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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
第五章 寂滅の秋(とき)
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第十九回 秋霖(後編)

「ありゃりゃ、こいつぁ遅うござんした」


 頭上から舞い降りた貞助が、立ち上がりながら言った。


「急いでお伝えせねばと急いだんですがねぇ、取り越し苦労になったようで」


 貞助の目は、二つになった男に注がれている。


「この者の事か?」

「へぇ、おそらく。どうやら、朝賀が旦那をる気ってのが判りましてね。しかも、忍びのくせして、凄腕の始末屋を数名雇ってんでさ」

「なるほど」


 その凄腕というのが、昨夜の刺客と、この男なのだろう。確かに凄腕だった。それに、この者は念真流を使った。おそらく、平山孫一に関わる者なのだろう。すると、朝賀と平山ひいては利重も繋がってくる。


「旦那、朝賀の奴に何をやったんで?」

「少し話しを聞いたまでだ」

「少しですかねぇ……」

「あやつが、手下を使って私を探っていたのでな。それに廉平の事もある」

「なるほど、なるほど。朝賀は昔から自尊心が強いだけの、無能な奴でしてねぇ。旦那に失禁させられたとならば、仕返しはするでしょうとは思っておりやした」

「やはり、知っておったな」


 すると、貞助が肩を竦めて苦笑した。歯が剥き出しになると、まるで鼠が人間になったかのような顔になる。この顔だから嫁が来ないと言っていた。確かに異相だが、こうしたものは慣れであると清記は思っている。


「なぁに、風の噂でございますよ。薊の事も、芦谷の事も。……まぁ、始末屋の方は大丈夫にしても、身辺は注意して下さいよ。朝賀は始末屋だけでなく、我々目尾組の手下にも旦那の暗殺を命じまして」

「公私混同甚だしいな」

「それで、あっしの所にも来たんですよ、その命が」

「ほう」


 貞助の目が一瞬鋭く光るのを、清記は見逃さなかった。


「って、勘違いしないでくだせい。あっしは丁重にお断りしましたぜ。忍びってのは、首領に従うのが習い性みたいなもんですがね、あっしは旦那が好きですし、添田様の家来と思っているんで」

「それは嬉しいが、命を拒否すれば、お前も危ないのでは?」

「目尾組は、九州浮羽の流れを汲む忍びなんで、裏切りや命令拒否はご法度。今夜にも刺客が差し向けられるでしょうねぇ。幸い、あっしには親兄弟がいないんで、腕一本でどうにもなると気楽に構えているんですが」

「逃げぬのか?」

「添田様がいますからね。今は風向きが芳しくないですし、このまま見捨ててはおけません」

「お前らしくないな」

「……あっしは、好きなんですよ。あのお人が」


 貞助が、珍しく神妙な顔付きになった。この男らしくない、翳りも見える。


「朝賀を斬るか」

「おっと、そいつはあっしに任せてくだせい。ちょいと、妙案がございましてね」

「何だ、その妙案とは」

「いくら旦那でも、聞かせられねぇですね。まぁ楽しみにって事で。朝賀はあっしは潰しますから」


 清記は、貞助から視線を逸らした。その一瞬で、貞助は消えていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 山中で、若い山人達に出会った。

 沢の側である。そこまで山深い場所ではない。

 歳は十六から十二ほど。若い衆のみでの狩猟の最中らしく、弓を背負い手には獲物を抱えていた。

 野鳥、野犬ノイヌ、そして猿である。猪や鹿は穫れていなさそうだ。


「お、代官様」


 若者が声を掛けて来た。一人一人の名は知らないにしても、顔見知りではある。


「沢山穫れたようだな」

「鹿が欲しかったんですが、駄目でした。でも猿が獲れたからいいや」

「旨いのか?」

「滅多に食えねぇんですが、旨いですよ。集落ムレには持って帰らず、俺達で食おうかと話していたほどです。どうです、代官様も?」

「いや、猿はいい」


 無邪気な若者たちに、清記は軽い笑みで応えた。


「これからお楽しみがある中で悪いが、お前達に頼みがある」


 と、清記は僅かな銭を若者の兄貴分に掴ませ、牟呂四に会いたいと伝えた。


「いいですよ。でも、銭はいらねぇです。後で頭領ズメロウに叱られちまいますから」

「構わぬ。ただし、全員で分けろよ」

「いいんですか? 本当に」

「ああ。頭領ズメロウには内緒にしよう」


 兄貴分が、少年の面影が色濃く残る弟分に、素早く指示を出した。この先に、廃寺がある。そこで待つように言われた。


(これで何とかなる)


 牟呂四の集落ムレに辿り着けるか、正直自信が無かったのだ。途中、山人に会えればとは思っていたが、その通りになったのは幸運である。

 廃寺はすぐ判った。沢から少し登った所にある。かつては住持がいた山寺だったか、十年ほど前に賊に押し込まれ寺男共々惨殺されて以来、誰も引き継ぐ者がなく廃れてしまっていた。

 それを、数年前に牟呂四が手を加え、山人が風雨避けに使う避難所に造り替えたのだ。

 山門の下で待っていると、暫くして牟呂四が現れた。


「よう」

「すまんな、わざわざ呼び出してしまった」

「構わんよ。それに言ってくれたら、俺の方から村へ行ったのだ」

「心配するな。最近身体は悪くはない」

「それはいい。痩せたように見えるが、顔色は悪くない」

「日々楽にはなっている。お前が送ってくる薬草や獣肉が効いている気がするのだ」

「それならいいが。どうする? 集落ムレに来るか?」

「いや、二人で話したい」

「判った」


 牟呂四は頷くと、廃寺の奥へと清記を導いた。

 本堂らしき建物に入った。本尊、仏具の類は一切ない。これは賊に押し入られた時に盗まれたのだ。そして、山人は仏を信じていないので、何も置かないのだろう。


「お前が、この時期にわざわざ来るというのだから、深刻な話なのだろう」


 向かい合って座ると、牟呂四が口を開いた。


「そうだ」

「藩主の代替わりに関する事か?」


 清記は頷いた。


「そうか」


 と、牟呂四は深く息を吐いた後、背筋を伸ばした。


「なら、ひと思いに言ってくれ」

「お殿様が、山人の帰属統制を言い出した。里に定住させ、年貢を科す。人別帳にも名前は記される。つまり、山人という存在を無くそうと考えておられる」

「やはりそうか」


 牟呂四が目を伏せた。


「驚かぬのか?」

「驚くさ。驚くが、自分でも不思議なほど、冷静で聞いていられる」

「……その代わりに、他の領民同様に守ると仰せだ」

「俺らは、伊川郷士のような立場になるのか?」


 伊川郷士。戦国の御世に夜須を支配していた伊川氏の遺臣を祖とする者の身分だ。名字帯刀を許され藩卒として任用されているものの、その性質や暮らしぶりは百姓と然程変わらない。むしろ年貢を取り立てられ、かつ公務があれば駆り出される分、貧しく厳しい生活を強いられている。

 その名を聞くと、否が応でも堂島丑之助を思い出してしまう。あの男も伊川郷士だったのだ。丑之助は隠していたが、正規の夜須藩士へ激しい憎しみを抱いていたように思える。それほど、伊川郷士が抱く怨念は深い。


「それは判らぬ。だが、伊川郷士も無くされるであろう。お殿様は全ての民を等しくするという考えだ」

「ったく、大層なお志だよ」


 牟呂四が鼻を鳴らした。


「それで、お前が説得役という事か」

「ああ」

「で、お前はどう思うよ」


 顔を上げた牟呂四の眼に、燃え上がるような怒りを感じた。声色は冷静であるが、やはり内心ではそうではないのだ。


「判らん。が、これが時代の流れかも知れぬとは思う」

「まぁ、そうだろうな。そう思わねばやってられまい」


 牟呂四が境内に目をやった。気が付けば、雨が降り出している。雨足は強く、あっという間に本降りになった。


「山人の祖は、古来天朝に服従しなかった民だ。それだけではねぇ。物部、平家、鎌倉北条、南朝、豊臣。敗れざりし残党の血も入っているらしい。つまり時代から弾き出された根っからの反骨が、我々山人というもんよ。今更、藩の言いなりになれるかってんだ」

「しかし、断れぬぞ」

「ならば、抗うしかない」

「牟呂四。お前はそれでいいのかもしれぬ。だが、女や子どもはどうだ?」

「女だろうが、子どもであろうか、山人である事は変わりない」

「それだけは止めろ。待っているのは滅びだけだ」

「従わないと、お前が俺を斬るのか」

「お前を斬って、全てが解決するのならば」


 清記は即答した。その可能性もあると、密かに覚悟はしていた。


「俺はお前を友達と思っている。その俺を斬るとお前は言うんだな」

「待て、牟呂四。私は斬りたくないから、此処まで来たのだ。それは判ってくれ」


 牟呂四が腕を組んだ。だが、視線は清記から逸らさない。清記もまた牟呂四を見据えたままだ。


「全てを等しくと言ったな」

「ああ」

「教えてくれ。押し付けられた等しさが、果たして本当に等しいと言えるのか」

「……」


 返す言葉が無かった。牟呂四の言葉は核心を突いているのだ。強制された平等は、平等ではない。少なくとも、山人のままでいるか里人になるのか、それを選ぶ自由が無ければ、平等とは言えないのかもしれない。


「安心しろ、清記。俺はまだ戦うとは決めていないし、友達の顔を潰すような野暮な真似はしねぇよ。とりあえず、夫雄フオウにも話してみるつもりだ」

「そうしてくれ」


 雨音は、更に強くなっている。どうやら、今日は此処に泊まるしかない。


「降り出したなぁ、清記」

「秋霖だ」

「これでは山も下りれんし、集落ムレにも行けん」

「話し合う時間だけはあるな」

「思い出話もしようじゃねぇか。そうだ、ほらお前と俺で賊徒を打ち倒した時の事を」

「お前と俺、ではない。他にいたさ」


 そう、仲間がいた。廉平、武富陣内、そして奥寺東馬。

 皆、もういない。廉平は依然として行方不明で、陣内も東馬もこの手で斬った。


(その上、牟呂四まで……)


 それだけは、避けねばならぬ。


「酒がないと語り尽くせんよ」

「それがな、酒ならあるぞ」


 牟呂四が、腰に吊るした竹筒を差し出した。


「すまぬな」


 受け取り口を付けると、強烈な苦みに舌が痺れた。牟呂四が、してやったというように微笑む。


「謀ったな」

「山人の秘伝薬だ。滋養強壮、身体の中の毒も抜く」

「どうしたら、斯様な味になるのだ」

「それを訊かぬは、御身の為でござる」


 わざとらしく武士言葉を使う牟呂四に、清記は舌打ちで返した。

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