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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第六章
72/226

北畠軍学

 



 ーーーーーー




 夏。具房の目線は海外へと向けられていた。毱亜を保護したことでマカオで売買されている日本人奴隷の存在を知り、その救出に注力していたためだ。その傍ら、北陸や畿内での戦況を注視していた。また、お市や葵の妊娠が発覚するなど、色々なイベントが起こっている。


 そして十月下旬。具房に武田軍が行動を開始したという報告が届く。


 いよいよこのときがやってきたーー。


 具房の心境を表す言葉としては、これが最も適当だろう。予想通り、冬場の侵攻だ。上杉家は夏の間、武田を釘づけにしてくれていた。おかげで具房たちは入念な準備をすることができた。


「行くぞ」


「「「応ッ!」」」


 具房の言葉に、出陣の準備を整えた精鋭が応える。今回は予め侵攻が予想されていたため、それに合わせた動員を行うことができていた。大和、紀伊の部隊は畿内・四国方面への抑えとして残しておく。指揮官は信虎だ。


 出征するのは伊勢と志摩、伊賀の部隊。数は二万だ。このうち、志摩兵団は海路で移動する。彼らにはアメリカ海兵隊のような即応展開部隊としての任務が付与されており、ひと足早く海路から浜松に入ってもらう予定だ。


 その他は陸路を進む。東海道へ出て東進するだけだ。途中、尾張で滝川一益の軍と、岡崎で徳川信康の軍と合流した。具房との再会を喜んだのが信康である。


「お久しぶりです、中納言様(具房)」


「三郎殿(信康)も息災そうで何よりだ」


 挨拶を交わした二人は轡を並べて進む。道中、色々な話をした。真っ先に話題になったのは、前に会ったときに指摘された学問について。


「中納言様に勧められた『孫子』を読みました」


「どうだった?」


「とてもためになりました」


 信康はとてもいい笑顔を見せる。以前、具房は彼に勉学にも励むようにと言った。とはいえ、これまで部活に打ち込んでいた人間に、ある日突然勉強しろと言ってもできるわけがない。それは、全国の受験生の母親たちに証明されている。塾に通わせても勉強しない(できない)というのはよく聞く話だ。


 ではどうすればいいのか。具房が提案したのは、興味のある分野を踏み台にすることだった。信康の場合、武芸には熱心に打ち込んでいた。なので、戦争に関連した本を紹介している。それが『孫子』だ。


 戦国時代は戦乱の世の中ということもあり、兵法書というのはよく読まれている。しかしながら、その主流は『六韜』や『三略』であった。また日本語訳など行われていないため、兵法書を読むには漢文の知識が要求される。殆どの戦国武将は僧侶に講義をさせていた。それなのに具房が『孫子』を勧めたのは、彼の目指す戦争の形に近いことが書かれてあるからだ。


 戦わずして勝つ。


 誰もが一度は聞いたことのあるフレーズであろう。そのソースは『孫子』である。つまり、『孫子』は戦わずして勝つ、ないし戦う前に勝敗はついている状態を最上としているのだ。戦う前に勝敗がついていれば無用な戦いをしなくて済む。それは戦の減少を意味し、ひいては平和的に日本の統一が進められるということになる。戦によって苦しむ人が減るわけで、これは具房の考えと合致していた。


 この時代、本が読めなければ勉強はままならない。ゆえに読書を習慣にする必要があった。信康を読書好きにするためにも彼の興味関心がある軍事の聖典ともいえる『孫子』は格好の題材であった。その上、『孫子』は軍事だけでなくビジネスにも役立つ。読書への啓蒙であるとともに、他分野を学ぼうとする下地にもなるーーそんな狙いもあって、具房は『孫子』を読むように勧めたのだ。


 その効果はよく現れていた。信康は興奮気味に自身の読書体験を語る。『孫子』をはじめとした兵法書では飽き足らず、『論語』などの四書五経にも手を出しているらしい。すっかり読書にはまったようだ。いいことである。


 とはいえ、過ぎたるは猶及ばざるが如し。何事もほどほどが大事だなと具房は思った。なぜなら、信康はガチだったからだ。具房は教養人のごとく振る舞ってはいるが、それは張りぼて。前世の知識を活かしているにすぎない。色々な書籍を挙げているが、実際に読んだものは『孫子』くらいのものだ。それ以外は前世に聞き齧った知識のみである。


 一方、信康はそれらの書籍を真剣に読み込んでいる。さらに具房を自分より深く読み込んだ教養人だと思っているため、疑問点だったり解釈が難しい部分を訊ねてくるのだ。たまに回答に困ることがあった。その度に頭をフル回転させて答えを捻り出していたため、精神的な疲労が溜まる。


「……大丈夫?」


 夜、信康と別れて寝所に入ると、疲労から自然とため息が出る。そんな具房を見て、影ながら護衛をしている蒔が心配そうに寄ってきた。


「ああ……」


 具房は力なく反応を返す。その疲労具合を見た蒔は、よしよしと具房を介抱する。大名としての仕事に疲れたとき、彼は葵にこうやって癒されていた。蒔はその代理を務めたのである。ちなみにお市は「癒し」ではなく「元気」担当。彼女に喝を入れられると、不思議と元気になる。やはり可愛いは正義だ。


 蒔の献身的な支えにより、具房は浜松まで何とか精神を正常に保つことができた。


 浜松城は物々しい空気に包まれていた。伝令が激しく出入りしており、それに触発されたのか兵士たちも張り詰めた表情をしている。結果、城全体がピリピリしていた。そんななか、具房たちは家康の許へと通される。


「よくぞおいでくださいました」


「お世話になります、三河守殿(家康)」


「いやいや。中納言様の参戦は心強い。どうぞお寛ぎください」


 家康はまず具房に挨拶した。社会的な立場からして妥当な対応である。次に一益、信康という順で声をかけた。だが、この場には四人の他にもうひとりいる。かつて具房に仕えていた本多正信だ。


「息災だったか、弥八郎(正信)?」


「はい。おかげさまで」


「弥八郎は中納言様に仕えていたときの経験を活かして、頑張ってくれていますよ」


 家康が正信の活躍ぶりを語る。彼は北畠家に仕えていたという経歴から、北畠家との連携ーー諜報や軍事、産業的な交流ーーを担当していた。これは徳川家の重要政策であり、その中心を担うということは、重臣かその候補ということになる。正信の場合は家康に側近として重用されており、明確に重臣という扱いであった。


 破格の待遇といえ、正信は喜んで然るべきだ。しかし、それができない事情がある。彼は三河一向一揆に与して徳川家を離脱したという過去があり、徳川家臣たちにはこのような好待遇は不評であったからだ。同期入社した人間が大企業に引き抜かれ、しばらくして部長として帰ってきた感じである。徳川家一筋の家臣たちからすれば面白くない。


 しかし、具房にどうこうできることはない。心のなかでエールを送った。


 挨拶が終わったところで、情報の共有と今後の方針を大筋で決めていく。


「武田軍の動きは?」


「南信濃から奥三河へ秋山伯耆守(虎繁)による侵攻がありましたが、長篠の鳥居彦右衛門(元忠)が撃退しています」


「奥三河の防備が役に立ったわけですな」


「ええ」


 具房は己の策が嵌って嬉しくなる。だが、喜んでばかりはいられない。武田による奥三河への侵攻を防いだとはいえ、与えた損害はごくわずか。ほぼ万全の状態で、武田の全軍が遠江に集結するのだ。油断すれば大敗して戦線が崩壊しかねない。それはそれ、これはこれの精神で気を引き締める。


 注目されるのは武田軍の主力である。家康によると、彼らは既に遠江へ入り、二俣城にいるという。ここで問題になるのは、彼らがどう動くかということだ。


「東へ向かえば高天神城、西へ向かえばここ(浜松城)へ……」


「難しいな」


 高天神城を攻略すれば、武田軍は後顧の憂いをなくすことができる。一方、浜松城を攻略すれば遠江での徳川勢力は壊滅。三河についても、かなりの打撃を受け、その後の進撃が容易になるだろう。どちらへ進むこともあり得るため、判断はとても難しい。


「浜松に主力を置き、迎え撃つことを前提としましょう。幸い、兵力は我らの方が上です」


 一益が進言した。具房が構想したように、浜松には徳川家が動員できる兵力の大半が集結している。その数一万余。ここに具房と一益の兵を合わせると総兵力は三万五千ほど。二万五千の武田軍よりも数的優位を確保していた。


「高天神城へ攻め込んだ場合、救援はまず志摩兵団で行おう」


 そう申し出たのは具房。家康は北畠軍が先鋒をする必要はないと遠慮したが、具房が迅速な救援のためだと押し切った。なぜ志摩兵団かというと、海路が使えるからだ。二俣城が武田軍に取られているため、陸路では妨害される恐れがある。一方、海は北畠海軍が制海権を握っていた。武田水軍は編成途上であり、脅威にもならない。安全な海上輸送路が確保されているのだ。


 なお、志摩兵団を使うのは、彼らが上陸作戦を前提とした部隊だからである。海から上陸するのはなかなか手間がかかり、もたもたしていると敵に城までの道を塞がれかねない。そうなると上陸作戦の長所である奇襲性が失われてしまう。そのため、上陸戦の訓練を受けた志摩兵団を投入するべきなのだ。


 家康との間では、去年の戦闘結果を鑑みて、武田軍との正面衝突はなるべく避けるということで合意がなされていた。武田より軍の質では劣っても、数や経済的には徳川家(北畠家なども含む)が有利であり、総合的な力では勝っているのだ。時間はこちらの味方である。


「負けないことがすなわち勝つこと。北畠軍学ですかな?」


「そんな大仰なものじゃない」


 家康が言うと、具房は苦笑した。しかし、この考えは既に徳川家のなかで支持を得ていた。三方ヶ原でこてんぱんにやられたのが響いているらしい。負けなかった具房に従おうというわけだ。


 その後は時間まで他愛もない話を続ける。ここでも信康が読書の感想マシンガントークを炸裂させた。散々聞いた具房は辟易したが、家康は感動していた。武芸にしか興味のなかった息子が、輝くような笑顔で読書の感想を述べているのだから。その気分は、部活しかしてこなかった子どもが、一夜にして勉強机から離れなくなった親と同じであろう。


 そんなわけで、家康はとてもご機嫌になった。その調子で家臣たちを前にした会議に出る。徳川家臣たちは家康の様子を見て何事かと驚いたが、後で理由を聞いて納得した。信康のことで悩んでいたことは周知されていたからだ。それに家臣たちからすれば、次期当主が勉学に励んでいることは何よりである。元より、武人としての信康の評価は高い。それに加えて勉学に励んでいるのだから、鬼に金棒。具房の狙い通りであった。


 肝心の作戦ーー武田軍の出方を待って浜松城での防衛戦か、高天神城での防衛戦かを決めるーーは、徳川家臣たちの具房支持もあり、特に反対意見はなく了承された。かくして、具房たちは"待ち"の姿勢をとる。







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[一言] 甲斐の虎との戦はもう間近・・・。 北畠軍学がどこまで通じるかねぇ・・・。
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