だから彼女はキューピッドにならない
きっと心のどこかで、私は未だにこの世界を現実であるとは認められていなかった。
ここはゲームの中の世界。だからこそ、私はまるでコントローラーを握るプレイヤーのように、自分の望むように周囲の好意を動かそうとした。今思えばなんて傲慢なのだろう。斎様の事だって、ゲームとは性格が少なからず違う、と分かっていたはずなのに。
だからこそ、斎様に向ける好意に恋愛感情を見付けられなかった。届かないものを抱いても仕方が無い。それなら、画面の向こうに向けるオタク心でお側にいられる方が大いに幸せだった。
そんな私が、今目の前にある世界を、斎様を、兄を、愛花ちゃんを、全て現実だと認められた。その結果、行き着く先は一つだけだった。
どうしよう、斎様が理想過ぎる。
性格や内面に関しては、十年間変わらぬオタク心を抱かせるくらいなので言わずもがな。その外見がまた、堪らなく好みだった。そりゃあもう、マイナスポイントなんて何一つ見付けられないくらい。
凛とした綺麗な横顔が好きだ。振り向いて微笑んでくれたらもっと好きだ。私の話に耳を傾けて、優しく馬鹿なんだから、って頭を撫でてくれる手が好きだ。ときどき寂しげに目を細めるその表情に堪らない気持ちになる。
そんな、喜びや切なさは、全て斎様が私の目の前で、現実に存在し得るからこそ感じるものだった。それに気付いてしまえばもう、斎様をただのご主人様なんて、ましてや他の女の子を勧めようなんてとても思えなかった。
それなのに、
「斎様!好きです!大好きです!!」
「何だか、ここ数日で更に性質が悪くなったな…」
登校中に人目も憚らず告白した私に対し、斎様は目を逸らして大きな溜息をつくと、実に爽やかに微笑んだ。とても素敵な笑顔だが、斎様らしくないそれに不穏さを感じてしまう。
「人がどれだけ我慢してると思ってるんだか」
「いっ!痛い痛い痛いです!」
上から押さえつけるように頭頂部を掴まれてぎりぎりと力を込められる!酷い!でも、私の頭を掴めるくらい手のひらの大きい斎様にそれはそれでときめく!
「さあ、余計な事言ってないで登校するよ」
「よ、余計!?私の真摯な想いを余計!?」
「それは俺が欲しいものじゃない」
「そ、そんな事は!?」
いやいやいや、こう言うとすごく自惚れ発言だと思いますが、斎様は私を好きなんですよね?兄にしっかり確認したもの。むしろ、私の事を好きでいて下さっているのに、私がそれにさっぱり振り向かないから大層お怒りだと。そして、その事を自覚して斎様の返答に耳を傾けると、やはりそういう意味での発言が多く聞こえる。
たぶん相思相愛のはずなのに何でこうなってるのかなあ!もう、かれこれ一週間ほどこのやり取りを続けているけれど、一向に届く気配がない。そう嘆けば、兄に自業自得だと溜息をつかれました。だってだってだって仕方ないじゃないですか!知らなかったんだもの!
「し、紫緒ちゃん。顔怖いよ?」
休み時間に廊下で立ち話をしていた愛花ちゃんが、少し怯えながら私を案じる。愛花ちゃんに呼び出され、教室の前で案の定兄の事について情報収集をされていたのだが、ふと教室内に視線を向けると斎様がクラスの女生徒に囲まれていたのである。
見た事のある光景だった。中学二年生のときで、私がインフルエンザで一週間以上学校を休み、久しぶりに登校したときの事だった。いつもそばにいて女生徒を威嚇していた私がいない隙に、チャンスと言わんばかりに沢山の女生徒が斎様に近付いていたのである。何せ、斎様は黙って着席しているだけで絵になる、極上のイケメンである。それも、いっそ蔑視さえ持って他人、特に女性を拒絶していたゲームの斎様とは違い、現実の斎様はそれなりに相手の存在を認めている。近付きたいと思う女性が多いのは至極当然の事なのだ。
そのときは、すぐに群がる女生徒を蹴散らして事なきを得たのだが、今回もまた、私が動揺の余り斎様を避けていた内に『近付ける』と思われたらしい。最近ではいつも、私が斎様から離れるとこの調子である。
「だ、大丈夫だよ、紫緒ちゃん!篠宮君の彼女は紫緒ちゃんなんだから!」
「愛花ちゃん…」
残念ながら彼女ではありませんけどね!それも私が悪いのですが。しかも、最近ようやく自分の中に恋愛感情を見付けたのに、全く信じてもらえませんがね!
「ね?心配する事ないよ」
安心させるように、愛花ちゃんが微笑む。その純真な笑顔の可愛さといったら。兄のものになるのが惜しいと思える愛らしさである。私が男なら例え斎様や兄と闘ってもアタックしたに違いない。恋は脊髄反射でするものだと思っている。好きの気持ちはどうしようもないのだ。
愛花ちゃんに癒されながらも女生徒に囲まれる斎様に視線を向けると、ふとその視線に気付いたらしい斎様が周囲の女生徒に断りもなく立ち上がり、こちらに歩み寄る。すぐに廊下へ出て私の目の前に立つと、じっと見下ろす。愛花ちゃんはまるで良かったね、とでも言うように微笑んで、静かに立ち去って行った。
「どうかした?」
「あの、別に何でもないです……」
見ていただけだ。そうりゃあ、多少雌豹達に嫉妬という名の敵愾心は込めておりましたが。
「そう?何か、寂しそうだったから」
そう言って、私の頭をゆっくりと撫でる。その瞬間に、胸の中から湧き上げってくる、何とも言い難い感覚。ああ、ずるい人だと思う。どうして、嫉妬に染まった怖い顔の中からそんな感情を見付けてしまうのだろう。どうして、そんな些細な事で、わざわざ立ち上がって来てくれるのだろう。好きにならない訳が無い。今となっては、どうして自分の気持ちに無い物として蓋を出来たのか不思議でならなかった。
こんな風に大切にされて、特別に思えない訳が無い。
早く届けないと。そうしなければ溢れ出すようなこの気持ちに、溺れてしまいそうだった。
シチュエーションがダメなのかもしれない、と思った。いつもの日常の中で、元気を込めて言うのがいけないのかもしれない、と。
確かに乙女ゲームも少女漫画も、告白は人気の無い所でしんみりとするのが定石だ。稀に人前でするものもあるが、どちらかというと少数派だろう。
だからこそ、私は好意を叫ぶのを止め、斎様を閉鎖されている屋上の扉の前に呼び出してみる事にした。掃除用具入れなどが置いてあるだけで、埃っぽいものの誰も近寄らないそこは告白には打ってつけに思えた。そこに至るには短い階段だが踊り場があり、廊下の上にこのスペースがくる形なので、廊下からは当然こちらも見えない。
ちなみに、中庭、裏庭は一番に候補から除外した。放課後にそんな所をうろついて、もしも兄や愛花ちゃんに遭遇したらとんでもない悪夢である。
「い、斎様………あの、わ、私、あの、い…斎様が……好きです」
そして、しんみりと心を込めて告白した。至極真面目に、自分でも真っ赤だろうと分かる顔で、震える声で告白した。
胸を両手で押さえ、恥ずかしさから俯きがちに告白すれば、斎様はその両手を掴み、ゆっくりと引き寄せる。どこまでも優しく微笑んで、
「紫緒」
噛みつく。………え?
「ぎゃああああああ!」
噛み噛み再び!噛み噛み再び!思い切り首筋を噛まれました!猛烈に痛い!これ地味に長く痕が残るのに!哀しい事に経験者だから分かる!赤紫の痣が残る!
「どれだけ、俺を弄べば気が済むのか………」
「も!弄んでないですよ!?」
むしろかなり真剣な、人生初告白だったのに!前世も含めて!
斎様に両手を解放され、慌てて傷の具合を確認する。うわぁ……生温かい。斎様の唾液ならぶっちゃけ萌えますが、自分の血液だったらと思うと怖くて確認出来ない。
へたり込んで傷の具合に怯えていれば、斎様もしゃがみ込んで私と目線を合わせる。その顔が、何故だか複雑に歪んでいた。まるで、堪えられないとでもいうように苦しげに。
「どうして、急にそんな事を言いだしたんだ。これなら、まだ前の方がましだ」
「え?」
突然の言葉に目を丸くする。その間も、斎様の表情は苦しげなままで。私から目を逸らし、何だか切なさまで感じられるその顔は、まるで小さな子どもみたいに頼りなくも見えた。
「期待する。でも、そうじゃないと分かっているから、堪えられない。甘い餌だけをちらつかされる方が、残酷だ」
斎様はそう言って、立ち上がる。けして、一度も私と目を合わせないまま、私に背を向ける。まるで、私の何もかもを拒絶するように。
「しばらく、距離を置こう。感情を抑えられるようになるまで、少し待って」
そうして、斎様は私から目を逸らしたまま、階段を下りて歩き去ろうとする。私から離れて行こうとする。当たり前みたいにそばにいてくれたあの人が、当たり前みたいにそばにいさせてくれたあの人が、私を初めて拒絶する。あんな、哀しい顔で。
このまま、行かせてはいけないと思った。このまま距離を置いてしまえば、きっとこの溝は埋められない。斎様がずっと、遠くへ行ってしまう。
あの幼い日、貴方がいるから、この世界をそのまま受け入れる事ができた、のに。
私は反射的に立ち上がりながら、そのまま勢いに任せて斎様に手を伸ばした。階段を下りようとしていた斎様は、慌てて私を受け止めると勢い余って壁に背をぶつけ、階段の途中で座り込む。
「あっぶな……二人とも転がり落ちかねない。紫緒、何をす……」
斎様の言葉が不自然に途切れる。原因なんて、私が一番よく分かっている。何故なら、圧し掛かるような形で私が斎様の口を塞いだからだ。それも、自分の口で。所謂『キス』と呼ばれる行為である。
極短い時間で唇を離せば、珍しく呆気にとられたような顔で、斎様がこちらを見上げていた。私は、泣きたくなるくらいの羞恥心を抑え込み、おそらくは真っ赤な顔で斎様の上に跨ったまま、宣言する。
「私、斎様が好きです。大好きです。貴方と一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。出来るならキスだってしたい。そういう風に好きです。私、貴方に恋をしているのです」
そこまで言って、感情の昂りを抑えきれずに涙が溢れて来た。どうやら、人は精一杯追い込まれると涙が出てきてしまう生き物らしい。何だかもう、感情が暴れ過ぎて制御できない。
「斎様は、私の事を好きですか?」
言葉を失っていた斎様は、呆気にとられた表情のまま、呆然と口を開く。
「………好きだ。他の人間なんて、考えられないくらい」
その、呆然とした様子だからこそ、どこまでも本心だと分かる言葉に、私は思わず笑みが滲んだ。
ずっと、色んな人から斎様の好意を教えられていたけれど、こんな風に真正面から斎様本人に『好き』だと言ってもらえたのは初めてだった。それが、どうしようもなく嬉しい。
「紫緒、本当に?」
「もちろんです!もう疑わないでくださいね」
「紫緒は、俺の事を男として好き?」
「はい、男の方としても、どんな風にでも斎様が好きです」
それが斎様であるならば、私にとって何よりも愛おしいと思う。そんな思いを込めて、微笑んだ。すると、斎様も呆然とした顔から力を抜いたような微笑みを浮かべ――――――何故か、急に真顔になる。
「えっ、ちょっ、な、何ですか?何だか言いようもない不安を感じるので…」
すが、という言葉は斎様に飲み込まれた。キスをされたのである。正直、まだまだ羞恥心で溢れ返っているが、嬉しくない訳ではない。しかし、私の先程の不安感は的中した。
「ちょっ、ちょちょちょっとぉおお!な、何で、服の中に手を突っ込もうとしてるんですか!?早い!早すぎます!」
「紫緒に遠慮や気遣いを持てばこの手をすり抜けていってしまう事はよっっっく理解した。なので、ちょっと身体に分からせようかと」
「わあ、立派な悪役台詞!でも勘弁して下さい!というかここ学校!いや、場所変えれば良いってものでもないですが!」
人気が無いとはいえ騒がしく言い争い、何とか斎様を説得した頃には、私は肩で息をしていた。何だろうこの疲労感は。斎様はらしくもなく、思い切り音を立てて舌打ちをしているし。
「いい加減、さっさと覚悟決めようか」
いや、そんな簡単に決めて良い覚悟ではありませんよ!?
こうして、私は何とか自身の気持ちを斎様に受け取ってもらえる事ができた。私達は晴れて恋人同士となったのである。斎様に言わせれば、婚約者でもあるとか。
しかし、これからの日々はあれだけ憧れていた甘い恋人生活ではなく、私の貞操をかけてかなり本気の攻防戦を始める事になるのであった。
え、えーと、あれ!?恋人ってこんな風に殺伐としたものでしたっけ!?
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
これにて完結です。
とりあえず完結だけ目指し、何とかこぎつけました。
途中から完璧に乙女ゲーム関係なかったけども!その自覚はあったけども!まあ、前提として必要ではありましたが、ハーレムをする気もなかったので仕方がない、という事でいかがかな、と。
そんなまあ、ノリと勢いによってぶれまくるお話でしたが、何とか完結までこぎつけました。それもこれも、読んで下さる皆様のおかげです。
心から感謝致します。本当に、本当にありがとうございました。




