45.優しさには種類がある
目を覚ましたとき、状況がわからなくてパニックに陥りそうになった。
私は大雨の中で地下鉄の階段から落ちたはず。
でも、どこも痛いところはないし、幸いにして怪我はしていなかったみたい。
ほっと息を吐いて、駅の救護室かなと周囲を見回す。
「……は?」
意識がかなりはっきりしてきて、視界に入ったものに驚きの声が漏れてしまう。
声はかすれて小さかったはずだけれど、すぐに誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「お嬢様!」
「……クレール?」
「はい、クレールでございます! 今すぐ、医師をお呼びしてまいりますね!」
嬉しそうにそう言うと、クレールは離れていく。
えっと、どういう状況だっけ?
階段から落ちたのはたぶんけっこう前で、私は気がついたら『王子様♡』のゲームに似た世界にいるんだ。
そうそう。思い出してきた。
それで今はレティシア・カラベッタっていう、ゲームにはいなかったモブで、憎きダミアンの婚約者になってしまって……って、そうだ!
勢いよく起き上がったからか、頭がくらりとする。
「お嬢様! そのように急に体を起こされるなど、無茶をなさらないでください!」
いつもは落ち着いているクレールの悲鳴に近い声が頭に響いて、思わず顔をしかめた。
女性の甲高い声って、体調が悪いときにはつらい。
その考えが伝わったのか、表情からかはわからないけど、クレールはすぐにいつもの落ち着いた声に切り替えてくれた。
「お嬢様、医師はすぐにまいりますから、もうしばらく横になっていてくださいませ」
気を遣わせてごめん。
素直に従ってまたベッドに横になって天井を見上げる。
ここは王宮の一室、今の私――レティシアの部屋。
おかしいな。生徒会室にいたはずなのに、いつの間にここに帰ってきたんだろう。
現状を理解すると、今度は別の疑問が湧いてきて、訊きたいことがたくさんあるのに、クレールはやってきたらしい医師の応対にまた離れていった。
それからは医師の簡単な診察があって、どこも異常がないと診断された。
よかった。外的には問題ないってことだよね。
ただ、内面はどうなんだろう。
「……ダミアン様は?」
「殿下はレティシア様に問題がないようでしたら、お会いしたいとおっしゃっておりました」
「じゃあ、会えるって伝えてくれる? でも、先に着替えたほうがいいよね」
「さようでございますね。では、少しゆったりしたものをご用意いたします」
「お願い」
もう動けるほどだから、ベッドの中で薄着のままダミアンに会うのはさすがに気が引ける。
ただ一応は病み上がりなので、クレールは普段着にしているドレスを用意してくれるみたい。
本当は目上の立場にあるダミアンに面会するには失礼なんだけど、今回は許されるだろうとの判断と、やっぱり私を心配してくれているからだと思う。
クレールには心配ばかりかけちゃって申し訳ないなって気持ちが大きいのは、晴乃としての私の存在を隠しているからもある。
だけどこればかりは気軽に話せない。
「――レティシア、もう起き上がって大丈夫なのか?」
「はい。ダミアン様にはご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「謝罪の必要はないよ。とにかく何事もないようでよかった」
部屋へと入ってきたダミアンは、開口一番に私の心配をしてくれた。
その気持ちに嘘はなさそうだけど、ちょっと大げさで、これはクレールや他の使用人たちへのパフォーマンスだなと思う。
ダミアンとはもっと踏み込んだ話をしたいけど、今はまだ我慢。
とりあえずソファを勧めて、クレールがお茶の用意をしてくれて、そこでひとまず二人きりにしてくれるようにと目で合図する。
クレールはためらったけれど、しぶしぶといった感じで控室に向かってくれた。
「――さて、それでは始めようか」
「防音魔法は?」
「今は必要ないよ」
「わかりました」
この部屋は盗聴されているんだろうけど、防音魔法が必要ないってことは、ダミアンの忍者には聞かれてもいいのか、もしくは忍者にも近づかないように言っているのかってことだね。
「アクセル様やお兄様たちにもご心配をおかけしたと思うのですが、大丈夫でしょうか?」
「彼らにはレティシアが僕に会いたいと言ってきた時点で大丈夫だと伝えたよ」
「ありがとうございます。それで、なぜ私は王宮まで戻っているのでしょうか?」
「意識を失っているだけのようだったからね。学園の療養室よりは王宮のほうがしっかり治療してもらえるし、守りも固められる」
「そうでしたか……」
意識のない私をどうやって学園から連れ出したのかは、恥ずかしくて考えたくない。
全乙女憧れのお姫様抱っこだったとして、できればエルマンお兄様にしてもらっていたならいいんだけど。たぶん、ダミアンだろうなあ。
ちなみにアクセル様は論外。
自分の体重――幸いにしてレティシアは標準体重より少し軽いくらいのようだけれど、それでもアクセル様に私の負荷を感じてほしくない。
さらには意識のないときの自分をアクセル様に見られたくはないので、お姫様抱っこどころかその存在を消してしまいたい。
だって、意識ないってことは、ぽかんと口を開けていたかもしれないし、鼻水とか出てたりとかしたら、軽く死ねる。
「とりあえず、アクセルのことは忘れて、本題に入ろうか」
「申し訳ありません」
「……うん。で、レティシアが意識を失う前に言っていたことを覚えている?」
「――はい」
「詳しく話せそう?」
「無理です」
「それは暗示のせい?」
あ、これ以上はやっぱり無理。喉が詰まったように声を出せなくて、頷くことしかできない。
そのことに気づいたのか、ダミアンはもう何も訊いてくることはなかった。――どころか、いきなり立ち上がってテーブルをひょいっと乗り越え、私の隣に腰を下ろす。
え? テーブルを迂回することもなく?
ダミアンらしくないマナー違反どころか、あまりのお行儀の悪さに目を丸くしている私の手を、また大きく温かな手で包み込まれた。
すると、不思議なことに息苦しさがなくなり、呼吸が楽になったみたいでほっと息を吐く。
「レティシア、僕の目を見て」
ダミアンは最強の魔術師で、たぶん魔術師長であるマードイ侯爵の弟さんよりも強い。
アドソン先生とはどうなのか、それはわからないけれど、暗示をかけられているレティシアを救えるのはダミアンだけだと本能でわかる。
だから、素直にダミアンの言葉に従ったのはいいけれど、まさか目が合った瞬間にデコピンをされるとは思わなかった。
「――っ! ~~~っ!」
痛いんですけど! めっちゃ本気でしましたね?
とにかく、痛いっつうの!




