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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十二章
171/226

国境紛争

 



 ーーーーーー




 争いの理由は実に下らない理由だった。美濃と尾張に跨る濃尾平野では洪水が多い。これは木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が平野に集中しているためだ。洪水が起きる度に流れが変わっている。その結果、国境を策定した当時に本流とされた流路が支流の川幅より狭くなった。これを知った信孝は、


「川幅が最も広いところを本流と呼ぶべきで、そうすると本来の国境はもっと南になるはず」


 と言った。つまり、美濃の領土が増えたと主張したのだ。これに対して信雄は、


「そのような理由で変わるのはおかしい」


 と以前の国境線を通し続けることを主張した。話し合いが持たれたものの、議論は完全に平行線を辿る。以前からの対立も手伝って、両者は互いに出兵。国境で一触即発という情勢になった。


「何をしてるんだか」


 報告を受けた具房はまず呆れる。領土変更の可能性を見て、それを相手に持ちかけるのはいい。話し合いをすることも。問題は、相手が応じなかったからといって武力に訴えたことだ。それ自体は悪くはないが、はたしてそれだけの価値はあるのか? 具房としては甚だ疑問である。


(信孝としては、主張を通してマウントをとりたいんだろうけど……)


 兵士を動かすだけでも金がかかる。武力に訴えてまで実現すべき利益なのか。具房にとっては価値はなくとも、信孝はその勝利が極めて重要だと判断したようだ。相手が信雄なので、ややムキになっているという可能性も捨て切れないが。


 そして逆に考えれば、信孝の利益は信雄の損失だ。これに反対するのは当然といえた。さらに信雄には雪を強姦しかけたという前科がある。これ以上の失点を避けるためにも引き下がるわけにはいかなかった。


 さらに厄介なことに、この対立を信雄派と信孝派が煽る。国境に展開された兵力は双方が増派した結果、当初の数千から一万を超えるまでに肥大化した。それを統御できるはずもなく、一部の部隊が偶発的に衝突。それをきっかけに大規模紛争にまで拡大した。


「先に手を出したのは三七(信孝)だ!」


「いえ、兄上(信雄)です!」


 と非難の応酬が始まる。どうにもならなさそうだったので、具房が兵を出す羽目になった。


「双方とも、ひと先ず兵を引け!」


 三旗衆の圧倒的な軍事力を背景に両者を黙らせる。その後、秀吉など重臣が兵を率いてやって来た。


「ありがとうございます、伊勢様(具房)」


「いや、隣国の騒ぎはこちらも迷惑だからな」


 治安などが悪化するので迷惑以外の何物でもない。早急に鎮圧するに限る。具房は今後の会議に参加しないかと誘われたが断った。岐阜での会議は領土配分や後継者など、具房の関心が極めて高い事柄が議論された。しかし、今回は尾張と美濃の境界線はどこだ? という具房には関係のない話だ。勝手にやってくれ、というのが偽りのない本音である。


「そうですか……」


 秀吉は少し残念そうだが納得する。彼もいつまでも具房に頼るわけにはいかない、と思ったのだろう。彼は別れ際、


「ところで、お方様(雪)はどうされていますか?」


 と訊いてきた。


「すっかり参っているよ。男には会いたくないらしい」


 具房は例外であるが、敢えて言わなかった。その方が申し訳なさが強くなるからだ。案の定、秀吉は申し訳ないと謝ってきた。


「それは本人に言ってくれ」


 直接は無理でも書状くらいなら読めるだろう、と具房。秀吉もそうします、と言って去っていった。だが、今の今まで誰一人として「ごめんなさい」と言ってこないこと自体腹が立つ。イライラしながら伊勢に戻った。


 その後、両者の国境紛争は信雄の言い分が認められた。信長も知っていたが、国境を変えようとはしなかった。今さらその必要はないのではないか? というのだ。父を持ち出されては信孝も反論できず、国境はそのままとなる。今回は信孝の失点となった。


(どっちもどっちだな)


 具房は呆れてしまう。信孝は優秀だが、信雄のことになると少し視野が狭くなる。そこまで争う必要があるのかと思うが、生まれについて複雑な事情があったので仕方がないともいえた。


 具房の発言があったためか、秀吉をはじめとして雪を気遣うような内容の書状が送られてくるようになった。遅い、と思ったが戦国時代の女性認識を考えると送られてきただけでもマシである。腹立たしいが、そう思うことにした。


 雪はいそいそと返事を書く。まあ、気遣ってくれてありがとう、以外の内容はない。それ以上に何を書けというのか。具房もそれでいいんじゃない? と思っていた。


 とにかく傷心の雪が心配なので、具房は一日に一度は必ず彼女の許を訪ねるようにしていた。どんなに忙しくても暇を捻出している。幸い、男が絡まなければ雪は普段通りに生活できた。とはいえこのままというのも問題なので、子どもと一緒に過ごすなどしてリハビリを行なっていく。


 その一方で、雪とぎくしゃくしているお市とのコミュニケーションも欠かさない。厳密にいえば具房も泥棒の側なのだが、雪が暴走しているとわかっているため邪険にされることはなかった。


「はあ……」


 そのお市だが、このところ妙にため息が多い。仕事は真面目にやってくれているのだが、ふとした瞬間に物憂げな表情をしている。雪と喧嘩したからかと思ったが、そういうわけでもないらしい。結局、理由は不明だった。


 何かに悩んでいる様子だったので、助けになればと思ってどうした? と声をかけたことがある。しかし、言い淀むなど訊いてほしくないという雰囲気を醸し出していたので具房はそれ以上は訊かず、黙って一緒にいた。無言の時間も悪くない。


「ねえ」


 いつもは時間になるまでほとんど話さないのだが、今日は珍しくお市から話しかけてきた。


「ん?」


「本当に織田家を取り込むつもりなの?」


「そのつもりはまだない。ただ、混乱して俺たちの生活を脅かすなら、手段は問わないつもりだ」


 無論、その「手段」のなかには織田家を取り込むということも含まれている。お市はそれを理解した。その上で、


「わかったわ。そのときは協力する」


 と言った。


「いいのか?」


 具房は意外で、思わずそう訊ねた。お市は反対すると思っていたからだ。


「反対よ。でもこの前、尾張と美濃が境界をめぐって争ったでしょう? 同族同士でよ? 信じられないわ。それで気づいたの。こんなにボロボロだったんだ、って」


 それはこれまでも雪に聞かされてきたことだった。だが、お市の認識は信長の下にまとまっているというものだったため、そんなはずはないと反射的に否定した。それでも今回の一件を見て、雪の主張が正しいと認めざるを得ない。


「それに、旦那様なら私を悲しませることなんてしない、って信じているから」


 具房なら織田家を悪いようにはしない、そんな信頼があってこそお市は具房が天下人になることを認めた。


「約束する」


 具房は織田家をぞんざいに扱わない、と約束した。三法師は雪の子ーー具房の甥にあたるため、元よりそんなつもりはない。だが、お市を前にして改めて誓うことで自分を縛る。それが彼なりのけじめだった。


「うん。……じゃあ、雪さんのところに行こうか」


 ごめんなさい、と謝るという。二人の関係はぎくしゃくしていたが、正確にはお市が一方的に関係を絶っていた。なので謝りたいということだった。具房も仲立ちのためついて行く。


「雪さん、ごめんなさい。邪険にして」


「いえ。私も配慮に欠けていました」


 お市が謝ったのに対して雪も強引すぎたと謝罪。両者は目でたく和解する。具房は少しポーズなのではないかと疑ったが、その後二人は一緒にお茶をしたりお守りをしたりとしていたため、和解は形だけではなかったと確信する。家庭内不和も解決し、具房は満足した。


 だが、織田家の対立は収まらない。国境については合意がなされたが、三法師の補佐体制については未だ激しく議論されている。信雄と信孝で正反対の意見が出るため、なかなか結論が出ないのだ。これを解決できないかという動きが起きる。


 知恵を出すよう求められた具房は問題を信雄、信孝の偶数人で決めようとするため多数決がとれないことだと考えた。そこで重臣(羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀、滝川一益)の合議を加えてはどうかと提案。この意見が採用された結果、審議自体はスムーズに進んだ。


 問題は信孝と秀吉に近いメンバーが多く、議決された内容に信雄と勝家の意見がまったくといっていいほど入れられない、ということだった。これにより不満が徐々に蓄積される。そしてある時、それが爆発した。


「村を?」


「はい。長島近くの村を襲ったそうです」


 尾張に近い伊勢の村が、尾張からやって来た兵士に襲われたという。具房は事態の確認のため、清洲にいる信雄に使者を送る。また、領域侵犯が事実だった場合、また襲われる危険性があるとして伊勢兵団の留守部隊に出動を命じた。


 留守部隊が国境に展開したためか、信雄も軍を動員。両者は国境で睨み合うことになった。北畠軍を率いる武田信廉はそれに違和感を覚える。


「もっと時間がかかるものなんだが、早いな」


 軍隊というのは北畠軍のように、命令ひとつで迅速に出動できるものではない。触れを出し、人を集めているととにかく時間がかかる。それが従来の軍だ。それを指揮していた経験からいえば、織田軍の動員速度は異常である。多少は常備軍となっているが、大半はこれまでのように諸将が個別に集めてくるからだ。前々から準備していたとしか考えられない。


「正気か?」


 痛い目を見たことがあるので、信廉は織田軍のーーというより信雄の正気を疑う。北畠軍と正面からぶつかるのは愚策だ。火力で圧倒されて終わるに決まっている。指揮する側になり、内実を見た信廉は逆らう気になれなかった。


 両軍が睨み合いを続けるなか、信雄の許に送った使者が帰ってきた。謝罪を求めたのだが、本音では無理だろうと思っている。なので、原因を明らかにしてこいとのミッションを与えていた。使者はそれを一応、果たしていた。


「織田の言い分は、三法師様と雪様がいつまでも伊勢にいるのはおかしい。正統なる後継者を即刻、安土に復帰させるべし。さもなくば異心ありと見做し、織田家を挙げて取り返す、と……」


「そうか」


 と言いつつ具房は戸惑っていた。言い分はわかる。だが、そもそも雪が伊勢に行く原因を作ったのは信雄だ。お前が言うな、と。幼児の三法師を母親から引き離すのは忍びない。さらに、目的がそうならば軍事力をチラつかせている意味がわからなかった。段階を飛ばしすぎだ。普通は交渉から始めて、思うように進まなければ軍事力を持ち出す。戦争とは政治の延長線上にあるーー流血を伴う政治なのだから。


「村を襲ったことについては?」


「知らぬ、と申しております」


(だよねぇ……)


 どこの世界に陰謀を自白する奴がいるのだろうか。具房も最初から期待していなかった。このまま問い詰めても、信孝がやったのではないか? とか適当なことを言って言い逃れするに決まっている。こういう争いごとにおいて、話し合いでの解決など望むべくもないのだ。


 具房は村々に警備隊を送り、騎兵を警邏隊として巡回させる。これで下手に村を襲われることはないだろう。信雄は焦れたのか、織田軍に北畠軍を挑発させる。


「やーい、腰抜けども!」


「お前らそれでも武士か!」


 などなど、好き勝手に言う。だが、北畠軍はまったく耳を貸さなかった。それどころではなかったといえる。


「爺さん、何か困っていることはないか?」


「そうじゃのう、この歳になると農作業も大変でのう」


「なら俺たちに任せてくれ!」


「婆さん、これでいいか?」


「ありがとうねえ。兵隊さんが来てくれて助かるわ」


 村に送り込まれた兵士は警戒を維持しつつ、村人の雑用をしていた。戦いでは無類の強さを発揮する北畠軍だが、無敵の軍隊など存在しない。泣きどころはあった。北畠軍のそれはわかりやすく補給だが、他にもある。そのひとつが民心であった。


 徴兵を行っている以上、民が軍隊に対して好意的でなければ質のいい軍にならない。無理矢理連れてきたところで、やる気がなければ意味がないからだ。そこで村に行ったときは可能な限り民のために行動するよう、事前に通達されていた。


「隊長さん、悪いね」


「いえいえ。これくらい、訓練に比べれば何ともありませんよ」


「そうかい。手伝って貰ってばっかりじゃ悪いからね。これ、差し入れだよ」


「ありがとうございます」


 隊長だって暇なら労働する。部下だけ働かせて自分はサボっている、と思われたくないからだ。士官のこの姿勢は身分差が当たり前というこの時代の人々に刺さった。おかげで北畠軍は好意的に受け止められていた。


 差し入れとしてもらった干し柿を隊員たちに配る。もちろん隊長だから多い、なんてことはなく平等に分けた。余ったものについてはじゃんけんだったり、仕事を頑張った人間を推薦したりして分ける。


 上からきつく言われ、隊長も率先して働いているため兵士たちも作業に精を出す。それは思わぬロマンスも生んだ。兵士の勤労ぶりを見て、何人かのカップルが生まれた。


「お、おにぎりです。どうぞ!」


「ありがとう」


「えへへ」


 女の子はおずおずとおにぎりを差し出し、兵士が受け取ってお礼を言うと、嬉しそうにはにかむ。それを見た周りの兵士たちはヒューヒューと囃し立てる。二人揃って赤面するまでがお約束だった。


「いつ婿に来てもいいな」


 娘の親は立派な若者だから、婿に相応しいとご満悦。彼女は村の有力者の一人娘らしく、入婿が前提だった。軍には(職業軍人でなければ)次男以下しかいないため、問題はない。結婚が原則なのはこの時代のお約束だった。なお、件の兵士は貧農というわけではないが、あまり余裕もない家だったので逆玉といえるだろう。


 兵役があるため、次男以下は兵役を終えてから結婚する。そのため任地で結婚相手を見つけ、そこに定住するという事例が多かった。


「現地は特に問題ないようです」


「そうか」


 具房は忍からの報告を受け、民心の慰撫に成功したと安堵した。







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― 新着の感想 ―
[一言] 雪とお市が和解してよかったです 作者様は信雄が相当お嫌いなようですねww 信孝は史実では秀吉に切腹させられましたが、この世界では具房に切腹させられますかね?
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