73.何事も挑戦あるのみ
スタート直後から白熱した戦いを繰り広げる。
剣戟の音がするわけでもない。
誰かが傷ついたり、命をかけることでもない。
平和な勝負であっても、私たちの間には熱があった。
「一昨日から雨漏りが続いておってのう。何度か修理したんじゃが一月ともたんのでのう」
二人目の相談者の家に行き、軽く湿った床に触れる。
真上を見ればくすんだ色をした天井がある。
天井には板を打ち付けて補強した跡が残っていた。
その補強用の板も水に濡れて黒っぽく変色してしまっている。
天井を見ながら腕組みをして、トーマ君がお爺さんに尋ねる。
「大工には頼まなかったんですか?」
「頼んだんじゃがな。何分古い家じゃ。修理するなら天井を全て交換するか、建て直したほうがいいと言われてしまってのう」
「立て直し、となればかなりの費用がかかりそうですね」
「お金はいいじゃよ。若い頃に稼いで使わずに残してある。じゃがのう……ここは死んだ婆さんとの思い出が詰まっとるんじゃ」
お婆さんは一年ほど前に亡くなっているそうだ。
病気や怪我ではなく、安らかに寿命を迎えたという。
寿命まで生きられた十分だと納得している一方で、やはり一人の寂しさは日々感じているのだろう。
お婆さんの話をするとき、お爺さんは遠くを見つめどこか切なげな表情を見せていた。
「アメリア、どうする?」
「そうだねぇ」
トーマ君も一緒だし、修理することは難しくない。
だけど板を打ち付けるだけじゃ今までと同じ、単なるその場しのぎだ。
天井の老朽化は日々進んでいく。
今は雨漏り程度で済んでいても、いずれ大きな事故になりかねない。
本音を言えば建て直すか引っ越しを進めたいところだけど、お爺さんの顔を見たらそんなこと言いたくないと思ってしまった。
「コーディングレイヤがあれば簡単に解決するんだけど」
「あれをここで作るのは無理だろ。素材が足りない」
「うん。だからどうしようかなって」
うーんと頭を悩ませる。
昨日のうちに準備したのはポーション一式だ。
効果は回復に限らない。
可能な限り種類を増やして今日に臨んでいる。
とは言っても、どれも人に対して効果を発揮するものばかりで……。
「よし! じゃあ挑戦してみようかな」
「挑戦? 何するつもりだ?」
「天井を治すためのポーションを作るんだよ! ここで!」
「そんなもの作れるのか?」
「どうかなぁ~ 初めてやるからわからないかな」
「は、初めて!?」
トーマ君は目を丸くして驚く。
そんな彼を横目に、私は手持ちのポーションを一本ずつ取り出し床に並べていく。
「すみません。ここで錬成陣を描いてもいいですか?」
「あ、ああ、別に構わんが」
「ありがとうございます。トーマ君も手伝って」
「ああ、いや大丈夫なのか? やったことないって」
不安げな顔を見せながらも、トーマ君も同じ目線までかがんで手伝ってくれる。
植物も命ある生命と仮定するなら、治癒系のポーションの対象にすることは可能なはずだ。
という予想を立てつつ、頭の中で必要な素材と錬成陣を連想する。
偉大な発見や文明の進化は、いつだって突拍子もない思い付きから始まる。
「何事も挑戦だよ。無理そうなら他の方法を考えればいいんだから。まずやってみなきゃ」
「ったく、思い切りがいいよな、アメリアって」
そういうトーマ君も少し楽しそうだった。
私を突き動かすのは好奇心。
こういうのは久しぶりで、少しワクワクする。
初めて錬金術に挑戦した時のように、未知へとつながる扉に手をかけるような感覚が私を奮い立たせる。
「トーマ君。補強に使ってある木材を取り外してもらってもいいかな? あれの一部も素材に使いたいんだ」
「わかった。お爺さん」
「構わんよ。好きにやっとくれ。くれぐれも怪我だけはせんようにな」
「ありがとうございます」
お爺さんから椅子を借りて、トーマ君が天井に手を伸ばす。
釘で打ち付けられた木の板をぐいっと引っ張って取り外す。
裏側に見えた本来の天井は、湿気を受けすぎてぐしゃっと腐ってしまっていた。
わずかに腐敗臭も漂う。
「これは……確かに取り換えを勧められるな。アメリア」
「ありがとう」
取り外した板をトーマ君から手渡される。
板のほうからも腐敗臭がしている。
トーマ君はまだ椅子に立った状態で天井を観察していた。
他の部分は大丈夫か調べているみたいだ。
腐敗した箇所のすぐ隣、比較的綺麗な部分を手で押すと、ギギギギという軋む音が聞こえる。
「他もだいぶ古くなってる。対策しないと別の場所も雨漏りするな、これは」
「じゃあ全体を……ちょっと素材が足らないかな」
構想はすでにある。
腐敗を回復させるポーションを木材にも使えるようにする。
どうやらそれだけじゃ駄目みたいだ。
いくら優秀なポーションでも、老いは戻せない。
過ぎ去った時間は巻き戻らない。
「補強も……そうだ! トーマ君、粘土と石がほしいんだけど」
「粘土? 石はともかく粘土はどこにあるか知らないぞ」
「おお、それなら蔵にあるぞ。陶器に使うものじゃが」
「本当ですか? もしよければ使わせていただきたいです」
「構わんよ。ほれ兄ちゃん、こっちじゃ」
お爺さんに案内され、トーマ君が蔵に向かう。
その間に私は家の外に出て石を拾う。
戻ってくるとトーマ君が両腕いっぱいに粘土の入った箱を抱えていた。
「結構重い……」
「カラカラに乾いちまっとるがいいのか?」
「はい。トーマ君もありがとう」
錬金術の素材として使うなら状態はあまり関係ない。
治癒ポーションと石、バケツ一杯の水、それに乾いた粘土。
これを錬成陣の上に乗せる。
描いた錬成陣を見て、トーマ君はあることに気付く。
「アメリア、この錬成陣ってコーディングレイヤと似てるよな」
「そうだよ。あれと同じ塗る形にしたいんだ。だから無事に完成したらトーマ君にお願いが……」
「わかってるよ。肉体労働は俺に任せろ」
トーマ君は言う前にトンと自分の胸を叩く。
頼りになる相方のおかげで、私は目の前の作業に集中できる。
初めての試み。
新しい錬金術を試すとき、いつもワクワクと同じくらい不安がある。
失敗するほうが可能性としては高いからだ。
だけど不思議なことに、今は微塵も不安を感じない。
あるのは自信と、期待だけだった。
「行くよ」
私ならできる。
その自負を両手に乗せて、錬成陣が輝きだす。
失敗すれば素材は消えてしまう。
成功すれば形を変え、私たちの前に姿を見せてくれる。
「さぁ――おいで」
光が収まる。
錬成陣の中央には、水の入っていたバケツが残っている。
成功か、失敗か。
私の両手に伝わる感覚が教えてくれる。
「どうなったんだ?」
「――自分でもびっくりしちゃうよ」
バケツの中を覗き込む。
中身は水ではなくなって、緑色の粘性の液体が溜まっていた。






