3月 6日 北の希望(1.4k)
エスタンシア帝国の北側に位置する、エスタンシア川流域の北部平野。
かつてはユグドラシル王国とエスタンシア帝国で消費される穀物の大半を生産していた穀倉地帯であったが、今は【豊作1号】乱用の影響で荒野となっている。
草一つ生えない荒野の中に狭い範囲ながらも雑草が生えている区画があり、その中に人が仰向けで寝そべっていた。
【豊作1号】の開発者の1人、カタリン研究員である。
「仕事より、情熱。いや、もう執念ね……コレは」
作業服姿で雑草の上に仰向けに転がる。
そんな彼女の雑草の上に投げ出した手足は、酷く瘦せ細っていた。
「でも、私は勝った。ワイズマンにも見せてやりたいわ」
晴れわたる空を見上げて、彼女は勝ち誇ったようにつぶやいた。
右手では、雑草を撫でている。
【豊作1号】の分解生成物で汚染され植物が生育できなくなった大地で、芽を出した植物。
彼女は北部平野の食料生産能力を回復させるため、薬剤耐性作物の研究を続けていた。この雑草は、研究の成果である。
「この草と、麦を交配させれば、【豊作1号】を連用しても栽培できる麦ができる。食料問題は、解決できる」
夢を語る彼女に対して、現実は非情であった。
エスタンシア帝国の食糧事情はひっ迫しており、ユグドラシル王国から輸入した小麦と昆虫食だけが頼りとなっていた。
しかし、2週間前にエスタンシア帝国領土内で発生した戦闘により南北の物流網は寸断され、首都カランリアより北側に食料が届かなくなった。
餓死を避けるため、北部平野の住民の大半は食料が流通しているヴァルハラ川沿いの大都市に疎開したが、彼女は研究継続のために1人この地に残った。
そして物流網が復旧しないまま時は流れ、備えていた保存食や非常食も枯渇。
彼女は既に1週間何も食べていない。
「ウォーオーク族の厄介な置き土産とも、これでオサラバ」
栄養失調で動く気力も失い、意識朦朧としながら彼女はつぶやく。
【豊作1号】実用化のきっかけとなった害虫の大発生は、原住民の【鬼人】であるウォーオーク族の根絶が発端だった。
北部山岳地帯に集落を構えていた彼等は、大柄な体格とは裏腹に山林や草原で採取した昆虫を主食としていた。
北部山岳地帯の広範囲で昆虫を食べていた彼等がエスタンシア帝国軍に根絶されたことにより、生態系のバランスが狂った。
突如天敵を失った昆虫が、北部山岳地帯で過剰に繁殖。
それが北部平野の穀倉地帯に流れ込んだのが、害虫大発生の原因であった。
「人間の英知は、自然を制することができる。厄介なウォーオーク族にも兵器技術で勝った。害虫にも【豊作1号】で勝った。そして、害虫にも雑草にも強い、新しい麦を作り出すところまで来た」
【豊作1号】と組み合わせれば、害虫や雑草の影響を受けることなく栽培が可能になる。従来の栽培方法よりも高い収量が望める。
そして、その種と【豊作1号】は継続的に莫大な利益をもたらす。
彼女の頭の中には、品種改良した薬剤耐性小麦による大規模農園の構想があった。
「……残念ながら、私は……完成を見届けることはできない。だけど、私の子供達に、この種を残すわ」
栄養失調と低体温で、彼女の体力は限界を迎えていた。
「私の亡骸を肥やしにあげる。だから、育って……」
青空を見上げていた彼女は、枕元の草に視線を降ろしてつぶやく。
「いつか、誰かが、完成させる。私の最後の研究成果、【北の希望】を……」
●オマケ解説●
技術とは、自然の原則の上に成り立つもの。
人が創った物とは、自然の原則より創り出すことを許された物である。
技術者たるもの、原理原則に対する敬意と感謝を忘れてはいけない。
わきまえることを忘れて、自然を制するなどという傲りを語れば、手痛い報いを受けることになります。




