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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第九章
112/226

募る不信感


 今回は、視点があちこちに飛びます。伏線回ですね。

 

 



 ーーーーーー




 天正四年(1576年)秋、上杉軍の西進が始まった。富山城をはじめとした越中の諸城を陥落させ、守護代の椎名康胤を討って平定した。二ヶ月とかかっていない早業である。


 勢いに乗った上杉軍は能登へ侵入した。標的となったのは七尾城。北陸の名門、能登畠山氏の居城だ。その当主は幼い畠山春王丸だが、彼に実権などない。有力な家臣である長続連、綱連父子が握っていた。


 しかし、家臣の専横は要らぬ反発を招く。畠山家も例外ではない。長父子が実権を握っていることを快く思っていない遊佐続光が、何かと彼らに反抗していた。上杉軍の侵入という非常事態が起きても、それは同じである。


「織田が畿内を押さえているのだ。ここは従い、上杉と戦うべきだ」


「そうです。上杉を食い止めることができれば、織田も我らに配慮しなければならないでしょう」


 と長父子が親織田、反上杉の立場から徹底抗戦を主張すれば、


「いや、織田は既に落ち目。ここは上杉につくべきだ」


 と続光が親上杉、反織田の立場から開城を唱える。何度となく議論しているが、どちらも己の主義主張に凝り固まっており、議論は独演会のようになっていた。なお、この場に春王丸はいない。彼には結果が通達されるだけである。


 とはいえ、家の行動指針を決める話し合いはこの通り平行線。日々、上杉軍が迫っている状況下では悠長に話していられる余裕はなくなりつつあった。


「美作守(遊佐続光)。ここはひとつ、家中の評議で決めぬか?」


 埒があかないと感じた続連は評議ーー要するに多数決での意思決定を提案した。いいだろう、と続光も乗る。ただし、評議は三日後ということになった。これは時間稼ぎである。


 続光の計算はこうだ。意思決定の時期が遅れるほど、準備できる時間は限られてくる。そうなると、城を守り切れるか怪しい。そこを突いて多数派工作をするつもりだった。三日という期間を設けたのは、周りに疑念を持たせるためだ。抗戦を試みたところで準備は間に合うのか? と。それを糸口に、続光は開城へ話を持っていくつもりだった。


 ところが、彼の思惑通りにことは進まない。危機感を抱き始めただろう二日目から勧誘を開始したのだが、いい返事がほとんどもらえなかった。三日目になっても変わらない。


 結局、工作は不首尾に終わった。そんななかで約束の期日を迎え、上杉軍に抵抗するか否かの評決がとられる。結果、遊佐氏と温井氏という親上杉派以外はすべて徹底抗戦に票を入れた。


「な、なぜ……」


「美作守」


 予想されていたとはいえ、実際に突きつけられると結果に愕然となる続光。そんな彼に続連が声をかけた。


「何だ?」


「貴殿は上杉に屈することをよしとするのか?」


「それ以外に道はなかろう」


 そう断じる続光。


「そうかな?」


「……何が言いたいのだ?」


「上杉は能登を侵す建前として、このところ続いていた内紛を挙げている」


 続光は頷く。上杉謙信が能登へ侵攻してきた名目は、能登の治安回復である。能登の支配者たる畠山家では、相次ぐ当主交代によって領主権力が弱体化。それが有力家臣ーー代表例が長氏や遊佐氏ーーの台頭を招き、情勢の不安定化につながっていた。謙信は自身が後見する当主を擁立し、能登の治安を回復させると主張している。


「だが、鎌倉以来、家中のことは家中で決める。それが武士の習いだ。それを侵す相手に屈することはできん。違うか?」


「……たしかに」


 続光はその言葉に頷くしかなかった。上杉とは誼を通じている。だが、親しき仲にも礼儀あり。いくら戦乱の世とはいえ、いや、だからこそ武士の習いを踏みにじるような相手に戦わず屈したとなれば、末代までの恥となる。


 そもそも、能登の治安回復を上杉が行うこと自体がおかしいのだ。彼らは関東管領。だが、能登は「関東」ではない。これは越権行為であり、受けて立たねばならなかった。


「おかげで目が覚めた。貴殿の言う通りだ」


「おおっ! わかってくれたか!」


「ああ。強大な敵を前にして、家中で争っている場合ではない。今までのことは一旦水に流して、やれるだけやろうではないか」


「よし、やろう!」


 こうして能登畠山家は上杉家の能登侵攻に対する徹底抗戦を決めた。


 このとき、続光を説得できたことに喜んでいた続連は気づいていない。彼が『やれるだけやろう』という限定的な表現を使っていたことに。そこには、政敵に対する不信感があった。




 ーーーーーー




 ところ変わって石山。ここでは一向宗が籠城する本願寺を、佐久間信盛率いる織田軍が包囲していた。


 主将は佐久間信盛だが、彼と対抗する勢力が軍内にいる。荒木村重だ。これが面倒だった。というのも、織田家中の序列では信盛が上位となる。しかし、所領の大きさ(=軍事力)では、摂津一国を治める村重が上だ。これは、勢力を急拡大させた織田政権の弊害であった。


 形式と実態が乖離しているため、村重は形式に囚われることなく信盛に意見する。そんな主導権争いが起きてきた。対立軸なのは本願寺の攻め方。信盛が消極策(信長の反攻まで何もしない)を、村重が積極策(機会があれば攻撃する)を唱えている。


 最近は小競り合いこそあるものの、大規模な合戦は起きていない。そのため軍の士気や風紀が低下している。要は締まりがない。また、周辺での略奪や婦女暴行といったことが頻発していた。


 兵士の多くは農民であり、遠隔地への遠征である。農地のことが気になって、または長期間の滞陣によるストレスが溜まっていた。それを発散する捌け口になったのが、近隣の村落だったのである。


 これは注意しても治らない。監視を強化するにも限界があるし、何らかの手段で監視をかい潜る。士気・風紀の低下は長期の滞陣となれば致し方ないこととはいえ、諸将は頭を抱えていた。


 特に迷惑をしているのが近隣の領主である。略奪などを受ければ治安が悪化するし、田畑も荒らされる。そうなると年貢が減ってしまい、領主としては痛手だ。なかでも一番嫌なのが、住民に危害を加えること。田畑は数年で元に戻せるかもしれないが、人間は十年以上の歳月が必要になる。堪ったものではない。そして村重は摂津の領主。被害を受ける側の人間だ。早く終わらせてほしい、というのが本音である。


 村重が積極策を主張する理由はそれだけではない。もうひとつ、一向宗との戦いで武功を挙げるという目的があった。


(何としても石山を落とす)


 と、どこか悲壮感が漂う決意を固めていた。なぜ戦果を挙げることに固執するかといえば、国替えが予定されているからだ。


 以前、村重は京で信長に謁見した。そのとき時期は未定ながらも国替えをすることを告げられたのである。


『なぜですか!?』


 何か落ち度があったのかと村重。それに信長は答えず、落ち着くように言った。村重からすればそれどころではないのだが、主君の言うことなので渋々ながらも従う。


『我はそちの手腕を買っておる。それを是非とも振るってもらいたいのだ』


 信長は国替えの理由をそう説明した。それも理由のひとつなので完全に嘘というわけではないのだが、真の狙いは別にある。畿内を直接掌握したい、というのが信長の狙いだ。具房に大和の譲渡を求めたのもその一環である。日本の政治、文化の中心地である畿内を信長が自ら掌握し、天下人としての地位を盤石なものにするーーそれが信長の真の狙いだった。


 主君にそう言われれば、村重に拒否することはできない。反抗すれば討伐されるからだ。できるのは、自分が国替えを快く思っていないことをそれとなく伝えることだけだ。


 そうなれば気になってくるのが、どこへ移ることになるのか、である。所領の広さは税収に直結するのだ。最大の関心事といえる。それを信長に問うた。


『うむ。それなんだがな、北陸か山陰か……まあ、その辺りを考えている』


『左様ですか……』


 村重は応答しつつ絶望する。北陸にせよ、山陰にせよ田舎だ。未開地と言い換えてもいい。せめて大きな領地を得たいところだ。そのためには功績が要る。それを得られるのは現状、石山攻めしかない。だから村重は積極策を主張する。


(佐久間殿は新参者に抜かされるのが嫌なのだろう)


 近年、林秀貞と佐久間信盛は織田家中における立場が下の者に脅かされている。勢力拡大に伴って活躍した柴田勝家や丹羽長秀などの下位の者、明智光秀や羽柴秀吉、滝川一益といった新参者が台頭した。それに危機感を覚えたのだ。


 村重もまた警戒対象である。畿内では騒乱が続き、上洛時には信長に味方した勢力も、義昭と組んで没落していった。そのなかで軍を率いて活躍した村重を、信長は気に入っている。信盛が警戒するのも当然だった。ーーゆえに村重は、信盛に不信感を募らせる。


 一方の信盛は、軍令に違反して村重が勝手に仕掛けないかを警戒していた。あくまでも軍令違反を警戒したものであり、織田家での序列云々という村重の考えは完全な思い込みにすぎない。


 信盛は武田家相手に失態続きだった。三方ヶ原と長篠でいずれも敗れ、具房の救援に助けられている。家中での立場が危うくなると思ったが、信盛は謹慎を命じられただけで、立場が変動したりはしていない。これを見て、信盛は思った。信長は自分を排斥することはない、と。だからといって、好き勝手にやっていいというわけではない。そこで信盛は失点を少ないようにしようと躍起になっていた。そのひとつが軍令の遵守である。


(荒木殿が抜け駆けしないよう注意せねば)


 単独で動けるだけの力がある武将は、光秀や長岡藤孝が抜けている今、村重しかいない。勝手なことをされないよう、信盛は彼の行動を監視させた。




 ーーーーーー




 関東で最大勢力を誇る北条家。その本拠地である小田原城にて評定が行われていた。議題は今後の動きについて。盟友である武田家が遠江と駿河を失陥したためにわかに西部戦線が出現。対応に追われた。幸い、軍の再配置は完了。しかも徳川家から朝廷を介して和睦が持ちかけられた。徳川家のみならず、上杉謙信を担ぐ関東の諸侯とも和睦できるとあって、これを受諾している。束の間の平和を享受しつつ、再戦に備えていた。


 評定で中心となる議題は、武田家との関係だ。何だかんだありつつ、武田家と同盟関係にある北条家。その最大の目的は、共通の敵である上杉謙信に対抗することだ。


 だが、最近はその同盟が揺らぎつつある。要因は、東海道における徳川家の膨張だ。織田・北畠両家の援助を受けた彼らは、武田勝頼を長篠にて撃破。余勢を駆って遠江、駿河を攻略した。


 当初、北条家は事態を楽観視していた。というのも、遠江と駿河を失陥したとはいえ、それはあくまでも織田・北畠両家の援助があってのこと。彼らが撤退すれば、すぐに奪回可能だろう、と。武田軍の被害は甚大だが、北条軍はほぼ無傷。何なら、両国を独力で奪回してもいい。見返りに河東郡くらいは要求するが。


 たしかに徳川家は予想通り、遠江と駿河の統治に四苦八苦していた。これなら支配が固まらないうちに反撃に転じられただろう。ところが、思わぬ方法でその手は潰された。駿河に北畠軍を駐屯させる、という奇天烈な方法によって。


 普通、他家の軍を自国に置くことは有り得ない。援軍として一時的にやってくることはあっても、すぐに帰国するものだ。戦国社会は実力至上主義。自領の防衛を最初から他家に頼れば、領民の支持がそちらに向かってしまう。だからそんなことはしない。 


 しかし、徳川家はこれをやった。大きいのは、北畠軍に対する信頼感だろう。武田家との戦いで何度も救ってもらった。彼らの助力がなければ三河の維持さえ覚束なかっただろう、というのは徳川家全体の共通認識である。そして、彼らは度重なる出兵にもかかわらず、徳川領に濫妨狼藉を行なっていない。それが信頼感につながっていた。


 なお、徳川家も堂々と北畠軍を駐屯させているわけではない。建前では、国境にいる武田軍、北条軍と睨み合いをしていることになっている。そうしないと先述の問題が発生してしまう。徳川家からすれば、それは本意ではない。


「徳川は駿遠を征し、勢いが増している。ここは武田と合力し、徳川を叩くべきだ」


「待たれよ。近頃、武田は上杉と関係を深くしておる。両者が攻め込んでくるやもしれん。ここはむしろ、徳川と合力すべきだ」


「そんなことより、今は関東を平定することが先だ!」


「『そんなこと』とはどういうことですか?」


「そんなことはそんなことだ。関東の統一は初代様からの悲願である。それを忘れて他所に肩入れするなど笑止」


「関東にばかり目を向けて、他所への対処が疎かになったならばそれこそ笑い種ですぞ!」


 そんなことから言い合いが始まる。これを止めたのが当主の氏政だった。


「醜い争いをするでない」


「御本城様(氏政)……」


 それだけ言って場を鎮めると、氏政は再び沈黙する。落ち着いたところで議論が再開された。氏政に一喝されたため、興奮することなく議事が進行されていく。内容は内政についてがほとんど。外征については後に回された。


 大半の議題が片づき、いよいよ外征について議論されることになった。冒頭、これまで黙っていた氏政が発言する。


「武田との関係を憂慮する者が居たが、我らから同盟を壊すつもりはない」


 その発言に、少なからず場が騒つく。武田の衰退と上杉への接近を快く思っていない者が多かった。この際、武田と手切れして織田家に接近。武田打倒に協力する見返りに関東統一、上杉攻撃へ助勢してもらう、ということがかなり真剣に考えられていた。氏政の発言はその構想を壊すものであり、家臣たちに衝撃を与えたのだ。


 氏政の判断は、取り得る選択肢を狭めてしまう。それでも武田と手切れはしないと言うのは、前妻・黄梅院の実家だからだ。長篠の敗戦に象徴される武田家の衰退、それをカバーするため上杉との協調。北条からすれば、上杉と接近することは裏切りにも等しい行為だ。それでも氏政は致し方なし、とこれを許容する方向である。


 しかし、彼も超えてはならない一線は弁えていた。それは、明示的な上杉との協調関係の構築ーー平たくいえば同盟である。これでは誤魔化しが利かないし、氏政も家臣たちを抑えきれない。


「とにかく、上杉が上洛に躍起になっている今が好機。関東に割拠する上杉方を叩き、二度と侵入できないようにするぞ」


「「「はっ!」」」


 こうして評定は終了した。氏政は武田との関係を維持する方向で結論したが、北条家中では武田に対する不信感が強くなっていた。







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