第六回 潜伏(前編)
女を抱いた。
山人の女である。夜、雷蔵の天幕に現れて諸肌になった。惚れてはいない女であるが、雷蔵は女を押し倒していた。女が何故自分に抱かれようと思ったのかは判らないが、それを拒むほど潔癖でもない。
内住郡南部の山中にある、集落である。山人の大半は帰化したが、山霧のように帰化を拒み、深山幽谷の最深部に隠れ棲む者もいる。今の所は藩庁からの咎めはないが、伊刀児によればそれも時間の問題という事だ。そして、取り締まる側の急先鋒は、帰化した山人だろうとも言っていた。
雷蔵は、与えられた天幕の中にいた。女は一糸纏わぬ姿で、寝息をたてている。
夜だ。外は雨。女の温もりが心地よく、雷蔵は片手で抱き寄せた。
女は、後家だった。夫は帰化に反抗して役人に掴みかかり、斬られたという。今は幼い子が一人いる。そう女は語った。
恐らく、伊刀児の心遣いだろう。銭を渡し抱かれるように頼んだのかもしれない。それがいい事かどうか、判断する気は無い。ただ連日の襲撃で、身体と心は女を欲していた。
夜須藩士を、無差別に襲った。身分の上下は気にせず、利重に近しいかどうかで決めた。中には斉木利三郎のように知人もいたが、構わなかった。敵は栄生利重と、それを奉じる家臣団。そう思い定めている。
(鬼になったのだ、私は)
父の仇を討つ。その為には、冥府魔道に堕ちる覚悟は出来ている。
それでも、利重の首に近付いたとは思えなかった。ただ幾人も斬った、という感覚しかない。貞助によれば、家中の動揺は凄まじいが、ただそれだけだった。
利重が、城を出ればと思う。城内深くにいる限り、討ち入るのは無理だ。父の襲撃を受け、警備が増強されているという。
雷蔵は雨音に耳を傾け、これからの事を考えた。
このまま続けるのか。どこまで続くのか。山霧の間にも、やり過ぎでは? という声が挙がってている。夜須藩士の間に、十分恐怖を植え付けた。そろそろ、やり方を変える時期かもしれない。
では、どうやって利重を討つのか。城に討ち入るのは、死にに行くようなものだ。むざむざ滅びるつもりはない。城から引っ張り出せばと思うが、ここ最近は鷹狩りも視察も自粛しているという。
雷蔵は女を一瞥した。歳は自分よ十は上だろう。日に焼け、歳の割りに引き締まった身体をしている。それでも女特有の柔らかみはある。
雷蔵は、再び欲情の沸き立ちを覚え、女の身体に乗りかかった。
女が目を覚ます。眠いのか、しっかりと目は開かれない。
「すまん」
「ええよ」
雷蔵は唇を重ね、乳房に手を伸ばした。
「以野よ」
「以野?」
「名前。そう呼んで、雷蔵様」
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。雷蔵は近くの沢で顔を洗っていると、伊刀児が近付いてきた。
「大将、昨夜はお楽しみになったかい?」
「あれはお前の指図か」
「まぁね」
伊刀児も並んで顔を洗い出した。
「何なのだ、あの女は」
「以野はな、身体を売っている」
「ほう」
「旦那がいねぇからな。子どもを抱えて暮すにゃ難しい。誰かの嫁にまたなればいいが、難しけきゃ身体を売るしかねぇ。まぁ、それまでの稼ぎだな」
「山人の間にも、そうした事があるのか」
「強制はしねぇがよ」
結局、里人も山人も変わらないという事か。
「そんで大将。今日も誰かを襲うのか?」
伊刀児が話を変えた。
三日前、牧文之進を雷蔵は斬った。この男は利重のお気に入りで、その死は大きな衝撃を与えたようだが、今はその代わりに真部直記という男を呼び寄せ、その代わりをさせているという。自然、次の標的は真部という事になるが、その考えを昨夜のうちに変えた。
「いや、そろそろ次の段階に入る」
「なるほど。山霧の連中も、そろそろ倦んでたんだ」
無差別に藩士を殺す。判っていても、割り切れるものではないのかもしれない。
「で、どうするんだい? 大将」
「決めていない」
即答すると、伊刀児が噴き出した。
「なんでぇ、そりゃ。次を考えてねぇのかよ」
「利重を城から引っ張り出そうとは思うが、亀のようになって動かない」
「城に討ち入るってわけにゃいかねぇからな」
伊刀児が立ち上がり、背を向けた。
「そうだ、大将。暫く俺は留守にするぜ。他の連中にゃ、罠を増やしとけと伝えているがいいかい?」
「何かあったのか?」
「どうやら帰化した山人の中に、裏切り者が出たようだ。藩庁に俺達が内住にいる事をばらしたようでね。俺はその犬を始末しなきゃならねぇ」
「掟か」
「裏切りは死さ」
それから朝餉を摂った。簡単な山菜の粥である。帰化した山人が、内住に潜伏している事をばらした。恐らく、山人の伝手を使って知り得たのだろう。藩庁は、追捕をしてくる。この場所を引き払うかどうか、粥を啜りながら考えた。
(迎え撃つか……)
勿論相手の数にもよるが、一撃を与えるのも悪くない。それだけの力は有している。その前に、女達を逃がす必要がある。それを引き取る集落なり場所があるか、誰かに聞かねばならない。
昼前。貞助が現れた。丸太に腰掛け、扶桑正宗に打ち粉をしている時だった。
「相賀舎人はどうしやす?」
貞助は、前置きもなく言った。
「どうとは?」
「裏切り者ですよ、あいつは。添田様を裏切り、利重の下にいち早く走った犬です」
「そうだな」
「添田様も清記様も、あの裏切りから転落したんですぜ。なら殺るしかないでしょう」
「屋敷の警備も、護衛も重厚だ」
「俺と雷蔵さんが本気になりゃ屁でもねぇですよ。何なら相賀が溺愛する、あの知恵足らずの嫁をかっ攫ってもいい」
「……」
貞助が溜息を吐いて、雷蔵の横に腰掛けた。
「雷蔵さん、相賀を殺す気が無いのでしょう?」
「父上は、相賀を許した」
「初耳ですぜ、それ」
「討ち入った際、父上と帯刀様の前に相賀は立ちはだかった。帯刀様が相賀を投げ飛ばし、父上は息の根を止めなかった。その意味を、俺は考えた」
「で、それが許したと?」
「判らん。だが、だが常寿丸様の為に、能吏の一人ぐらい残さねばと思ったのだろう。そして、俺もそうしたい」
「……そうですか」
「お前が相賀を殺りたいのなら止めはしない」
「いや、止めときましょう。俺と雷蔵さんは一心同体ですからねぇ」
貞助が口許を緩めた。出た前歯が微かに覗く。
「そうだ、雷蔵さんに新たな同志をご紹介いたしやす」
「同志? おい、貞助。俺は聞いていないぞ」
「おっと、こいつは語弊が。〔新たな〕ではなく、〔元からいた〕というのが正確ですな」
と、貞助が手を叩く。頭上から女が舞い降り、雷蔵は声を挙げた。




