(5)
舞踏会で一緒に休憩室に閉じ込められたときのフィーヌの姿が脳裏に蘇る。凛として前を向いていたフィーヌは、あの場で陥れられたようなふりをしながら実際にはバナージを利用していた。
温室育ちの貴族令嬢には、なかなかあんなことはできないだろう。
「それよりも、仕事の話だ。騎馬隊の馬の調達はどうなった?」
「商人が明日連れて来ると。今回はいい馬がたくさんいるらしいですよ」
「それは期待できるな」
ホークは相槌を打つ。
「これを機に、そろそろホークも相棒を交代させたらどうだ?」
カールの提案に、ホークは首を横に振る。
「いや、いい。俺はシェリー以外そばに置く気はない」
「……そうか。ホークは本当にシェリーを大切にしているよな」
カールはしみじみと言う。
「命の恩人だからな。当然だろう?」
「まあ、そうだな。夕食前に会いに行くのか?」
「そのつもりだ。俺の手から食べる姿が愛らしいんだ」
ホークが愛馬──シェリーに乗り始めたのは五年ほど前からだ。当時、ホークは別の馬に乗っていた。しかし戦いの最中、敵の矢に打たれてその愛馬は倒れてしまった。
そんなとき、颯爽と現れたのがシェリーだった。
状況から判断するに、シェリーは戦いの最中に主を失った馬のようだった。馬を失っていたホークは本能的にシェリーに跨り、無我夢中で走らせた。
そのときの戦果は素晴らしいものだった。
シェリーは牝馬なこともあり、軍馬にしては線が細く足が特別速いわけでもない。それでもホークはシェリーのことを勝利の女神のような存在だと思っており、彼女が走れる間は乗り変えるつもりはなかった。
仕事をしていると、時が経つのは一瞬だ。
ふと気が付くと、夕食の時間になっていた。
壁際の置き時計を見るホークの視線に気付き、カールも時計を見る。
「もうこんな時間か」
「そろそろ行かないと、妻を迎えに行く時間に間に合わなくなってしまう。悪いが打ち合わせの続きは明日にしてくれ」
「もちろんです。では、また明日」
カールは一礼して部屋を出て行く。
ホークは打ち合わせの資料を揃えて机の端に置くと、まずは厩舎に向かい愛馬のシェリーにエサをやった。そして、一旦部屋に戻って体を清め、着替えてからフィーヌを迎えに行った。
ドアを開けると、彼女はソファーに座ってぼんやりとしていた。
「食事の準備が整ったようだ。行こう」
ホークの声にフィーヌはハッとしたような顔をする。
「……申し訳ございません。疲れていて食欲がなく──」
フィーヌは言葉尻を濁すとホークから顔を背けた。
俯き加減の横顔は青白く、どこか視線が彷徨っていた。
「たしかに顔色が悪いな。体調が悪いのか?」
到着時は元気そうに見えたのに、今は明らかに体調が悪そうに見えた。
ホークは眉根を寄せて、彼女の額に触れる。
「熱はないようだな」
「……少し休めば大丈夫です」
フィーヌはホークと目を合わせることなく、答える。
(移動の疲れからくるものか?)
王都からロサイダー領までは片道馬車で丸三日かかる。戦場での過酷な状況に慣れているホークには全く問題なくとも、貴族令嬢が移動するには辛いのかもしれない。
「わかった。では、食事は部屋に運ばせよう。ゆっくり休め」
「ありがとうございます」
ホークの言葉に、フィーヌは明らかにホッとしたような顔をした。
(あんなにホッとするなんて、よっぽど疲れているんだな)
軍人ばかりのむさ苦しい中で日々を過ごしているので、つい一般的な貴族令嬢の体力を忘れていた。
フィーヌの部屋を出たホークはちょうど屋敷に到着したアンナに対し、食事をフィーヌの自室に運ぶように伝える。
「旦那様はご一緒されますか?」
「いや、別々に食べよう」
ホークは首を横に振る。
ホークがいては、フィーヌが気を遣うと思ったのだ。
「かしこまりました」
アンナは了承の意を込めてお辞儀した。
食後、ホークは食器を下げるアンナを見つけて声をかけた。
「食事は口に合っているようだったか?」
「はい。美味しいといって全て召し上がっておられました」
アンナは笑顔で頷く。
それを聞いて、ホークは少なからずホッとした。ロサイダー領は土地が乾いていて植物が育ちにくい。根菜中心の食卓は王都の貴族令嬢には物足りないのではないかと心配していたのだが、杞憂だったようだ。
(全部食べたのなら、体調も回復してきたようだな)
先ほどの青白い顔を思い出し、よくなったならよかったと安堵する。
(だが、初夜は見合わせたほうがいいか)
無理をさせてまた体調不良になっては元も子もない。
だが、初日に新妻の元を訪ねないのも非礼かと思い、顔だけは見に行くことにした。
その日の夜、ホークは使用人が用意したいつもより飾りの多いナイトガウンを着て夫婦の寝室へと向かった。
フィーヌはベッドの端に、ちょこんと座っていた。
肌がほど良く見えるナイトウェアはひどく扇情的で、透けて素肌が薄ら見える様が劣情を煽る。
だが、ホークはこの日フィーヌを抱く気はなかった。病み上がりの令嬢に無理をさせて抱くような趣味はないからだ。
すぐに自分の部屋に戻ろうと思っていたら、フィーヌは思いもよらないことを言い出した。
「閣下。わたくし達は結婚式を挙げてないですね。でも、全知全能の神に対して約束の誓いは立てたいです」
言われたときは、すぐに理解ができなかった。
フィーヌの言うとおりロサイダー領の戦士達は剣を立てて全知全能の神を証人に当主に誓いを立てる『誓約』という儀式を行う。死が隣り合わせの戦場で戦い抜くために、自分たちの決心を神に誓うのだ。
しかし、フィーヌは戦士ではなく妻だ。




