腐った納屋
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権兵衛と房高が豊後攻略に邁進している頃、筑前でも具房が攻略を進めていた。中国地方から博多への道を塞ぐような地にある小倉城。その役目を果たすように攻め寄せた毛利軍を足止めしていたが、北畠軍を前にしては防ぐこと叶わず陥落している。
「こうもあっさりと……」
自分たちが苦戦していた城を一日足らずで落とされては、経言もさすがに苦笑いするしかない。北畠軍の強さ、異常さについては理解しているつもりだったが、まだまだだったと反省した。
圧倒されたのは経言だけではない。具房とともに九州へ遠征してきた羽柴秀次もまた、北畠軍の力に圧倒されていた。
(軍事力が秀でているとは聞いていたが、これほどとは……)
毛利軍も衰えたりとはいえ、戦国時代を生き延びたばかりか、中国地方をほぼ支配下に置いた猛者である。彼らをして攻めあぐねた門司城や小倉城を、北畠軍は容易く落として見せた。
秀次は無力感に苛まれる。というのも、羽柴家は九州に拠点を置いていた。諸勢力との仲介を行うなど、それなりに活躍できると思っていたのだが、現実はただの神輿でしかない。すると不意に、秀吉や秀長が言っていたことを思い出す。
『よいか。伊勢様(具房)に逆らってはいかんぞ。あの方はお味方には優しいが、敵となると容赦がない』
『人材を広く諸国に求め、また諸々の産業を興し、南蛮の文化をある意味で大殿(信長)以上に受け入れている。軍事、経済ありとあらゆる事柄で他者を凌駕しているのだ。真っ向から逆らうのは愚者のすることよ』
といった具合である。二人の言葉を裏付けるかのように、具房は敵に対する容赦なさと軍事力、経済力を見せつけていた。
敵の籠もる城には、猛烈な砲撃を加えて人も建物も関係なく粉砕していく。それをなし遂げる強大な軍事力を支えるのは、圧倒的な経済力。全国に張り巡らされた通商網は、戦となると兵站線へと様変わりする。
その通商網を利用して運ばれるのは、莫大な軍需物資。武器弾薬や食料は無論のこと、酒や甘味といった嗜好品まで含まれている。それらが拠点に山と積まれるのだから、呆れ果てるしかなかった。これだけの物資、羽柴家ではとても用意できない。他の大名家だってそうだろう。これだけでも、十二分に北畠家の力を誇示している。
(まったく。なんてことをしてくれたんだ)
秀次はただただ、秀景と小少将の愚行を恨む。北畠家の天下は確実。秀吉が具房と親しい関係にあったことから博多という、九州でも豊かで重要な土地を任されていた。体制下でそれなりの地位に羽柴家がいられたことは間違いないだろうが、秀景がやらかしたせいで減転封は確実。地位にしても一大名、くらいのところまで下がるだろう。秀次は貧乏百姓から成り上がった秀吉に申し訳が立たなかった。
さて、小倉城を突破した北畠軍は博多城下へと殺到する。羽柴方はこれに抵抗する戦力を出せず、各自の拠点で籠城した。だが、籠城策は相手の補給が苦しくなって撤退していくのを待つ戦法。兵站を重視し、確立している北畠軍相手にそれは愚策でしかない。
羽柴方が城に籠もって食料を浪費している間にも、北畠軍は一部の戦力で肥前方面からやってくる龍造寺、立花軍を援護。彼らの行く手を阻む秋月氏などの豪族をねじ伏せ、博多城を囲む部隊に両軍を合流させた。
「援軍、感謝いたします」
「いやいや。当然のことだ。こちらこそ、助勢に感謝します。島津殿も立花殿も遠路ご苦労でした。それに少しでも報いることができればと思っています」
「「ありがとうございます」」
着陣の挨拶には島津義久と立花房虎が訪れたが、代表して義久が話していた。しかし、具房は二人に対して言っているという体裁をとったため、返答は二人で行った。
北畠軍は博多城を包囲するのみで暇を持て余していたが、具房は暇をしていたわけではなく、秀次とともに地元の有力者と会見していた。正しくは、彼らに猛烈な勢いで陳情されたため、仕方なく会ったのである。
「どうか我らをお救いください!」
「このままではお店が立ち行きません!」
身分差がなければ縋りつかんばかりに必死の陳情をするのは神屋宗湛と島井宗室。二人とも博多きっての豪商であるが、今は揃って素寒貧であった。
二人は羽柴家のお家乗っ取りがあった後、小少将が行った商人の家財召し上げについて、如何に酷いことかとヒトラーを彷彿とさせる熱弁を披露した。
「あの者は、我らが先代に協力したのだからと言って、多額の献金を迫ったのです!」
「それどころか、仕入れた品はすべて羽柴家に持ち寄り、吟味の上、望むものは献上するという条件つきでした!」
「あまりに過大なので、我らは断りました。お店が傾きかねないのですから」
「それでも、要求を引き下げれば受け入れると言ったのです。にもかかわらずーー」
「次の日には兵が押し寄せてきて、我らの商品や家財に至るまで、とにかく価値のあるものは悉く持っていかれました」
「こんな酷いことがあってよいのですか!?」
色々と言っているが、詰まるところは被害を何らかの形で救済してほしい、というのである。まあ、被害者からすれば当然のことだった。
(俺に言われても……)
んなもん知らねえよ、と言えればどれだけ楽かと具房は思う。もちろんそんなことは言えないので、頭が痛いのだが。
「貴殿らの言い分はわかった。私としても、そのような横暴は許容できるものではない。とりあえず、取り調べの上で貴殿らの資産が使われたと思われる金品については、貴殿らに下すとしよう」
「「おお、ありがとうございます!」」
補償についての言質がとれたことで、二人は飛び上がらんばかりに喜ぶ。海千山千の豪商がそれでいいのかと思ったが、それほど切羽詰まっているのだ。それこそ、ダメと言われれば割と本気で立ち直れないレベルで。陳情が通らなかったことを想定し、孫娘の身売りも視野に入れていた。それほど困窮しているのだ。
そんな背景を具房が知るわけもないが、ともかく彼の言葉によって二人は救われた。だが、具房は自分だけが負担を背負うのは何か違うと思い、秀次に水を向ける。
「……羽柴殿はどうされる? 一応、貴殿がここの領主だ。私もできる限りのことはするが、細かなことは貴殿がされるのが適当だと思う」
「!?」
ここで僕ですか、みたいな感じで具房を見る秀次。ここで振られるのはまったくの想定外だった。
「「……」」
チラッと視線をやれば、商人二人から期待のこもった眼差しを向けられる。これを見て、秀次の脳内から「断る」という選択肢が消えた。哀れで同情したのである。それに、義理とはいえ自分の一族が引き起こしたことなので、その責任もきっちり負わなければという使命感もあった。
そして、
「城内の金品で足りない場合、羽柴家が補填します」
と返答した。具房はフォローを入れる。
「聞いての通りだ。商人たちは被害目録を出し、被害の程度を示すように。もちろん、こちらでも精査した上で判断する。わかっているとは思うが、水増しをしようとは考えるなよ?」
「「しょ、承知しております」」
あっ、こいつらやる気だったな、と具房は思った。釘を刺した甲斐があったというものである。
こうして博多商人に対する補償は決着した。その後は博多の再開発に、商人たちの協力をとりつけるなど具房もそれなりの利益を確保する。結局、秀次ひとりが損をする格好になった。
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そのころの博多城内。評定を行う広間では、小少将と義昭のヒステリーが炸裂していた。
「何をしているのですか!? あの外敵を今すぐ追い払いなさい!」
「左様! 早く北畠を撃破し上洛するのだ!」
戦況が不利であるため、外出が自由にできなくなった小少将。そのストレスもあり、周りに当たり散らしていた。
義昭も相次ぐ敗報を聞き、八つ当たりを繰り返している。
理不尽極まりない仕打ちに不満を抱く家臣は多い。素気ない態度をとられるため承認欲求が満たされず、二人のヒステリーはますます悪化するという悪循環に陥っていた。城内の雰囲気は最悪である。
「無理です。とても歯が立ちません」
「九州諸侯の軍なら何とでもなりましょうが、北畠本軍は手がつけられませんぞ」
小倉城から逃げ帰ってきた者を中心に、北畠軍が強いから無理だという声が上がる。実際、北畠軍が介入するまで各地で九州諸侯の軍を足止めしていたので、彼らの言い分は間違っていない。北畠軍の軍事力がおかしいのである。
しかし、ヒステリー発症中の二人にそんなことは関係ない。義昭はのぶと対立していた頃からこの有様である意味慣れっこだが、小少将は違う。負け続きで博多城に押し込まれ、贅沢品やお気に入りの美男子に会えない現状を一刻も早く打破したい、という思いで凝り固まっていた。
「何とかしなさい!」
打開策が思い浮かばない小少将は他力本願。他人に丸投げした。彼女はその美貌と悪知恵で戦国の世を渡ってきた。一応、博多に攻め寄せられたところで、和睦の提案はした。家は秀次に返すから、自分と秀景の身の安全を保証することを条件に。だが、具房は一蹴した。これだけの大反乱を起こしたのだ。責任はしっかりとってもらう、というのが彼の言い分であった。道理である。朝倉、柴田、羽柴と上手い具合に鞍替えしてきたが、悪運はそろそろ尽きそうだ。
結局、何の解決策もないまま月日が流れる。時間の経過に従って、二人のヒステリーは悪化していった。
「殿。何とかしていただけませんか?」
心ある家臣は、二人を止められるかもしれない唯一の存在、秀景に取りなしを求めた。人と会うにも関わらず、平然と淫らな行為に耽る秀景に眉を顰めつつ、それくらいはやってくれるだろう、と。しかし、彼の返答は否であった。
「公方様(義昭)はどうにもできないね。それから、母上のアレは放っておけば治るよ。それより、僕は世継ぎを作らないといけないから。父上(秀吉)のように子なしでは、大名として存続できないからね」
そんなことを大義名分に、秀景は淫行に耽る。継嗣なくお家断絶よりも、物理的に家が消えかけている今、世継ぎを心配している場合ではない。しかし、彼はそのことを理解しているのかしていないのか、その辺りはわからないものの、とにかく現実を見ていなかった。
(ああ……)
これを聞いた家臣は諦観に囚われる。この人たちは何もするつもりがない。誰かが何かをしてくれるだろう。そんな身勝手なことを平然と思っているのだ、と。
失望した家臣は思った。
もう、どうにでもなーれ。
と。
ただし、彼が違ったのは事を成り行きに任せなかったことだ。
彼は自ら行動した。
一族郎党を連れて北畠軍の陣地へ投降したのだ。
「許されぬ行いに加担したことは事実。ですが、どうかお慈悲を。ここは某の首ひとつで……どうか!」
具房に必死の嘆願をする。自分がすべての責任を負うので、一族は見逃してくれないか、と。
(へえ)
具房は潔い姿勢に感心した。とはいえ、それは個人としての話であり、公人としてはとても許せない。なので、チャンスを与えてみた。
「博多城内の様子を具に語ってもらおうか」
籠城している相手の内実はよくわからない。なので、詳しく話してくれと言った。男は包み隠さず話す。自分が知る限りの情報を。
「酷いな」
話を聞いた具房の偽らざる感想だった。居並ぶ諸将も揃って苦い顔をしている。男は内心で激しく同意した。
「まるで腐った納屋だ。扉をひと蹴りすれば、建物ごと崩れそうだな」
ヒトラーがバルバロッサ作戦に際して言ったことを口にする具房。前世、近現代史を専攻していた友人から聞いた言葉で、それ以来、密かに気に入っている表現だった。
「沙汰は追って告げる。今は下がれ」
具房は男を退去させた。諸将は罰するべきだと主張するが、具房は処分の程度については、今から羽柴家をひと蹴りして決める、と退けた。
そのひと蹴りとは何なのか。答えは翌日すぐにわかった。
『投降せよ。意に反して悪事に加担せざるを得なかった事情に鑑み、今より投降する者には情状酌量の余地ありとみなし、減刑する』
そんな立札が立ち、城を囲む兵士たちが喧伝する。籠城する将兵への降伏勧告こそが、ひと蹴りの正体だった。聞く限り博多城内は酷い状況だ。きっかけさえあれば雪崩が起きる、と具房は直感した。
果たしてその夜、北畠軍の陣地へ多くの将兵が投降してきた。彼らの話を聞いて分析した結果、城に籠もる者はほとんどいないことが判明。翌朝すぐに攻撃が始まり、城はあっという間に陥落した。
秀景や小少将、足利義昭ら首謀者も捕らえられ、最大の反乱は実に呆気ない幕切となった。




