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90.師匠の決意

 私たちは場所を移した。応接室、では少々手狭だということで、食堂を使うことにした。何せ今は、屋敷にいる全員が集まっている。

 主、使用人、他国からの来客、そして――


「懐かしいな。ここも昔と変わらないね」

「師匠はこの屋敷に来たことがあったんですか?」

「うん。ずっと前に一度だけ。それから随分と経った……いいや、時間なんて、僕にとっては意味がないものだ」


 意味深なセリフを口にして、イルちゃんが用意してくれた紅茶を一口飲む。小さな声で、美味しいねと感想を口にする。

 誰も、理由を尋ねない。誰もが聞きたいはずなのに。それは自分の役割ではないからと、無意識のうちに自覚しているから。

 この場で尋ねる資格を持っているのは、この地を治める者である……彼だけだと。


「どうして今、ここに来られたのですか?」

「言っただろう? 大切な話があるんだ」


 彼は紅茶のカップをかちゃりと置く。それからおもむろに懐に手を入れ、美しく珍しい一輪の花をテーブルの上に置いた。


「これを見てもらえるかな?」

「花細工……ですか?」

「そう見えるけど違う。これは自然にある普通の花だった。作りものじゃないよ」

「え、でもこれは……」


 どう見ても作り物の花だった。紫色の結晶は、雪の結晶よりも透き通っていて、どこか不気味な雰囲気を醸し出す。

 花、茎、葉っぱに至るまで、紫色の結晶で作られている。これが自然にできた物とは、到底思えなかった。


「アメリアさん、君ならわかるかな?」


 エルメトスさんが私に問いかける。トーマ君は不思議な花を私の前に移動させた。一番近くで見ても作り物みたいだ。


「触ってもいいですか?」

「構わないよ。それは外部には影響しないからね」


 意味はわからなかったけど、ひとまず触っても問題ないという。私はゆっくりと指先で花びらに触れた。カチコチで、温度は熱くもなく冷たくもない。

 持ち上げるとわかる不自然な軽さに若干驚きながら、ぐるっといろんな角度から観察した。


「すみません。これだけじゃなんとも……」

「錬金術で解析してみるのはどうだ?」

「それはできるけど」


 トーマ君と私はエルメトスさんに視線を向ける。錬金術による解析は、必ず素材を消費してしまう。これが貴重な物なら、勝手に解析なんてできない。

 エルメトスさんは小さく頷く。


「構わないよ。そうしてもらうために、僕はそれを持ってきたんだ」

「アメリア、頼めるか?」

「うん。すぐに準備するね」


 解析用の錬成陣が描かれた紙を用意する。最近は解析をする機会が増えたから、普段から持ち歩くようにしていてよかった。

 錬成陣の上に花の結晶を置き、解析を開始する。始める直前の予想は、イモータルフラワーに近い物だと考えていた。

 あれは大自然の錬金術が生み出した奇跡に等しい植物で、この結晶と似たような状態に変化していた。雪山とは異なる環境でも、同様の変化が起こったのなら可能性はある。

 だけど――


「え……」


 解析を初めてわずか一秒、消滅した結晶。そこから流れ込む情報と、突風のごとく私の中へ吹き荒れる魔力の風に、思わず立ち上がる。


「アメリア!?」

「……はぁっ、ふぅ……」


 衝撃が全身を駆け抜け、しばらく呼吸をすることすら忘れていた。こんな感覚は生まれて初めてだ。いや、こんな物質を見るのが初めてだった。


「大丈夫か? 何があった?」

「うん。大丈夫」


 身体に異常はない。衝撃はあったけど、精神的な動揺だけだ。解析の結果はしっかりと私の頭の中にある。解析不能でも、未知の物質でもない。

 あの花を形成していた物の正体は、ひどくありふれたものだった。そこに、私は驚かされてしまった。


「エルメトスさん。どこでこれを手に入れたんですか?」

「その前に、君が知った答えを教えてくれるかい? 僕にではなく、この場にいる皆に。君と僕以外、花の正体を知らないんだから」


 つまり、エルメトスさんは知った上でこれを持ってきたということ。一体何のために?

 逸る気持ちを堪えて、先にみんなが抱く疑問の答えを口にする。


「あれは確かに自然の花です。なんの変哲もないどこにでもある綺麗な花……だけど、結晶の成分だけは自然物ではありません。あれは、魔力です」

「魔力?」

「どういうことなのだよ。魔力が結晶化したとでもいうのか?」

「その通りです」


 私は答えた。殿下は目を見開き、他のみんなも各々に驚きを表情に出す。

 魔力とは人間の身体の内に宿るエネルギー。魔法を使う時に消費される力だけど、魔法使いにしか宿っていない、というわけじゃない。魔法が使えない人間にも魔力はある。多少の差はあれど、人間であれば等しく平等に宿している。

 だから、もっとも身近な力の一つだと言える。

 魔力が結晶化したという事例は、未だかつて報告されていない。


「そもそも魔力に実態はない。血液のように流れる感覚はあっても、液体が流れているわけじゃないんだ。表に出すには魔法に変換するしかない」

「うん、錬金術も一緒だよ。でも間違いないんだ。解析をしたとき、結晶から私の中に魔力が流れ込んできたから」


 魔力にも個性がある。魔法使いと錬金術師の魔力は性質が異なるように、人間同士でもまったく同じ魔力は存在しない。

 他人の魔力が流れ込む経験なんて普通はできないけど、私は体験したからわかる。異物が流れ込んでくる感覚だった。

 とても嫌な感じで、少しだけ頭がクラっとした。少量だったからよかったけど、もし大量に流れ込んでいたら……意識を失ってしまっていただろう。


「さっきの花は間違いなく魔力が結晶化していました。逆に、それ以外の構成要素はありません。花も普通の花でしたし、特別な何かは感じませんでした」


 私は答え合わせを求める様に、会話に最後でエルメトスさんと目を合わせる。彼はゆっくりと、確かに頷き肯定した。


「その解釈で正しいよ。僕が見せたのは、自然の花が結晶化したものだ。そしてその結晶は、魔力が元になっている」

「魔力って結晶化するのか。初めて知った」

「俺の国でも知られていない知識なのだよ。新たな発見だとすれば喜ばしいことだが……魔法使い、お前はなぜこれを知っていた?」


 殿下が鋭い目つきでエルメトスさんに問いかける。初めて二人が言葉を交わした日のように、殿下は静かに苛立っていた。


「お前は錬金術師ではないな。ならばアメリアのような方法で調べることはできなかったはずだ。この場の誰も知らない情報を、どうやって知った? いいや、最初から知っていたのではないか?」


 殿下の問いによって、全員の視線がエルメトスさんに集中する。言い方はともかく、誰もが聞きたい内容を問いかけてくれた。

 エルメトスさんはどうしてあの花の正体を知っていたのだろうか。魔力は目に見えない。気配のように感じることはできるけど、結晶化している状態は何か感じなかった。

 彼は錬金術師じゃない。調べる手段を持っていない。なら、どうやって?

 その答えを待つ。

 殿下はさらにもう一つ、質問を重ねる。


「今一度問おう。お前は何者だ?」

「……まだ、その時ではない」

「またそうやって――」

「と、以前の僕ならはぐらかしていただろうね」


 エルメトスさんは何かをあきらめたように笑い、呼吸を整えた。


「今はもう、話すべきだ。どうか聞いてほしい。とても大切な昔話を……僕の、いや、僕たちの罪の物語を」


 そう言って彼は語り出す。

 今からはるか昔、この地がまだ平穏だった頃の思い出を。

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