魔王と勇者、そして
高密度の闇の魔力と火の魔力が互いを圧殺せんと言わんばかりに犇めき鬩ぎ合う。あまりにも強過ぎる力のぶつかり合いにこの世界自体が耐えきれないのか、まるで周囲の空間が悲鳴を上げるかのように凄絶な音を立てて軋む。
それは正しく、この世の終焉の様な光景。
魔王と勇者の衝突。新たな神話の一ページとして語り継がれる様な戦い。
束の間の均衡は一瞬にして崩れ、闇の魔力が急速に高まる。
爆発するかのような魔力の奔流は軈て魔王が此方に向けるその手のひらに収縮し、そして――――
「【暗黒の波動】!」
一条の黒き閃きとなって放たれた。
余波だけでも周囲の壁や床を軋ませるその黒い光線は俺一人を消し飛ばすには十分過ぎる威力を内包しているのが見て取れた。
それを俺は、魔力を纏った右手で力任せに捩じ伏せた。
「なっ!?」
「その程度か、魔王セラフィーナ。それではこの俺には届かないぞ」
今度は此方の番だ。俺は彼女にそう告げると、魔法の詠唱に移行する。
魔力を解放すると、今度は火の魔力が闇の魔力を飲み込み吹き荒れる。
「【我が名の下に命ずる。大地を燃やし割れ、我が魂に宿りし炎よ。全てを焼き切る、原初の火よ。この星の鳴動を解放せよ】!」
「きゃっ! こ、これは……なんて魔力っ!?」
俺の純度も質量も馬鹿げた魔力に当てられたのかその場に縫い付けられる様に立ち尽くす魔王。絶えず迸る火の魔力はまるで一つの生命のように蠢き、軈て俺の身体へと収束する。
一瞬の静寂。その中で魔王と目が合うと、彼女は硬直から回復し俺から距離を取ろうとした。――――が、逃がさない。
「【爆発する大地の・神炎】」
「くっ! 【暗黒の障壁】!」
瞬間、爆炎が立ち上った。
大地から噴き出した超高温の炎は魔王城を丸ごと突き破り、最上階のこの『魔王の間』を蹂躙した。
魔王城は一瞬にして崩壊し、地獄のような光景が生み出された。数十キロメートルに渡るその山のように巨大な暗黒の城はその大部分を焼失し、今にも崩れ落ちそうな酷い有様だ。
そんな災害のような魔法を受けた魔王は――――未だそのか細い両足で立っていた。
「ほう。俺の魔法を受けて尚倒れない、か。流石は歴代最強の魔王だ」
「…………でたらめすぎます。個人がこんな規模の魔法を軽々と放つだなんて、そんなの人間の域を軽く超えてます」
私の障壁魔法をこんなに簡単に砕くなんて……。信じられないといった風に言う彼女はもう満身創痍だった。その身に纏う服は大部分が焼け落ち、煤けている。彼女自身の白い肌が焼け爛れていないのは彼女の高い耐性のお陰か、その身に纏う高純度且つ高密度の魔力のお陰か……恐らくどちらもなのだろう。
立っているのがやっと。追い詰められた筈の彼女は、俺をハッキリと正面から見つめると――――不敵に笑った。
その表情は小動物然とした彼女からは想像出来ない物だったが、不思議と違和感は無くとても美しかった。
「ですけど、分かっちゃいました」
「ふむ。何を理解したのかは知らないが、これ以上は無駄だ。お前の負けだよ、魔王。せめて降伏してくれないか? 俺に敗者を甚振る趣味は――――」
無い。そう続けようとした俺の言葉を遮り、彼女はその笑みを凄絶な物にして言う。
「降伏? なぜですか?」
「……力の差は歴然だろう。それとも、お前は彼我の実力差すら分からない愚か者だったのか?」
「ふふっ、そうですね。お兄さんはやっぱり強いです。きっと、私よりずっと」
「なら――――」
「でも分かっちゃったんですよ。さっきも言ったでしょう?」
此方を見つめる彼女の黒い瞳には怯えが一切無く、それどころか此方を狩らんとする好戦的な色が宿っていた。
「確かにあなたは強い。強すぎると言ってもいいです。でも――それ故にあなたには致命的な弱点がある」
見せてあげます。そう言って此方へ手のひらを向ける彼女は――――成程、人々を恐怖のどん底に墜し沈める魔王に相応しい威圧感を纏っていた。
その手に収束していた闇の魔力は軈て弾け、此方へと放たれる。――――が、しかし。
「【暗黒の波動】!」
「これなら先程も見たぞ。数分前に通用しなかった魔法が今度は通用するとでも思ったのか? それは考えが甘いと言わざるを得ないな」
まるで先程の攻防を再現するかのように――――否、先程よりも無駄のない動作で俺はその闇の波動を握り潰す。お前のそれは確かに強力だが俺には通用しない、と。そう言外に伝える。
魔王にとっては吠えた直後の攻撃をいとも容易く捻じ伏せられた状況だが、それでも彼女の顔には余裕の笑みが消える事なく浮かべられている。何だ? 何を狙っている?
いや、ここは考えれば相手の思う壷か。ブラフにしろ何かを企んでいるにしろ彼女が満身創痍である事に変わりはない。つまり、俺が取るべき行動は――――
「まあいい。最後通牒はもう告げた。その上で立ち向かってきたお前に敬意を表し、これで終わらせてやろう。――恨むなよ?」
――――俺に出せる全力を以って、その企み諸共彼女を圧殺する事。
先程よりも数段強い魔力の奔流。俺はその魔力を存分に解放し、そのまま詠唱を開始する。
唱えるは、魔王が何をしたところで逃れる事は出来ない程の威力を誇る大魔法。その魔法が放たれれば魔王は敗北するであろう事は誰の目にも明らかだが、当の魔王本人はその莫大な魔力の波に飲み込まれながらも余裕の笑みを崩す事無く、まだ動かない。
これはブラフだったか。せめて苦しまぬように。
そして――――
「【我が名の下に命ず――――!?」
「【暗黒の波動】っ!」
その闇の波動は空気を切り裂き俺に迫り、直撃した。
着弾した闇は途轍もない衝撃を撒き散らし、辺り一面を吹き飛ばした。無論、その魔法が直撃した俺も例外ではない。
「ぐっ……!」
「うふふふっ。通用しましたね、お兄さん?」
大変楽しそうに笑う魔王セラフィーナ。しかし、俺はそれを気にする余裕すら無かった。
全身に走る激痛は絶えず俺を苦しめ、呼吸すらも困難になる。これ程の痛みを味わうのはいつぶりだろうか。少なくとも、誰かからの攻撃で俺がこんなダメージを負う事は一切記憶に無い。当然だ。だって俺は最初から『最強』で、誰かに負ける事なんて無かったのだから。
あまりのダメージに明滅する視界の中、俺は歯を食いしばって立ち上がる。グワングワンと音を立てて揺れる頭。朦朧とする意識の中で――――魔王が邪悪に笑ったのが見えた。
「ほら、早く構えないと――――死んじゃいますよ、お兄さん?」
「くっ、【我が名の元に――――」
「【暗黒の波動】! 【暗黒の波動】! 【暗黒の波動】っ!!」
立場は明確に変わる。
狩る側から狩られる側に。捕食者から非捕食者に。
目の前に居るのは小動物ではなく、俺の命を一方的に刈り取る死神だった。
そう、状況は一方的だった。彼女が放つ魔法は俺の身体を的確に射抜き、俺は攻撃どころか防御の魔法すらも放てやしないまま。ろくに抗う事すらも出来ていない。
気付けば俺は、魔王の前で為す術も無く倒れ伏していた。




