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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
第四章 末路
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第八回 情欲(後編)

 伊岐須を出た雷蔵は、穂波郡の若菜村に向かった。

 穂波は伊岐須の南、そして内住の北と、ちょうど挟まれており、建花寺村への帰り道でもある。

 この郡は、内住の次に浪人の姿が少ない。百姓の表情も、伊岐須に比べて朗らかに見える。統治を司る藤河雅楽ふじかわ うたが、有能な代官なのだ。その力量は父も認めるほどで、


「雅楽殿は、家老になっても不思議ではない御仁だ。代官として、お前も手本としろ」


 と、言っていた事がある。

 その一言で雅楽という男が気になり、雷蔵はその施政を調べた事がある。

 鷹揚とした施政と、学問の奨励。それが、この穂波郡の特色だと、雷蔵は感じた。万事、形式に拘る父の施政とは真逆だが、百姓の安寧という点では、穂波も内住も同じ所に辿り着いている。

 ただ、気になる噂もある。この雅楽が勤王派ではないか? という、疑いだ。かつて傍に仕えていた者の多くが、勤王の志士となり致仕した事実があるのだ。武富陣内も雅楽の筆頭与力であったし、館林簡陽に至っては帷幄いあくの臣であった。

 それについて、雷蔵は一度だけ父に訊いた。すると父は、


「噂というものに惑わされるな」


 とだけ、答えた。勤王派の疑いは当然知っているが、証拠が無いという事なのだろう。


 若菜村に入った。

 相変わらず、牧歌的な村だ。百姓も雷蔵を見ては、丁寧に頭を下げる。

 村外れにある草庵に訪いを入れたが、返事はなかった。

 突然の訪問である。あの夜以降は、城下の吉原町にある出会茶屋で逢瀬を重ねていた。寡婦の家に出入りする事は、流石に憚られたのだ。村人の目もある。

 しかし、今日は訪ねた。そうしなければ、頭がどうにかなりそうだった。我儘な男だと自己嫌悪するが、それでも眞鶴を抱きたかった。


(手習いではないはずだが)


 草庵に来る前に、慧法寺を覗いて確認はしている。

 暫く待っても返事が無かったので、雷蔵は無粋と思いながらも裏庭に回った。

 眞鶴がいた。文机に向かって何かを書いている。その表情は、どこか熱を帯びていた。それが美しいと思うと同時に、激しい疼きを覚えた。


「恋文ですか?」


 雷蔵は平静を装い、声を掛けた。


「もう、雷蔵様」


 驚いた眞鶴は、書付を仕舞いながら頬を膨らませた。年甲斐もないその仕草は、淑やかな女性を可憐な少女へと変えるものがあった。


「すみません、声を掛けたのですが、返事が無いもので」

「しかし、これはいけませんよ。わたくしは気にしませんが、人によっては失礼になります」


 眞鶴は、手習いの子どもを叱る調子で言った。雷蔵は、もう一度素直に詫びた。

 ただ、それが嬉しくもあった。叱られているのに、嬉しい。胸に去来する不思議な感覚に、雷蔵は思わず笑んでいた。


「何を書いていたのですか?」。

「また叱られたいのですか? そうした質問は野暮というものですよ」


 とは言うものの、眞鶴は呆れ混じりの笑みだった。


「野暮ですか。確かに私は、そうした機微に疎い」

「そうですわね。雷蔵様は、何処か浮世離れしていますわ」

「私は藩校にも行かず、全ての学問も剣術も建花寺村で学びました。当然、友もおりません。それが原因ででしょう」

「本当、浮世離れしていらっしゃいます」


 その自覚はある。だからとて、今更この性格はどうする事も出来ない。御手先役として、代官として、やるべき事をやればいいと諦めている。


「しかし、知りたいですね。眞鶴殿がどなたに手紙を書いているか」

「亡き夫の義兄上様ですわ。文が届いたので、そのお返事を、と。義兄上様は、よく気遣ってくれるのですよ」

「なるほど」

「恋文かと思いました?」

「他の男への恋文であれば、嫌だとは考えました」


 縁側に腰掛けた雷蔵は、恥ずかしくなり鬢を掻いた。


「長くお会いしていない、そんな気がいたします」


 眞鶴が、雷蔵に寄り掛かってきた。


「わたくしに飽きたかと」

「私が? まさか、眞鶴殿に飽きるなど」

「冗談ですわ」


 不意に唇が重なってきた。柔らかい、舌の感触。そのまま、奥の部屋へとなだれ込んだ。


「血の臭い」


 愛撫を重ねながら、眞鶴が囁く。雷蔵は、気のせいだと答えた。


「お慕いしております」


 溜まっていたものが、一気に放出するかのようなひと時だった。身体を乱暴に扱っている。その自覚はあったが、湧き立つ欲情に歯止めが効かない。


(愛しい)


 眞鶴の熟れた肉体に溺れながら、何度もそう思った。


(放したくはない。渡したくもない、誰にも)


 しかし、眞鶴との関係に将来が無い事も、その一方で承知していた。身分が違うのだ。どう足掻いても、彼女を妻に迎える事は不可能である。父がまず許してくれない。


(正室は無理でも、妾には出来る)


 しかし、それは身勝手な欲望だ。眞鶴の気持ちを考えない、侮辱にもなる。


「似ています」


 情事ことを終えた後、眞鶴が何の脈絡もなく言った。

 褥の上で、汗ばんだ身体を二人並んで投げ出していた。


「誰とですか?」

「夫と」

「私がですか」

「雰囲気とか、横顔とか。夫も俗世に疎いお人でした」

「どのような人だったのですか?」

「自分の気持ちや考えを、滅多に口にしない人でした。愛されていると思えないほどに。でも、死んだ後に、あの人が何を考え、何を望んでいたのか知りました」


 それ以上、眞鶴は何も言わなかった。

 翌朝、また起き抜けに交わり、朝餉を摂って村を出た。

 別れ際に、また暫く会えないと伝えた。これから一旦屋敷に戻り、明日からは新たな郡で浪人狩りをする予定にしているのだ。

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