36.メイドさんは本気です
早朝。
洞窟の外は明るくなり、吹雪ほどではないものの風が雪を運んでいる。
一夜を過ごした私たちは、洞窟から出て外の空気を吸い込む。
肺が冷たくなる空気だったけど、洞窟の中よりも多少の解放感を得られた。
イルちゃんが背伸びをする。
「う、うーん……ふぁ~」
大きな欠伸も可愛らしい。
寝癖がついて耳にかかる髪の毛が跳ねている所も、子供っぽさか感じられて悪くない。
「イル、寝癖ついてるぞ?」
「ん? どこ?」
「ここだここ。跳ねちゃってるな」
「寝癖がつくのは枕が悪かったせいだな~」
「俺の所為みたいに言うなよ……」
軽く悪態をつくイルちゃんに、トーマ君はやれやれと寝癖を手で解きほぐす。
イルちゃんも抵抗しない。
むしろ気持ち良さそうな表情をしている。
端から見ても、仲の良い兄妹みたいに思えてホッコリする。
昨日の話も聞いてしまったから、余計にかな。
私の視線に気づいたイルちゃんが、キョトンとした顔で尋ねてくる。
「なんでリア姉さんニヤニヤしてんの? あたしの寝癖、そんな酷い?」
「ううん。仲良しだなーって思ってただけだよ」
「は? 急に何言って……まさか主様、変な話したんじゃないだろうな!?」
「別にしてないぞ? ちょっと昔話を少々しただけだ」
トーマ君は意地悪顔でイルちゃんに答えた。
今のでおおよそを察したのか、イルちゃんは顔を赤くする。
周囲が白くて余計に赤が目立つ。
「やっぱ余計なこと話してんじゃん! い、言っとくけどあれだぞ? 主様が馬鹿なこと言うから仕方なーくそれに合わせただけで、別に心許したわけじゃないんだからな?」
「うんうん、わかってるよ」
恥ずかしくなって言い訳するところも可愛い。
本当はトーマ君のことも大好きになったのにね。
「く、くぅ~ ふんっ!」
「痛っ!」
照れ隠しのキックがトーマ君の横っ腹に炸裂する。
トーマ君は衝撃で倒れ込み、顔が雪に埋まる。
「ぷはっ! 何するんだよイル!」
「う、うるさい! 余計なこと言う口は埋まっちまえ!」
「うぐっ、や、やめろ! 雪を口に突っ込もうとするな!」
「ふふっ」
やっぱり仲良しな二人だ。
私にはもう何を言われても、二人が仲睦まじい兄妹にしか見えないね。
「あーもう良い! さっさと先に進む!」
「ったく、なんだよイルのやつ……」
「お兄ちゃんは大変だね?」
「まったくだよ」
私とトーマ君でそんな話をしていると、イルちゃんはふんっとそっぽを向いてそそくさと歩き出す。
そんな後ろ姿も可愛らしくて、私は不意に笑みがこぼれた。
「俺たちも行くぞ」
「うん」
二人で彼女の後に続く。
急ぎ足に遅れないように。
◇◇◇
山頂への道のりも終盤。
私たちは雲の手前までたどり着いていた。
斜面の角度はさらに増し、一歩を踏み出すのにも、よいしょと一声がいる。
寒さも強くなってきた。
吐く息が凍るほど冷たく、身体の節々がきしんでくる。
動いているからまだ熱を保てるけど、立ち止まって休憩でもしたら、身体が固まって動けなくなりそうな予感があった。
「雲を抜けたら頂上まですぐのはずだし、このまま行くぞ。二人とも良いか?」
「うん」
「いいよ~ あ、でも待って主様。すんなり通れないかも」
「――みたいだな」
雲の入り口を守るように、巨体がのそっと立ち塞がる。
スノーエイプ。
雪男とも呼ばれる大猿のモンスター。
その大きさは、大人三人分を軽々超える。
「三匹か。二人とも下がってろ」
「何言ってんのさ! 下がるのは主様のほうだよ」
「イル?」
「ここはあたしに任せて。護衛がいない時に主様を守るのも、メイドの役目だからな!」
そう言って彼女が前に出る。
躊躇なく、堂々と。
私は困惑した。
彼女が戦うのかと。
「なら任せた」
「え、大丈夫なの?」
「ああ、見てればわかるさ」
「そうだよリア姉さん! よーく見ててくれよな!」
彼女は胸元を明け、首からかけていたペンダントを引っ張り出す。
赤い宝石が綺麗なペンダントだ。
しかしそれはただの飾りではない様子。
「あたしは戦えないけど、あたしのペットは強いよ? おいで――猿舞!」
彼女が名前を叫ぶ。
その直後、首にさげていたペンダントの宝石がまばゆい光を放つ。
放たれた光は彼女の前方へ収束し、一つの形へと変化する。
燃え盛る炎を纏い、勇ましく肉体に鋭い目をした大猿へと。
「あ、あれって」
「召喚士。宝石などを媒介して、自身のうちに宿る獣を召喚、使役する。あれが彼女の召喚獣『猿舞』だよ」
「やっぱりそうなんだ」
衝撃の事実に驚きつつも、私はふと理解した。
時折トーマ君が口にしてたセリフ。
イルちゃんが参加したから、シュンさんが登山の許可を出した。
イルちゃんなら寒さも関係ない。
昨日の夜に聞いた過去も、彼女は一人で何の準備もなく雪の世界へ飛び込んでいた。
それでも平気だった理由が今、目の前にある。
彼女は内に炎の獣を宿していたから、寒さに対する耐性を持っていたんだ。
「やれ猿舞! 全員ぶっとばせ!」
猿舞が全身の炎を猛々しく燃やす。
彼女の指示に従って、猿舞は大きく跳躍、スノーエイプに襲い掛かる。
雪の大猿対炎の大猿の対決だ。
猿舞は俊敏な動きで近づき、スノーエイプを拳で吹き飛ばす。
スノーエイプはその動きについてこれない。
加えて炎を纏った攻撃は、雪の世界で生きるスノーエイプにとってもっとも苦手とするもの。
文字通り圧倒して、一匹の大猿が三匹を倒してしまった。
「凄いね」
「あったりまえじゃん! あたしの分身みたいなもんだからな!」
そう言って彼女は勝利のブイサインをする。
頼もしいなんて言葉で収まらない。
これが彼女の、メイドの本気なんだと思って、思わず身体が震えた。






