シチュー
「絶品ですわぁ!」
ストロガノフ王国王宮の食堂に、アビゲイルの声が響いた。
クローディア達の食事は、会食室の縦に長いテーブルを使わないことが決って以降、王宮内の色々な部屋が会場とされていた。
今回は、部屋としては広い食堂に、人数分に必要最低限の椅子と机を用意しての昼食となっていた。
「な、なんなの?」
食事時やおやつ時に突如はじまるアビゲイルによるこの一幕を、初体験のオリガは目を丸くした。
普段は王宮にいないオリガだったが、今日は暇を見つけて遊びに来ていて、この昼食から合流していたのだ。
「どうかお気になさらず。いつものことですから」
クローディアが、そう言ってフォローした。
「このシチューと言ったら!」
そう、今回のターゲットはシチュー――褐色に煮込まれたビーフシチューであった。
「お肉やお野菜をソースで煮込んだ定番の煮込み料理なのに、複雑かつ調和のとれた一品に仕上がっていますわぁ」
アビゲイルは、まず総評から言葉にしていた。
「なんと言っても取り上げなければいけないのは、この牛肉。煮込まれて口の中でほろりとほどける絶妙な柔らかさと、お肉の味がもたらす最高の幸福感」
そして、それぞれの構成要素へと移る。
「長時間煮込まれた玉ねぎや人参などのお野菜を食べても、それぞれの素材の味とスープが絡み合って、『おいしい』で頭と心が満たされてしまいますわぁ」
オリガは、アビゲイルの語りを聞きながら、まさにそのシチューを食べているというのに、シチューが食べたくなってきてしまった。
「ソースのベースはトマトピューレにドミグラスソースですわね。塩胡椒による、必要最低限の塩味と、スパイシーな香り。そのどれもが、具材と調和し、お肉やお野菜を食べるためのベースとなっているのですわぁ」
アビゲイルは、握りこぶしで立ち上がりはしないものの、それくらいの魂を込めて締めくくった。
「一口、また一口とスプーンを口へと運びたくなってしまいますわぁ。特に、お行儀悪くも無意識にお肉を探してしまうのを止められませんわ。先に食べてしまうのか、最後の一口に残しておくのか、この葛藤さえも幸せな時間に添えられた香辛料のようですわぁ!」
そうして、アビゲイルは呼吸を忘れていたかのように、大きく息をついたのだった。
「エレーナさん。今回の料理も――」
「はい。大好評だったと料理長に伝えておきますね」
エレーナが笑顔で応えた。
「あなた、ただの取り巻きかと思いきや、めちゃくちゃ面白いじゃない」
オリガが感心半分呆れ半分といった様子で、そう言葉にした。
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「そこは『お恥ずかしながら』ですよ」
満足気なアビゲイルに、ベラがツッコミを入れた。
「こんな三人組と一緒にいたら、イヴァンの性格も変わってしまうというものね」
そう言って水を向けたイヴァンは、いつも通りの平静な表情で首を傾げた。
「楽しいことは間違いありませんが。私の性格は、そんなに劇的に変化しましたか?」
全く自覚のなさそうなイヴァンだった。
しかし、実のところ公務の都合さえ付けばクローディア達と食事をともにしていること自体が、これまでとの変化だった。以前であれば、執務室で書類に向かいながら軽食だけで済ませることも多かったのに。
「まあ良いわ。ごちそうさま」
自分もシチューを平らげ、普段は意識すらしていない『ごちそうさま』を言って、オリガは満足そうに笑顔を見せた。
「では、私は午後の公務に行ってきますね」
席を立つイヴァンに、クローディアが追いかけるように声をかけた。
「イヴァン様。後ほどアレクセイさんにもお願いしますが、大事なお話が。どこかでお時間をとっていただけますか?」
「もちろんです。夕食後でも構いませんか?」
イヴァンの言葉に、クローディアは頷いた。
「はい。よろしくお願いいたしますわ」
クローディアはそう言って、イヴァンを送り出した。
「さあ、それじゃあ、女子会をやるわよ」
オリガは、それが目的だったらしく、気合を入れ直すように言った。
クローディア達からすれば、午前に引き続き女子会継続となる訳だが、辞退する選択肢はないようだ。
「では、復旧した談話室へどうぞ。お茶とお菓子を用意いたしますね」
エレーナの言葉に送り出されて、四人は談話室へと移動したのだった。
◆ ◆ ◆
「マノン王国には、王立学園があるのよね? 学校ってどんな感じなの?」
談話室での雑談の流れで、オリガはそう尋ねていた。
「そう言えば、イヴァン様も興味がおありのようでしたわ。――学校は、年若い男女が集められて、年齢ごとに区切られた学年という単位で、魔法や勉学を修めるところ、ですわね」
クローディアは概要から説明を始めた。
「学年って言うのが、そもそも珍しいわね。何人くらいが集まっているの?」
「王立学園ですと、一学年に二百人程度ですわぁ」
「え? そんなに? 同じ年齢の人達が?」
アビゲイルの言葉から飛び出した数字に、オリガは驚いて声を上げた。
「そうですわぁ。それが初等部六学年、中等部三学年、高等部三学年とあるのですわぁ。さらに上に、魔法や歴史の研究をする大学部がありますが、これは人数がぐっと減るのですわぁ」
「国中から集まってくるイメージね」
その総数を想像して、オリガは額に手を当てた。
「それぞれの部が始まるタイミングで、選考のためのテストを行いますので、希望者だけならもっと多いですよ。名目上は、学園内は身分の差によらず平等、と謳っていますから、平民から優秀な生徒が入学したがるというのもあります」
「へえ、平等ね。それは興味深いわね」
ベラの補足に、オリガは感心する。
「とは言え実状は、同じ身分の者同士が集まりがちではありますわね」
「それはなんとなく想像できるわ」
クローディアの言葉に、オリガは頷いた。
「マノン王国や諸国の書物なんかに学校が出てくることがあるけど、実状はそんな感じなのね」
その言葉に、アビゲイルの目がキランと光った。
「学校がでてくる書物――オリガ様、物語がお好きなんですか?」
その鋭い質問に、オリガはギクリと肩を震わせた。
「そ、そうね。まあまあ読むわね」
「わたくしも学校が舞台の物語、大好きなのですわぁ。特に恋愛物に目がなくて」
胸の前で手を合わせるアビゲイルに、オリガは勢い良く同意した。
「私も! ――コホン、たしなむ程度には読むわね」
言葉の後半でなんとか落ち着きを取り戻して、オリガはチラリとアビゲイルを見た。
「例えば。婚約者に振られた令嬢が、他国に行ったり、特殊な力を使ったり、多大な努力を払ったり、もっと良い殿方に見初められたりして、元婚約者を見返す物語が大好きなんですわぁ」
「分かる! そうよね、恋愛復讐譚面白いわよね!」
とうとうオリガは我慢できずに、完全に盛り上がったテンションでそう応えていた。
「王宮に仕える騎士と王女の秘めた恋とか、敵国同士の姫と王太子の燃え上がる恋とか、最初は嫌い合っていた執事と侍女が次第に惹かれ合っていく恋とか、素敵すぎますわぁ」
「うん、うん、うん!」
オリガは、何度も頷いて同意を示した。
「それから何と言っても、周囲の評判がとても悪い主人公の令嬢が、魔法や、権力や、人脈を使って、颯爽と活躍する――」
アビゲイルとオリガが、お互いを指さしながら、声をそろえた。
『悪役令嬢モノ!』
「――ごほっ!」
クローディアはむせてしまう。無理からぬことだった。
「ちょっと、アビー。趣味が悪くてよ」
「えー、良いじゃないですかぁ。読書の趣味くらい、好きにさせて下さいませ」
クローディアの抗議も、アビゲイルはどこ吹く風だ。
「悪役令嬢。つまり、クローディア様のことですね。婚約破棄もされていましたし」
「ベラ!?」
さらなる取り巻きの裏切りに、クローディアは声を上げた。
そのやり取りに、オリガは事実を読み取っていた。
「つまり、クローディアは、学園では悪役令嬢と呼ばれていたのね?」
オリガはそう確認した。
嘘も言い逃れも不得意なクローディアは、素直に認めることにした。
「そうですわ。ただし、この一年ほどで、その悪名は返上させていただきましたですわ」
クローディアは、肯定しながらも、譲れない注釈をつけて返事をした。
「悪役令嬢が王太子に婚約破棄を宣言されるなんて、本当に、流行りの物語の世界ね」
オリガの言葉に。
「物語の世界――」
クローディアはぽつりと呟いた。
「でも、私の印象ではクローディアは、とっても素直で良い子って感じなのよね。まあ、氷魔法で攻撃された時はかなり怖かったけど」
オリガは続けた。
「それなのに、なんで悪役令嬢なんかになっちゃったの?」
オリガのその問いに、クローディアは応えた。
「わたくし達三人は、特にベラが一緒になるまでのわたくしとアビーは、日々の生活を楽しんでいました。楽しみすぎていたと言っても良いかもしれません」
「わたくしも、反省すべき点がいっぱいありますわぁ」
クローディアの言葉に、アビゲイルも重ねた。
「自分達の好きなように勝手な行動、言動を繰り返していたのですわ。それが、学園の中で制約された学生達の雰囲気とずれてしまっても、一向に気にしなかったのですわ」
クローディアの言葉に頷いて、オリガは先を促した。
「それに対する周囲の反発も当然ありましたが、王太子の婚約者であること、上爵令嬢の権力があるのを良いことに、それを押し通してきてしまったのですわ」
クローディアは、反省を示すように、目を伏せた。
「わたくしが素直だと言うのなら、きっと、そんな状況も素直に楽しんでしまっていたということなのでしょう。そのうちに、生徒達からは遠巻きにされ、いつしか『悪役令嬢』が通り名に」
オリガは納得した様子だった。
「素直すぎた、って訳ね」
「幼かったとも言えますわ。その行いを――あるタイミングで指摘されて、この一年は言動を反省して過ごしてきたのですわ」
クローディアはそう付け加えた。
「でも、他人から指摘されて、素直に反省できるなんてすごいじゃない。なかなかできないことよ。やっぱりクローディアの素直な性格は誇って良いものだと思うわ」
「ありがとうございます」
オリガのフォローに、クローディアは頭を下げた。
「それを言うなら、オリガ様も勘違いを素直に謝っていましたよね」
ベラのその言葉に、オリガは苦笑した。
「私は自分の感情のまま突っ走ってるだけだから。しまったやりすぎたな、と思ったら、今度はその感情に任せて謝っちゃうこともできるのよ」
オリガの返事に、ベラは目を丸くした。
「私は、何かしようと思っても、これで良いんだろうか、間違っていないだろうかって、あれこれ考えてしまってなかなか踏み出せないんです。オリガ様の性格がうらやましいです」
オリガはそれを聞いて笑顔になった。
「それなら、私とベラで性格を足して割れば、ちょうど良くなるのかもしれないわね」
ベラも笑顔を返した。
「性格と言えば、イヴァンにはびっくりしたわ」
オリガは、そう話題を変えていた。
「控えめに言っても、自己肯定感が低くて、言葉の端々に自分はダメだ、まだまだだってにじんでいたのよ?」
オリガの言葉に、クローディア達も同意した。
「確かに、初対面の時はそんな印象でしたわね」
「ですが、次第に態度が柔らかくなったので、最初は緊張していただけかと思っていましたわぁ」
アビゲイルの言葉に、オリガは首を横に振った。
「もう劇的よ。これまでは頑張って背伸びして、肩肘張って――まあ、自分を厳しく律するっていうのは国王には必要な事かもしれないけどね」
クローディアは、思い当たるところがあったので、口を開いた。
「そう言えば。わたくし『肩の力を抜いても良い』というような事を、イヴァン様に言ってしまったような……」
「お姉さん病の発作ですね」
ベラがすかさず一言加えた。
しかし、オリガはその言葉にも首を傾げる。
「そんなこと、私が何百回も言ってきたわよ? 初対面の人に言われて、衝撃的だったのかしら?」
クローディアも首を傾げる。
「その時は、言われて衝撃を受けた、という感じでもなかったと思いますが……」
「『それもそうですね』くらいの反応だったのですわぁ」
アビゲイルも、クローディアの言葉を補足した。
「あんな人前で――ネ、ネクタイを緩めたり」
「オリガ様、それがツボなんですよね?」
ベラの言葉に、オリガは頬を赤くした。
「いえ。その、別にツボとかじゃ――」
「普段、隙を見せない殿方が、自分の前で気を抜いてくれるのが良いのですわぁ」
アビゲイルが言わずもがななことを言って、オリガはさらに慌てた。
「それは、まあ。でもイヴァンは普段すっごく頑張っているから――」
そのオリガの言葉に、アビゲイルがキランと目を光らせた。
「わたくしとしたことが……。オリガ様、年下男子の頑張っている姿がツボでしたのね? それとネクタイのダブルパンチだったのですわね!」
「ひゃっ!? べ、べべべ別にツボとかダブルパンチだとか」
あわあわと手を振るオリガに、しかしアビゲイルは追求の手を緩めない。
「オリガ様、少し踏み込んだ事を聞きますが」
「え、何? やめて――」
涙まで浮かべてオリガが拒否するが、アビゲイルは聞かない。
「幼馴染にお姉さんとして接してきたオリガ様は、イヴァン様に手取り足取り教えてあげたい派ですか? それともいざという時は、普段と逆転してしっかりリードされた――」
「やめてぇ。次、イヴァンに会った時、絶対意識しちゃうからぁ」
アビゲイルの本当に踏み込んだ質問に、オリガは赤くした顔を隠してしまう。
そこでようやく、ぺしっと音を立てて、クローディアの閉じられた扇がアビゲイルの額を打った。
「あうっ」
「アビー、調子に乗りすぎですわ」
そこで冷静になったアビゲイルは、申し訳なさそうに謝った。
「お褒めにあずかり光栄ですわぁ」
「そこは『申し訳ありません』ですよね!? 誰も褒めていませんよ!」
ベラの普段より勢いのあるツッコミに、アビゲイルは小さく舌を出して見せる。
「反省はしてない、ですわぁ」
アビゲイルのあまりな言葉に、クローディアは呆れて次の言葉を続けられなかった。
「この……マノン三人令嬢。この私をここまでからかって、無事に済むと思わないことね」
「いえ、わたくしは、むしろ止めようと」
「私も聞いていただけで」
わきわきと指を動かしながらにじり寄って来るオリガに、クローディアとベラは逃げ腰になる。
「こうなったら、あなた達の恋愛遍歴から隠しておきたい趣味嗜好まで、全部語らせてやるわ!」
きゃー、と三人は嬉しそうに(?)悲鳴を上げた。
「わたくしはニコラ一筋でやってきましたわ。正義感が強い彼を、背徳的な喜びで満たしてあげたいと常日頃からタイミングを狙って――」
「わたくしは特定の殿方はいませんですわぁ。学園では同士の令嬢達が個人的に作った妄想物語を高値で買い上げては夜な夜な読みふけり――」
「私はそういう楽しい話は全然ないんです。ごめんなさい――」
クローディア達は、何やら強制的に喋らされ――。
ひとしきり阿鼻叫喚の時刻絵図が繰り広げられた談話室には、ぐったりとした令嬢達と、肌をつやつやにした国王の婚約者だけが残っていた。
「はー、楽しい。女子会最高ね」
満足そうに、オリガはそう言った。
「こうして同年代の令嬢だけで集まるなんて――一時も気が抜けない政治的なお茶会を除けば――全然なかったのよ」
そう言って、オリガは笑う。
先程までの悪逆非道な振る舞いとはうって変わって、理知的な落ち着きを取り戻して、オリガは続けた。
「真面目な話も、面白い話も、気兼ねなくできるこういった場は、本当に貴重ね」
「わ、わたくし達で良ければ、いつでもお相手いたしますわ……」
クローディアは、絶え絶えになった息を整えながら、なんとかそう伝えた。
「ありがとう。ぜひまたお願いするわ」
オリガはにっこりと笑ったのだった。




