずだったんですけどねぇ……あの愚息、執事の真似事なんてごめんだーなんて言って飛び出してしまって。まったく親不孝ったらありゃしない」

「はぁ……」

「あら、身内の恥を晒してしまったわ。とにかく、これからよろしくお願いしますね」

「こちらこそお願いします。シャム婆様」

「はいな。さて」


 シャム婆様の目が光った。

 なんかこう、ギラリと。すごい目つきで。

 気のせいかしら。ルーク様とは違う感じで頭の先から足の先まで見られてるような。


「ふむふむ。ほうほう。これはなかなか……磨けば光る原石。腕がなるわねぇ」

「えっと」

「アンネローゼさん、あなたお風呂は入りましたか?」

「い、いえ! 昨日は身体を拭いただけで……」

「なら入りましょう。すぐ入りましょう。健全な心と身体はまず身だしなみからです」


 お風呂。嬉しいけど、ちょっと気後れする。


「あ、朝からお風呂ですか……? そんなわたしなんかに勿体ないような」

(かぁ)っつ!!」

「ひいいいいい」


 雷が鳴ったみたいだった。

 シャム婆様は災魔(レギオン)のような怖い形相でわたしの言葉を遮った。

 す、すごい声だわ。

 思わず腰を抜かして尻もちをついちゃった。


「シグルド様の侍女とあろうものが、おのれを貶めるなど言語道断! 貴女自身の価値はシグルド様の価値にもつながるのです。誰に仕えているのか胸に刻みなさい。そして恥を知り、誇りを持つのです! いいですね!?」

「は、はひ! 申し訳ありません!」


 ピンと背筋を伸ばして立ち上がる。

 一拍の沈黙。

 シャム婆様は険しい表情を一転、柔らかい表情で微笑んだ。


「いいのよぉ。次から気を付けてくれれば」

「はみゅ」

「さ、お風呂に行きましょうね。うふふ。これは磨き甲斐がありますよぉ」


 ご機嫌な様子で歩き出したシャム婆様。

 歩き出した彼女の後ろにおずおずと続きながら、わたしは決意した。


 この人を怒らせるのは絶対にやめよう、と。



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