第九回 刺客道(前編)
肌が痺れる感覚があった。
それは、大入村を出ると同時に始まった。
尾行けられている。それも、明確な敵意を抱いてだ。
「貞助」
「へぇ」
「いるな」
「そのようで」
清記も貞助も、唇を動かさずに話している。これで、唇を読まれる事は無い。万が一の注意である。追跡者の中に、黒脛巾組がいるかもしれないのだ。
「数は判るか」
「へぇい。犬が五匹。前に三匹、後ろに二匹。武士じゃねぇですね。破落戸のようで」
「ご名答」
「旦那、試したんでございやすね、あっしを」
「当たり前だ。これから、私の背中を預けるのだぞ」
すると、貞助が歯を剥き出して不気味に笑んだ。
「夜須に名高い剣客の背中を預けられて、あっしは忍び冥利に尽きますぜ」
「喜ぶのは早い。何処か手頃な場所で、追跡者に敢えて襲われよう。そこでお前の腕前を見定めるつもりだ」
「おお、こりゃ寺子屋のお師匠さんより厳しいや。雷蔵さんがお可哀想だ」
雷蔵の名を出され、清記は鼻を鳴らした。夜須を出て、雷蔵を思い出したのはこれが初めてだった。雷蔵は自分が不在の間の平山家を頼んでいるが、三郎助や磯田を付けてあるから、まず間違いはないだろう。
陽が暮れかかった刻限。葦が群生する湿地の傍を通る小道に差し掛かった。
襲ってくるなら、まずここだろう。人通りは無く、近くには民家も無さそうだ。
「そろそろ来るだろう」
「楽しみですぜ。全員始末するんで?」
「一人は生け捕ろう。後は痛めつけるだけでいい」
「なんだ。殺さねぇんですかい」
清記は、つまらなさそうにする貞助を無視した。嫌な男ではないが、どうやら人殺しが好きなようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
前を塞がれた。
二人。すかさず背後には三人が固めた。よく躾けられた犬である。
「私に何か?」
「面、貸してもらうぜ」
「それは困る。今から所用があるのでね」
そう言うと、破落戸は薄ら笑みを浮かべた。五人とも若いが、狂犬のような顔をしている。
「お前さんの都合は関係ねぇんだよ」
「誰に頼まれた。久右衛門か?」
「へへ。言うかってんだ」
懐に、脇差を呑んでいる。それに手を掛けないのは、生け捕りを命じられているという事か。だが、それが甘い。この五人は喧嘩慣れはしているだろうが、相手の力量を測るまでの力が無いのだろう。こうした向こう見ずは、往々にして早死にする。
「旦那、こ奴らに聞いても無駄ですぜ。どうせ小銭を掴まされて働いている犬でござんすよ」
貞助が言った。ありがちな挑発だと思ったが、破落戸はそれに食いついた。五人の視線が、一斉に貞助に向いた。当の貞助の表情は変わらない。
「おう、犬だと? 言うじゃねえか」
「犬を犬と言って因縁つけられるったぁ、何とも生きにくい世の中だねぇ」
「貴様」
一人が拳を振り上げ、前に出た。が、次の瞬間には、その男は腰から崩れ落ちていた。
「ほう」
背の低い貞助が振り上げた掌底が、牙顎を打ったのだ。清記の目にははっきりと捉えたが、残った四人は手妻を見たかのように唖然としている。
「一人は捕えろよ」
「へぇい」
それが合図になった。清記はまず目の前の男の霞を掌底で軽く打ち、続いてその横の男の襟を掴み腰を払った。
背中から落す。堅い地面に叩き付けられた男は、暫く息を吸う事が出来ないはずだ。
「えげつないですねぇ、旦那」
貞助も一人を気絶させ、もう一人の手に縄を掛けていた。これも早業である。
「お前も合格だ」
「そりゃ、嬉しゅうございます。あっしは殺しが得意でして」
清記は、捕えた男に目をやった。あっという間に叩きのめした事に怖れをなしている。
「こんな雑魚で片付けられると思われたのが、何とも癪でございますねぇ、旦那」
「そうだな。どうやら久右衛門は我々の力量まで把握をしていないみたいだ」
「で、どうしやす? 拷問でもしやすか? 手前味噌でござんすが、あっしはそれも得意でして」
「どうやら、そうも言ってられんようになったようだ」
清記は、道の先に目をやった。強烈な殺気を感じたのは、それからだった。
「本命の登場か」
武士だ。打裂羽織に野袴姿。武芸者の風貌をしている。身綺麗にはしているが、城勤めとは思えない獣臭を感じた。
(始末屋か……)
久右衛門は、もしもの為にこの男を用意していたのだろう。
「こりゃ、あっしの手には負えませんぜ」
口減らずの貞助も、苦笑いを浮かべるほどの男だった。殺気。圧力。その男が近付いて来るだけで、清記の肌は粟立った。
「並みじゃございませんぜ、こりゃ」
「そのようだな」
清記は、扶桑正宗の重みを意識した。どうやら、斬る以外に道は無さそうだ。
正対すると、意外に背が低く清記は驚いた。大きく感じたのは、この男の氣が並々ならぬものだったからだろう。
歳は三十ほどか。癖毛の髪を纏めているからか、鳥の巣のようになっている。
「貴殿は?」
「……」
「久右衛門にでも雇われたか?」
「……」
「始末屋か?」
それにも答えない。ただ、男は表情も変えずに、懐に手をやった。
「平山清記」
そう記された書付けを、男は清記に掲げた。
「おぬし、唖か」
それに、男は初めて頷いた。口の動きで読んだのであろう。
(しかし……)
栗原伴内ではなく、本名で呼ばれた。やはり、こちらの動向は全て久右衛門に筒抜けという事だ。誰が、何故。それを考えるのが、差し当たり目の前の刺客を屠った後だ。
「私が、平山清記だ。立ち合いを所望か?」
男が頷く。
「始末屋としてか? 剣客としてか?」
そう訊くと、男は意外そうな顔をした。それから口元を微かに綻ばせると、腰の刀を二度叩いた。剣客として立ち合う。そう答えたのだ。
清記は草鞋を脱ぎ捨て、着ていた羽織を貞助に手渡した。
五歩の距離。同時に抜き払い、構えた。お互いに正眼である。
男が、息を長く細く吐いた。心気を整えているのだろうか。
勝負は一瞬。予感めいたものを、清記は感じた。おそらく、白刃を重ねる事は無い。一瞬にして、どちらかが斃れる。それほどの実力が、この男にはある。
男が、暗い眼差しを清記に向けた。沢山の死と悲しみを見つめてきた眼。命に未練は無いと言いたげだった。
いつ死んでもいい。そう思っていた時期が、清記にもあった。そうした日々に終止符を打ったのは、亡き妻であり雷蔵だった。
妻子の為に、死ねない。その想いが清記を変えた。この男には、そうした存在がいなかったのだろうか。或いは失ったのか。
一歩、清記が前に出た。四歩の距離だ。更に、もう一歩。三歩の距離。
刀の切っ先が、触れるかどうか距離になった。男はまだ動かない。清記は正眼から八相に構えを変え、丹田に氣を込めた。そして放つ。それでも男は微動だにしない。
闇。ふと、そう思った。男は静寂という名の闇の中で生きている。故に、ここまで不動を貫けるのだ。
(斬れるのか、私に)
揺らいだ。自信が、揺らいだ。その瞬間だった。
男の氣が、爆発した。清記はそれを全身で受ける形になった。
邪悪な氣の中から、眩いばかりの光が伸びてきた。白刃。清記の身体を貫いた。
構わず、清記は地面を蹴っていた。跳べた。不思議だった。身体を貫いていたはずなのに。
その疑問は、着地しても消えなかった。
夢だろうか。そう思ったが、男は肩口を裂かれ倒れていた。
「名を」
清記は這うようにして、男の傍に寄った。
「……」
「その腕、名無しで死なすのは惜しい」
すると、男は襟の裏を見せた。
寺尾惣十。そう書かれていた。何故、そこに名を記していたか判らないが、清記が頷くと、寺尾は満足気に目を閉じた。
強敵だった。相手の心に忍びより、揺るがせる。恐るべき、魔剣だ。世の中には、まだ見ぬ使い手が山ほどいるのだと思い知らされる。
「旦那、傷を」
そう言われ、自分が左の二の腕を斬られている事に気付いた。貫いていたと思ったが、それは掠めていただけだった。
「掠り傷だ」
「膏薬ぐらい塗りましょうや。膿んだら厄介ですぜ」
貞助が取り出した膏薬は、限りなく黒に近い緑色をしている。
「しかし、誰ですかねぇ」
「何が?」
「旦那とあっしの事を喋った奴ですよ」
「一人しかおるまい」
と、清記は鼻を鳴らした。貞助の手当てが終わった。流石は忍びである。慣れた手つきだった。
「やっぱり」
「今から行くぞ。寝ていても叩き起こしてやる」
貞助が、肩を竦めた。




