8話
「あなたが何を言っているのかわからないわ」
「嶺、さん……?」
「私は、高島成都子の娘。偉大なるマリアが築いたピースサークルファミリー教会の意志と思想を未来へと受け継ぐ、高島弥耶子よ。それが私。どんな幻想が私の周りに存在しようとも、私が望む私であり続けることは変わりはないわ」
「嶺さん」
「あなたの善意は、私にはいらない」
その双眸には既に、かつての恋人は映っていなかった。
きっぱり言い捨てた貴美は、東斗の前から去ろうとした。
「待って嶺さんっ!」
東斗はチャンスを求めて貴美の手を掴んだ。関係の修復など求めない。ただ、かつて一番大切だった人を救いたい。それだけだった。
だが。
「私がほしいのは、母からの愛よ」
それが生きる目的かのように、貴美は言った。
東斗は、自分から遠ざかって行く彼女に問う。
「お母さんの愛の形が、後継者という棺桶だったとしても?」
「……例え棺桶だったとしても、それが、私が母の娘だという証明になるもの」
貴美の心の扉の中には、確かにたくさんの本当の言葉が落ちていた。東斗には確かにそれが見えていた。しかしそれらはもう、立ち込める煙で見えなくなってしまった。誰にも近付かれないよう、炎の壁に守られて。
東斗が掴んだ手は、冷たかった。
「……わかった。お母さんに寄り添ってあげて」
彼女の手が、東斗の手からするりと抜けた。
憂色を目に滲ませながら手を離した東斗は、最後にひと言贈る。
「オレが誕生日にプレゼントした香水、気に入ってくれてありがとう」
東斗は最後に感謝の言葉を贈ったが、彼女の背中からは無言が返ってきた。
「話は終わったみたいだね。僕も帰っていいかな」
じっと大人しくしていた仲元は退屈だったと伸びをして貴美のあとに歩き出したが、榎田は留まって煌と『黒須』を見つめていた。
「何の呼び出しかと思って来てみれば、くだらない余興だったな。お前たちはただ、私のもう一つの姿を知りたかっただけか」
「あんたの第二の肩書きは、色々と調べていて偶然知っただけだ。それに、これはただの余興なんかじゃない」
「なに?」榎田は眉間を寄せる。
「実は今の一部始終は、リアルタイムで生配信してたんだ」
「は?」
「えっ!?」
スタジオから出ようとしていた貴美と仲元が、思わず足を止めて振り返った。
煌がネタばらしをすると、蒼太が壁際に積んである箱馬に近付いて一番上を取った。そこには、生配信中になっているスマホが隠されていた。
「あなたたち……」
「最初の宣言だけでも度肝を抜かれたのに。なんなんだいその度胸は」仲元は衝撃のあまり顔を引つらせる。
「おっ。視聴者の反応もえげつないっすよ」
流哉は、動画配信チャンネルの生配信画面を見せてやった。コメント欄には、絶え間なく視聴者からのコメントが更新され続けている。決着の直前にF.L.Y公式アカウントでポストしたURLを載せた告知SNSが、万単位で拡散された影響だった。
「俺たちをデビューさせて後悔しましたか。仲元さん」
「タイムマシンがあったら、メンバーを変えてるよ」
冗談を言える余裕があると見せかけて、追い打ちをかけられた仲元は半ば諦念をしているように見えた。最後に恨みがましい視線を四人に送り、両肩を下げてスタジオを出て行った。貴美も恨み顔を向け、仲元に続いて去って行った。
スタジオの扉の外を見れば、榎田の秘書が小窓から顔面蒼白して何かを訴えている。彼もだいぶピンチを迎えているようだ。榎田は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「なるほど。仲間の事件の真相と教団の裏の顔を暴くついでに、二人揃って私に復讐したということか」
「復讐というか。俺がクソ嫌な思いをしてたから、その仕返しをさせてもらっただけだ」
『黒須』は表情筋をほとんど動かさずあまり恨んでなさそうに言うが、これでもスッキリしている。発散できた煌も同様の表情だ。
「これまで溜め込んだ恨みをあんたに返すには、それ相応のことをしないと気がすまなかったからな。な? 異母兄さん」
「いいのか。異母弟って呼ぶぞ?」
「今だけだ」
今回は異母兄弟で共闘したが、煌は彼を兄とは認めるつもりは毛頭ない。
「あ。でもまだ配信中じゃね?」
「大丈夫だよ。ネタばらしした時に配信停止したから」
「グッジョブ、蒼太」煌は蒼太にサムズアップする。
「チームワークもばっちりか。さっきの推考と言い、その頭脳、私にそっくりだ」
誰もが不可能だと思っていた目的を立派にやり遂げた息子を、榎田は誇った。しかし煌には、そんな誉れは蚤ほども嬉しくない。すぐさま踏み潰して、鋭い目付きで榎田に言い放つ。
「もう二度と同じことを言わせるな。俺はあんたの息子でもなんでもないただの他人だ。今後一切、俺と母さんに関わるな」
「そうするよ。しばらくは、テレビ越しにも会えんかもしれないがな」
スタジオから出ればあとはもうどうなるか、榎田は既に想定していた。それでも、一度歪ませた表情は元の冷静さを取り戻し、毅然とした立ち姿だった。
「待てよ。これは返す」
煌は帰ろうとする榎田を止め、ポケットの中のネックレスを掴んで投げた。それは、榎田を大好きな父親だと思い込んでいた幼い頃に彼からもらったものだ。
榎田は唯一の親子の繋がりを無言で受け取り、スタジオを出て行った。待っていた顔面蒼白の秘書は、何やら色々と榎田に話しながら白い廊下へ消えて行った。
「これですっきりした?」東斗は煌に訊いた。
「東斗はどうなんだよ」
「オレはもう、大丈夫だよ」
「俺も、すっきりした」
二人はやり切った顔を合わせ、お互いの拳をグッと突き合わせた。
「みんなお疲れー! かっこよかったよー!」
「凄かったよ! いやもう本当に興奮した!」
そこへ、スタジオ上の副調整室にいた庄司と神部が大興奮しながら階段を駆け下りて来た。
「庄司さん、神部さん。サポートありがとうございました。でも、本当に大丈夫なんですか。こんなことに荷担したなんて知られたら……」
「いいの、いいの! こんなエキサイティングな番組、今のコンプラ時代制作れないから大満足だよ!」
「右に同じ。逆に声をかけてくれて大感謝だよ!」
コンプライアンス重視の現代に自由に作りたい番組を作れず燻っていたテレビマンとして、庄司と神部は大満足していた。庄司の方は鼻息を荒くして、興奮覚めやらぬ状態だ。
「公式SNSの方も見てみなよ。反響すごいよ!」
庄司に言われて四人はスマホでF.L.Y公式アカウントを開いた。スマホを持っていない東斗は煌のスマホを覗いた。
「本当だ、すげぇ!」
「僕たちが思ってた以上だね」
観ていたファンなどから、生配信の告知ポストに数百もの返信がされ続けていた。SNSのトレンドにも、「森島東斗の事件の真相」「ピースサークルファミリー教会」「ヤバイ教団」「貴美嶺」など関連ワードがズラッと並んでいる。世間の反応は、彼らの予想のだいぶ上をいっていた。
「あれ。そう言えば『黒須』って人は?」
神部が見回しながら探すが、彼はいつの間にかスタジオからいなくなっていた。
「呼び名の通り、本当にUMAみたいに消えちゃったね」
「ま。あいつとは、協力する代わりに見逃す約束だったからな」
この場に来て供述をしていた時も、『黒須』はギリギリ画面に映らない黒幕の端に立っていた。声は乗ってしまい名前も出たので、警察や麻取が観ていれば五人にも事情を聞きに来るはずだが、一応、警察に聞かれても適当に言うつもりでいる。
「残念だなぁ。あわよくばインタビューしようと思ってたのに」
これに乗じて『黒須』単独インタビューを企画していた先輩の神部を、庄司は「しょうがないですよ」と慰めついでに飲みに誘った。流れで煌たちにも声が掛けられそうだったが、「あの!」畏まった東斗の声がそれを遮った。
「神部さん、庄司さん。今日はありがとうございました。それから、煌、流哉、蒼太。オレのことを信じてくれて、本当に、本当にありがとう!」
東斗は目を潤ませながら深々と頭を下げた。危険に身を晒し、それでも立ち止まらずに一心に最後までやり遂げてくれた仲間に表しきれないほどの感謝を抱き、そんな彼らを誇りに思った。この恵まれた結び付きがなければ実現しなかったのではないかと、絆の強さを信じずにはいられなかった。
すると、庄司が東斗に尋ねる。
「森島くん。芸能界に戻って来ないのかい? もしもその気があるなら、微力ながら僕たちが力になるよ?」
東斗は、半ば驚いて顔を上げた。
罪の半分が着せられたものだと世間に証明された今、芸能界復帰の余地はある。だから東斗が望めば手助けをしたいと、庄司は提案した。それは、煌たちの頭の中にも僅かながら存在する望みでもあった。しかし……。
東斗は首を横に振って、庄司の厚意を断った。
「もう戻れません。事件があった日から、自分がいる場所は眩しいステージなんかじゃなくて、ガラスの壁の内側だったんだって感じたから」
「ガラスの壁?」煌が聞き返した。
「オレたちは二十四時間、三六五日、ずっと世間に見られてる状態で、それはつまり、世間から監視されてることなんだって感じた。そのガラスの壁は、一定の強度に耐えられなくなると割れて、自分の身体に突き刺さる。突き刺さって、一生残る傷跡になる。それが、誰のせいでも。オレには、その傷跡が刻まれたから」
それは、もう誹謗中傷で傷付きたくないという意味ではなかった。無思慮な行動の結果が身に沁みた東斗は、きらびやかな光で見えづらくなっていた陰に一度入ってしまったから戻れなかった。その傷を負った仲間の気持ちは、煌たちには全ては理解はできないかもしれない。けれど、鋭利なガラスが刺されば痛いことは想像しなくてもわかる。
「それじゃあ、長野に住み続けるの?」
「ううん。精神的にも安定したし、またこっちに住もうかなって思ってる」
「本当に!?」
嬉しそうに蒼太は前のめりになる。煌たちにもそれは嬉しい知らせだった。
「実は、みんなが長野まで会いに来てくれるのは嬉しかったんだけど、貴重な休みを使って来てくれてるのがちょっと申し訳なく思ってたんだ。車移動で疲れ取れてなさそうだったし」
「そんなことないよ。僕たちは東斗に会ってリフレッシュできてるよ」
「でも、もっと気軽に会えるようになりたくて」
今のところは、郊外の静かな田舎に近い場所への移住を考えていると言う。その選択は、東斗が一歩ずつ元の生活へ戻ろうとしている証だ。
「じゃあ。何かやりたいことがあるのか?」
「得意な料理をもっと極めようかなって」
「持ってる調理師免許を出し惜しみするのはもったいないしな」
「うん。そう考えて、しばらくどこかのお店で修行させてもらいながら、開店資金を積み立てようかなって考えてて」
精神疾患になりアルコール中毒寸前にまでなった東斗だが、これからのことをここまで前向きに考えられるくらい回復した。それを目の前で確認できた煌は、心から安心する。
「それがお前が望む人生なら。東斗が笑顔でいられるなら、俺は応援する」
「オレも」
「ボクも!」
「僕も。東斗には、未来へ進んでほしい」
「ありがとう、賢志。みんな。オレは、今度は違うかたちでみんなを笑顔にするよ」
未来に希望を抱く東斗の姿に、煌たちもシンクロするようにこれから自身が歩む道に希望を抱いた。一度は断たれた仲間の未来を、新しく繋げられた。今回の行動が非難されたとしても、彼らはきっと正義を貫いたことを後悔することはないだろう。
「それじゃあ、あとは。後始末だな」




