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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第七章
85/226

長篠合戦 参

 



 ーーーーーー




 連合軍によって長篠城を囲む城砦群、有海村が陥落したことは、逃げてきた兵士によって武田軍本隊に伝わった。


「ぐぬぬ……」


 状況が極めて悪くなったことに歯噛みする勝頼。元々劣勢であったが、これで天秤はさらに敵へと傾いたことになる。


「殿、やはり撤退すべきでは?」


「煩い!」


 再び撤退論が持ち上がるが、勝頼は拒絶した。ここで撤退すれば、激しい追撃を受けることは必至である。そうなると大きな損害を出す。攻めても同じことだが、決定的に違うのは、攻めれば敵将を討つことができることだ。もし大将を討つことができれば、正面の敵軍は瓦解する。それどころか、領国支配も揺らぐだろう。成功すれば、一気に畿内への道が開けることになる。


(織田や北畠に代わり、武田が天下を差配するのだ)


 それは、父・信玄もなし得なかった偉業だ。家中における勝頼の評価は間違いなく上がる。同時に、信玄がなぜか目をかけていた具房よりも、自分の方が優れているということの証明にもなった。


 しかし、そのためには時間が必要だ。敵は正面の主力と後方の別働隊とで挟撃してくるだろう。普通に戦えば、戦力が二分されてますます弱体化する。勝頼としては、出来る限り多くの戦力を敵主力にぶつけたい。そのためには、わずかな兵で敵の猛攻に耐えられる者を後方に配置する必要があった。


「左衛門大夫殿(穴山信君)、典厩殿(武田信豊)。後方の備えを任せる」


 選んだのは、一門や親族でも特に重きをなす二人ーー穴山信君と武田信豊であった。二人には城砦群から逃げ帰ってきた兵を任せ、別働隊を防ぐように命じる。


「左翼の一番手は山県(昌景)、右翼の一番手は馬場(信房)だ」


 勝頼は左右に山県昌景、馬場信房をはじめとした信玄時代から活躍している家臣団を、中央に武田信廉をはじめとした親族衆を配置した。両翼包囲を狙った布陣である。寡兵ながら包囲するかのように動くことで、敵に自分たちの数を見誤らせようという魂胆だ。一種の心理戦だが、既に武田軍の数は把握されているため、無駄なあがきでしかない。


「前進!」


 そんなことなど露知らず、勝頼は全軍に前進を命じた。


 武田軍の動きは、連合軍の陣地からもしっかりと確認できた。再び諸将が集まり、軍議が開かれる。


「挑んでくるか」


 信長はポツリと言った。短いながらも、この場にいる者の声を代弁している。彼我の兵力差から考えると、ここで戦いを挑むのは勇猛を通り越して無謀といえた。とはいえ、攻撃してくるなら応戦しなければならない。手順や方針を念入りに確認する。


「基本は、鉄砲や弓を使った遠距離攻撃だ」


 武田軍は強い。まともに戦えば大きな損害を覚悟しなければならなかった。だが、鉄砲や弓による攻撃であれば、刀剣を扱う相手を一方的に叩くことができる。特に、習熟を必要としない鉄砲の存在は大きい。理論上、どんな弱兵でも精兵を倒すことができるからだ。


 ただし、敵が馬防柵や空堀を越えてきた場合は白兵戦で対処するように、とされていた。決して無理をしないようにとも注意される。念のため、防衛ラインは各陣地とも三重に敷かれていた。第一防衛ライン程度なら、躊躇なく放棄できる。もっとも、第二は軽々に放棄はできない。後がなくなるのだから当然だ。もっとも、そこまで武田軍に押されるかというと……ないとは言えないが、かなり低いだろう。そんな心配をするよりも明日、自分が急死することを心配した方がいい。


「矢弾は十分にあるので、存分に」


 具房が撃ち惜しみをしないよう、注意喚起する。弾を惜しむな、命を惜しめ、というアメリカ的な発想だ。物資は数日でできるが、人間は十数年経たなければ戦えるまでに成長しない。それを考えると、人間を失うよりも物を失った方がマシだ。


「それから、矢弾が足りなくなりそうなら使いを送ってください。追加を届けさせるので」


 そのときは、ここにいる佐之助に知らせてください、と具房。突然、名前が上がった佐之助は驚き、慌てて一礼した。空気になろうとしていたのに酷い、と具房を見る佐之助。具房はスルーした。


「わかった」


「もしものときは、頼らせていただく」


 信長、家康はその申し出を受け入れた。今回の戦いにあたっては、大量の鉄砲と弓矢を用意している。鉄砲でいえば、徳川軍でも三千丁。織田軍で六千丁だ(北畠軍は二万丁)。これまで運用したことのない数であるから、十分な弾薬を揃えたつもりでも、足りないかもしれない。不安を覚えるのも仕方がないことといえた。その点、北畠軍が大量の弾薬を確保していることは、彼らにとってもありがたい。


 連合軍は左翼に織田軍、中央に北畠軍、右翼に徳川軍が布陣していた。最も火力を有する北畠軍が中央に入ることで、必要に応じて両翼に支援が行えるようになっている。


 軍議で迎撃が選択され、連合軍は準備を始める。特に忙しいのが北畠軍だった。軍議のため、戦線中央(北畠軍の陣地)に集まっていた諸将はその様を目の当たりにする。


「急げ急げ! 間に合わなくなるぞ!」


「旧式と新型の弾薬を間違えるなよ!」


 輜重科の指揮の下、北畠軍の兵士たちが駆けずり回っている。陣地には弾薬が積まれていた。兵たちはここから自由に弾薬を取ることができる。携行する弾薬では、絶対に足りないからだ。


(ここに火を放たれれば……)


 ある武将は、火薬が大爆発を起こす未来を予想した。たしかにその懸念はあるが、可能性としては少ない。なぜなら、箱に火薬が詰まっているわけではないからだ。


 火薬は分量を間違えると問題が発生する。鉄砲であれば、火薬の量を間違えると銃身の強度不足などの理由で膅発が起きかねない。なので、火薬(装薬)は厳密な計量が必要だ。


 では、戦場でちまちまと重さを計っている暇があるのかというと、そんなものはない。そこで、具房は前線に運んでくる弾薬は早合に統一していた。事前に火薬を計量し、竹筒に詰めた物である。これである程度、事故を防ぐことができた。


 諸将が自陣に戻ったころ、眼前の武田軍が動いた。


「来たぞ!」


 見張りが警報を出す。見れば、武田兵が喊声を上げながら突撃してくる。具房は迎撃を命じようとしたが、それをするまでもなく兵たちは武器を構え、準備をしていた。


「撃て!」


 まず、陣地後方に展開する砲兵が砲門を開く。弾種は榴弾であり、着弾の前後に砲弾が炸裂。破片を撒き散らし、周りの人間を殺傷する。しかも、実弾訓練を通して得られた経験があり、厳密な計量を行った装薬を使っているため、照準が可能になっていた。正確な照準ができることから、ほぼ横一列に砲弾を着弾させる。これで、武田軍の突撃を効果的に阻むことができた。


 しかし、完全に抑止することはできない。絶え間なく撃ち続けていると砲身が過熱し、膅発の恐れがある。継続して砲撃をするには、毎分二発が限界であった。そのため、砲弾の雨を潜り抜けた武田兵も多く出る。これに中距離では擲弾、近距離では銃弾で対処した。


「敵接近!」


「構えッ!」


 武田兵が擲弾の弾雨に打たれながらも進撃してくる。北畠軍は連合軍のなかで最も早く射撃態勢をとった。既に司令部(具房)から『現場指揮官の判断で撃ってよし』との命令が出されている。後は、現場の彼らに委ねられた。


 これを見た連合軍の諸将は首を捻る。いくらなんでも早すぎる、と。だが、新型銃の性能からすればむしろ近づけすぎだった。


「撃て!」


 頃合いを見て、射撃命令が下る。北畠軍以外の誰もが早いと思っていたが、目前の武田兵が次々と倒れていくことから有効射程に収まっていたことは明らかだ。驚きはこれだけではない。


「なぜ後退しないのだ?」


 織田軍の本陣で、信長は疑問を口にした。鉄砲は強力だが、弱点もある。最たるものが発射速度。再装填に時間がかかり、その間に敵に接近されてしまうのだ。これを防ぐため、信長は三段撃ちという作戦を編み出していた。そのことを具房も知っているはずで、なぜ同じようにしないのか不思議に思ったのだ。


 彼の疑問への回答は、北畠軍の動きであった。兵士は一斉に槓桿を引く。こうすることで空薬莢が排出され、弾倉から次弾が装填される。ほんの数秒で射撃準備が完了した。


「撃て!」


 再度の射撃命令。兵士たちは余裕を持って対応する。これは戦場の諸将に衝撃を与えた。再装填に時間がかからない鉄砲は、彼らにとって御伽噺でしかない。だが、今自分たちの目の前に、御伽噺の産物が存在している。欲しくならないわけがなかった。


 長篠戦後、信長たちは新型銃の販売を要求するが、具房は当然のように拒否した。他国にない最新兵器を売る馬鹿はいない。


 北畠軍の歩兵は、五発を撃つと再装填の必要があるため、後方に下がる。しかし、代わりの兵が出てきて弾幕を途切れさせなかった。


「上々だな、新型銃は」


 本陣の具房もニッコリである。射撃速度もさることながら、新型銃は煙がほとんど出ないのもいい。黒色火薬を使う火縄銃で同じことをすれば(できると仮定すれば)、煙で何も見えなくなるだろう。しかし、新型銃の装薬は無煙火薬を使っているため、そんなことにはならなかった。


「すぐ弾切れする! 臆せず進めーー」


 猛烈な弾幕に進撃を阻まれても、武田軍は突撃を止めない。前線の指揮官が、銃撃はすぐに止むと兵士たちを鼓舞して回る。銃声、砲声、剣戟音ーー喧騒に満ち満ちた戦場で、指示を通すには大声を出すしかない。さすがに目立った。


 ーーダンッ!


 目立つ(偉い)存在を逃さないのが狙撃手。後方で狙いを定める孫一たちによって、武田軍の前線指揮官が次々と葬られていった。だが、それは金ヶ崎などのこれまでの戦いと比べると明らかに少ない。武田軍が他の軍と大きく編成が違うというわけではないのに。


「ここは主力ではないってことか」


「両翼に攻撃が集中しているようだな」


 孫一の言葉に、射撃指揮を任されている六角義治が同意する。北畠軍は中央に展開しているので、左右の様子がよくわかった。


 両翼では織田、徳川軍から猛烈な銃撃が加えられている。織田軍からは時折、大砲も撃ち込まれていた(ただし運動エネルギー弾)。だが、やはり武田軍の進撃を阻むことはできない。


 このような報告を聞いた具房は、側にいる武官に訊ねた。


「我らにはいくらか余裕があるな」


「はい」


「ならば、いくらか支援に回せ」


 具房の命令によって、一部の部隊が織田、徳川軍に攻めかかる武田兵を横から銃撃した。そのなかには当然のように孫一もいる。


「やっぱ、こうじゃないとな」


 ルンルン気分で、息をするように銃を撃ち、敵将を血祭りに上げていく。その犠牲となった有名武将は、左翼(織田軍)に攻めかかっていた土屋昌続、貞綱であった。


 しかし、高級指揮官が討たれようとも、武田軍の勢いは衰えない。損害に構わず突撃し、遂には馬防柵に取りついた。騎馬武者は柵に阻まれ、立ち往生する。そこを銃撃されて負傷した。それを見た後続は、柵まで馬に乗って前進。近づくと降りて、徒歩で陣地内へと侵入した。空堀に苦戦しつつ、第一防衛ラインに攻撃を加える。


「鉄砲隊、下がれ!」


 鉄砲隊は第二防衛ラインへ後退。代わって刀剣で武装した兵たちが前へ出て、白兵戦を展開した。なお、後退した鉄砲隊は発砲を続けている。これができるのは、後段の射撃陣地が前段のそれよりも高くなるように作られているからだ。前段の陣地で戦闘が続いて射撃ができないと、損害を受けていない後続が次々に陣地へ殺到してしまう。だから、高低差を設けて射撃が継続できるようにしていたのだ。


 さて、こうして白兵戦が発生したのだが、武田軍は強かった。後退すれば、またあの銃砲火の雨を通らねばならなくなる。石にかじりついてでも、この陣地(安全地帯)を奪取する! 押し返されてなるものか! 進めぇぇぇッ! と。敵陣の方が安全、というのはなんとも変な話だが。


 まあそんなわけで、背水の陣のようになっている武田軍は物凄い気迫で攻め寄せてくる。対する連合軍は、後(第二、第三防衛ライン)があるし、少しくらい……という甘えがあった。それが戦意の差に直結し、各所で連合軍は劣勢に立たされる。


 特に押されているのは左翼。ここに攻め寄せてきたのは馬場、真田隊。最左翼に陣取る佐久間信盛の部隊に猛烈な攻撃を仕掛ける。真田兄弟は銃弾を浴びながらも前進。何と、防御陣地すべてを奪取した。


「不甲斐なし!」


 このことを聞いた信長は憤慨する。圧倒的な戦力差がありながら、陣地を奪われるとは何事かと。「退き佐久間」の異名通り、後退は整然と行われた。しかし、今必要なのは攻撃。信長は、信盛に何としても陣地を奪回せよと厳命した。佐久間隊は最左翼。敵が左翼から浸透すれば、包囲される恐れがあった。それは極めて拙い。


「義弟殿に応援を頼め」


 不安になった信長は、保険として具房を頼った。彼が担当する中央は比較的敵の攻勢が緩く、両翼を援護するだけの余力があったためだ。


「承知した。房高、予備の大和兵団を連れて援軍に向かえ」


「っ! わかりました!」


 具房は援軍の将に房高を起用した。藤堂房高、何気に大部隊を率いるのは初めてのことである。だがそれは、登用したときの約束でもあった。いずれ、一軍を任せるという。房高は歓喜に震え、この任を必ず成し遂げるという決意を固め、出発した。







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[一言] 鉄砲を大量に所持する連合軍が有利だが、武田軍もしぶとい。 さてさて・・・。
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