3月24日 会長の憂鬱 (1.5k)
大口出資者の方への挨拶回りから帰ってきた昼過ぎ、リビングにて直近の収支の確認をする俺は、【錬金術研究会】のラッシュ会長。
魔法と技術の組み合わせで、石油に依存しないエネルギー源を生み出すことを夢見て起業した中年だ。
俺が魔法を初めて見たのは、8年前。
あの頃は親父と一緒にヴァルハラ平野西側で農家をしていたが、その年は害虫が大量発生して麦畑が大変な事になった。
当時有効な対処法が無くて絶望感を感じていたところ、山間部に住んでいる獣人達が害虫駆除を手伝ってくれた。
彼等のおかげで畑の害虫はほぼ全滅し、収穫の見通しを立てることができた。
そして、その時に彼等は火を起こす魔法【火魔法】というものを見せてくれた。そんな物が実在したのが俺にとっては衝撃だった。
ユグドラシル王国には石油資源が無い。だから発電所で使う石油をエスタンシア帝国に頼んで売ってもらっている。
そういう外交上の弱点があるが故に、我がユグドラシル王国はエスタンシア帝国からの要求を断れない。だから、政治も民意や国民の利益よりも外圧への対応が優先されてしまう。
こんな国家関係が健全では無いことぐらい俺にだってわかる。
燃料無しで火を起こすことができれば、そして、その火で発電所を稼働することができれば、石油は外交上の弱点ではなくなる。エスタンシア帝国と対等の関係を築ける。
これの実現は、ユグドラシル王国でこれからを生きる子供達に対する義務だと思った。
残念ながら俺は魔法を習得することはできなかった。
しかし、原理的に可能であれば、どんな物でも製作可能であることを俺達は知っている。
彼等の見せてくれた【火魔法】を技術の力で再現する。
それが、俺の夢になった。
6年前、些細なことで近隣農家との軋轢が生じ、俺と親父は土地を追われた。そして、その時のストレスが原因で親父は他界。
孤独になった俺は暫くは日雇い労働者として職と住処を転々としていたが、東ヴァルハラ市の酒場でソンラインとロクリッジに出会い【錬金術研究会】を結成した。
元農家のコネや、物好きな金持ちから寄付金を募り、細々と研究を続ける日々。
【魔術師】不在ではできることは限られていたが、ロクリッジ技師長は魔法学や過去の文献から地道に研究をしてくれた。
そして、魔法が使えるヨライセンが加わったことで、研究は一気に進んだ。
3日前の出資者定例会では、【魔術師】参加後の最初の定例会で成果の発表が無かったから散々罵倒されてしまったが、定例会の発表のためにロクリッジ技師長の時間を割くわけにもいかない。
俺は夢追い人だが、そこまで技術に明るくない。それに対して、ロクリッジ技師長はできる奴だ。彼になら、俺の夢を託せる。
そのためになら、罵倒されても土下座して資金を集めるのが、俺の仕事だ。
とはいえ、出資者の方々もしびれを切らしている。
ヨライセンに給料も出したい。
そして何は無くとも、俺達の食費は確保しないと本当に飢えてしまう。
板前を目指しているソンラインは安い食材から美味い料理を作ってくれる。今まで食いつないでこれたのも彼のおかげだ。
ロクリッジ技師長には貴重な資金を有効に使うために、コスト意識を徹底するように厳命している。
材料を購入する時は、複数の購入ルートから相見積もりを取得して適正価格を判断し、融通が利くところとしっかりと価格交渉してから注文するようにと。
今ある資金で数カ月は持ちこたえないといけない。
さて、今日の出納帳を付けるとするか。
今日の分の伝票を机に置いて、戸棚の中の金庫を開ける。
【残金ゼロ】
どういう事だ!
慌てて伝票の束を漁る。
「…………」
ロクリッジの奴か! あれほど、せめて相見積もりだけは取れと言っておいたのに、即決で言い値で大量買いしたのか!
「ロクリッジ! 何処にいる! ちょっと来い。今すぐ来い!」
ドタバタドタバタ
●オマケ解説●
経営者って言うのは何よりも資金繰りが大事な仕事。
メンバーを飢えさせないために日々必死です。
情け容赦ない出資者からの圧力に晒されているからこそ、ついメンバーにも厳しく出てしまうことはあるけれど、メンバーを信用しているからこそ辛い日々をがんばれる。
そんなリーダーの苦労が報われる社会であってほしいよね。




