2話
それぞれが個々に動きその日に向けて念入りな準備を進め、そうして一ヶ月が経とうとしていた。四人が集まって進捗を報告し合う場は、すっかり煌の部屋になっていた。この日は賢志から連絡があり、仕事終わりに集まることになった。
外で賢志と落ち合った煌は、先に二人で自宅に帰宅した。
「二人はまだ時間かかるみたいだし、少しだけ先に見る?」
「そうだな」
煌は缶ビールを二本冷蔵庫から出し、賢志はリュックからノートパソコンを出す。
「それにしても、よく入手できたな」
「他の信者も協力してくれてるけど、まさかの人までだからね。本当に信用していいのか、未だに疑問なんだけど」
「俺も未だに半信半疑だ。でも、信じてみるしかないと思う。こうして、信者でないと入手できないデータが手元にあるんだからな」
「まさか幹部の下の人まで協力してくれたのは意外だったけど、それも『黒須』のおかげってことか……複雑だね」
「だな」
「煌のことも、かなり驚いたけど」
煌は『黒須』と協力関係になることを他の三人に提案した際に、以前出た記事に関係した自身の出生についてもう一つ明かしていた。それもあって、賢志も流哉も蒼太もひとまず『黒須』と共闘することを了承してくれた。
すると、賢志はふと口にする。
「なんかさ。何だかんだで、僕たちの周りって味方してくれる人が多かったね。僕は今回、それが一番印象的だよ」
「そうだな。俺も、四人だけで戦っていくのかと思ってた。協力してくれる人が現れたのは、東斗の人望のおかげだな」
「人たらし様々だね」
賢志はUSBメモリを取り出して、ノートパソコンに差し込む。その中からファイルが移動されると、Excelと圧縮ファイルの二つのがデスクトップに現れる。
「ひとまず入手できたのはこの二つだけなんだけど」
「『組織図』に『献金リスト』……」
「もう一つ、例の薬に関するデータを探してるんだけど、そっちはもう少し時間がかかりそうなんだ。そう言えば、あっちの方は?」
「もう話は付いてるってさ」
賢志はテーブルに置かれた缶ビールを取って、プルタブを開けた。その瞬間、プシュッという音とともに中のビールの泡が吹き出して、賢志のニットにかかってしまった。
「うわっ」
「あっ! 悪い。それたぶん一回落としたやつだ。今タオル持って来る」
煌は慌てて洗面所から洗濯済みのタオルを持って来た。
「ありがとう。洗面所、借りていい?」
「ああ。ごめんな。着替えが必要なら言ってくれ」
「先に少し見てて。組織図の『芸能界支部』以外ならいいから」
賢志は、ニットをタオルでポンポン叩きながら洗面所に行った。
賢志が無事に洗面所に消えたところまでを見届けた煌は、パソコンに目をやる。そして、『組織図』のExcelファイルをクリックした。開いた最初のページの一番上には四角い太枠の中に「本部」と書いてあり、枠の下からトーナメントの対戦表のようにいくつも線が伸びて47都道府県のメイン支部の名前があり、またその下に各都道府県の市区支部の名前が並んでいた。
「支部ってこんなにあるのか」
(凡能者は全国にいるんだもんな。これだけ支部を作るのは当然か)
「本部の横にあるこれも支部なのか?」
本部の横にも線が伸び、『永島町』『霧ヶ関』『芸能界』の三つの支部の名前が書いてある。都心に集中する業界と機関の三つの支部は、本部の直轄になっているようだ。
「本当に『芸能界支部』なんてあるのか」
『芸能界支部』には代表幹部として「仲元始」の名前が書いてあり、賢志が言っていた通り仲元は教団組織の幹部だということが、この組織表でようやく信じられた。
「『永島町支部』って、政治の中枢のあの永島町か?」
煌は全体の組織図の次のページに移動し、何気なく『永島町支部』の組織図を見た。そこにはずらりと、ニュースで聞いたことのある大物議員の名前から知らない名前が書かれていた。
並んだ名前に目を通していると、その中のある名前が煌の目に飛び込んできた。それは誰もが知る政治家の名前だが、煌は目を疑い、思わずノートパソコンを掴んで凝視した。
「本当に……」
その顔は険しく、少し戸惑っているようでもあった。
「やつが言っていた通りなのか……」
煌はこの組織図で、ようやく『黒須』が言っていた共通の“敵”の存在を確認し、確信した。積年の恨みを晴らせる時が来たのだと。
その後。遅れて来た流哉と蒼太が合流し、四人で集めてきた情報の整理を行った。
▷ ▷ ▷ ▷ ◆
ある日の事務所。空いていた会議室で、煌は眉間に皺を寄せながら誰かと電話をしていた。
「は? 何言ってるんだよ。言ってる意味がわからない」
「あれは見放したんだ。昔から私の話など聞く耳をもたず、長男のくせに家のことにも一切興味がない自分勝手なやつなんだ。だからお前を頼りたい」
「だから、それが意味がわからないって言ってるんだよ! 急に連絡来て何かと思えば。そんなこと俺は知らない。そっちの話だろ!」
電話の相手はかなり年上の男性のようだった。その相手に失礼にあたることなどお構いなしに、煌は苛立ちを隠さないまま話していた。
「お前の言い分もわかるが、跡継ぎがいないんだ。だから頼む、煌。お前しかいないんだ」
「だから、知らないって言ってるだろ!」
電話の相手は煌の父親だった。煌と彼の母を見放してからずっと音沙汰なしだったが、十年以上経って突然連絡をしてきた。どうやって煌の連絡先を知ったかはわからないが、家柄のいい家系の家督の彼は出来の悪い実息を見限って、煌を後継者にしたくて連絡したようだ。しかしそんないい話を、どれだけ頭を下げられようとも煌は一切受け付けるつもりはない。
「何がお前しかいないだよ。今さら息子扱いするな。お前が俺と母さんを捨てたから、俺たちは苦しい生活を強いられたんだ!」
「すまないと思っている。だから跡目を継いでくれるならば、母親への支援を再開してもいい」
その台詞は火に油だった。「何だよ、その上から目線。やっぱりあんたらみたいなやつは、面倒なことは汚い金で解決するのか」
「そういう訳では……」
「申し訳ないって思ってるやつの言い方じゃないだろ! ふざけるな!」
怒り心頭の煌は怒号をとばし、父親の言い分すら聞く気はない。その声すら聞くのも厭わしかった。
「すまない、煌。だが、本当にお前しか……」
「俺の名前を呼ぶな! もう二度と連絡もしないでくれ!」
そう言い捨てて一方的に通話を切った。そして通話履歴をすぐに削除し、興奮を抑えようと一つ大きな溜め息を吐いた。
これから気持ちを冷まそうとした時、会議室の扉が静かにコンコンと叩かれた。ハッとして振り向くと、東斗が扉を少しだけ開けて心配そうにこっそり覗いていた。
「大丈夫? 大声で電話してたけど」
「あっ……聞いてたのか」
煌はマズイと思った。興奮して、自分が今どこにいるのかを完全に忘れていた。誰にも聞かれたくない会話だったというのに。
「と言うか、聞こえちゃった。でも、他には誰もいないよ」
東斗はドアを閉めて入って来た。煌は反射的に、東斗から視線だけでなく身体ごと逸らした。
「いつもクールな煌が大声でしゃべってるからびっくりした。何かあった? トラブル?」
「いや。何でもない。お前には関係ないことだ」
煌は事も無げに振る舞うが、気になる東斗は「ふーん」と言いながら、煌の顔を横から覗き込んだ。
「でも、大丈夫じゃないって顔してるよ」
「えっ」
何もないと演じたつもりだったが、隠し切れていなかった感情の端が出ていたようで、動揺した煌は東斗の方を向いた。
「よかったら話聞くよ? 話せないなら無理には言わないけど」
東斗は心配しながら、電話での様子を鑑みて気遣ってくれた。
東斗の優しさはオーディションの時から知っているが、こういう状況では相手のことをしっかり見て、話をどこまで聞けるかを計っているように思える。その雰囲気は不思議と包み込まれるような感覚で、母親に似ているなと常々思っていた。
そんな雰囲気にやられてしまった煌は、隠していた自分の秘密を東斗だけに明かすことにした。煌の秘密を知った東斗は、その事実に驚愕した。
「────そっか。そうだったんだ……」
「今まで黙っててごめん」
「仕方ないよ。それは誰にも言えないって。世間に知られたら一大事だよ」
「頼む東斗! このことは誰にも言わないでくれ。俺はあいつとは関わりたくないんだ!」
煌は頭を下げて必死になってお願いした。死ぬまで隠し通すつもりでいるそれは、絶対に他の誰にも知られたくなかった。自分の汚点でありプライドを傷付けている事実を世間に知られるのは、もってのほかだった。しかし東斗に対して、そんに懇願する必要はなかった。
「言わないよ。最初からそのつもりだったし。さっきの電話の話し方を聞いてたらわかるよ。煌がその人を恨んでることくらい」
「東斗……」
「これは、オレと煌の二人だけの秘密だね」
「……ありがとう」
他の誰にも話が広がらなければそれでいい。東斗を全面的に信用する煌はホッと胸を撫で下ろした。そんな安心した仲間の背中に、微笑む東斗はそっと手を添えた。
「どう? ずっと隠してたことを言えて、少しは気持ちが軽くなった?」
「おかげさまで。本当に東斗は母親みたいだよな」
煌がそう言うと、東斗は微笑みから不満そうな顔になる。
「たまにそう言ってくれるけど、あんまり嬉しくないからね」
▷ ▷ ▷ ▷ ◆
それから一ヶ月後の三月末。F.L.Yの公式SNSとファンサイトで、四月五日に「全ての人に向けたサプライズがある」と予告され、カウントダウンが表示された。その詳細は明かされてはいないが、サプライズと聞いたファンは様々な予測を立てた。
「サプライズって何? コンサートやってないから、もしかして全国ツアー!?」
│
「ツアーだったらめっちゃ嬉しい!! 一緒に全国回りたい!!!」
「ツアーだったら嬉しいけど、活動再開してから三曲しか出してないよね。新曲満載のアルバム出すとか?」
「そう言えば、ドラマ主題歌以降出してないよね。何でもっと出さないの? 番組も終わっちゃったし、全然供給が足りないよ〜!」
│
「供給が減ったといえば。煌くんの露出が減ったままじゃない? そろそろ怪我治ってるはずなのに。映画の撮影中?」
「四月だし、活動再開記念日もあるから、きっと新曲いっぱい収録したアルバムの発売と、全国ツアー決定だよ! 間違いない!!」
その予告はネットニュースにも載り、コンサートツアーやアルバムリリースなどファンから期待の声が上がっているという内容になっていた。
とある日の夕間暮れ。マネージャーの結城を伴った煌たちは、四人揃って事務所の社長室にて吉田に決意表明を行っていた。吉田は一人一人の表明を黙って聞いていたが、愚かな選択をした四人に素直に呆れた。
「きみたちはやはりバカだ。これまで築いてきたものをドブに捨てるんだぞ」
「心にグサッときますね。それ」
「真面目に言っているんだぞ。緑川くん」
「わかっています。今まで死ぬほど心配しながらも、ずっと俺たちを見守って下さった社長の本心ですよね」
吉田は溜め息をついて頭を抱えた。「やはり私は間違っていた。始まる前に戻って、全てをやり直したいよ。本当に」
初めに宣言をしてから何度も同じ光景を見て、何度社長に遺憾に思わせてしまっているのだろうと、四人の心に罪悪感が浮かび上がる。
「だが。私の思いはきみたちと同じだった。最初は倉橋くんと同様に、仕方がないと切りをつけようとした。しかし、やはり許すことはできなかった。森島くんを意図的に犯罪者に仕立て上げた教団は、間違っている。お母さまのご意志であったとしてもだ」
吉田社長はピースサークルファミリー教会の信者であり、『芸能界支部』の幹部に仕える地位だった。しかし東斗の事件の真相があると知り、煌たちを監視する傍ら、居ても立っても居られず自らも事件に関して裏で調べていたのだった。
「結城くん。彼らと私の板挟みで大変な思いをさせて、すまなかったね」
「いいえ、そんな。社長のご決断には驚きましたが、お役に立てる能力を持っていない私は、皆さんがご無事で全てを終えられることを祈るしかできませんでしたから」
「でも。支えてくれて感謝してます。結城マネージャーがいたおかげで、オレたちの仕事は絶えず来たんだし」
「うん。ありがとうございます」
煌たち四人は結城に頭を下げ、感謝の意を表した。そんな彼らに、複雑な心境の結城は言いたいことがあった。
「あの……一つみなさんに不満を言ってもいいですか?」
「この際なので、言ってください」
「では……。F.L.Yの活動再開が決まって、私めちゃくちゃ張り切ってたんですよ。シングルを三ヶ月連続リリースして、活動再開記念のコンサートツアーもやろうとか。会場もどこにしようって、そこまで考えてたんですから。ここぞとばかりに新しいF.L.Yを世間に知らしめようと計画してたんですよ! シングルは連続じゃないけど三曲出すことはできたけど、それ以外の私の計画が全部台無しになったじゃないですか!」
結城は少しだけ目に悔し涙を浮かべて四人に不満をぶつけた。マネージャーとして初めてF.L.Yに付いて、彼らとの関係は彼女の中でも特別なものになっていたに違いない。活動再開をしてからの露出方法も、他にも色々と計画をしていた。彼らが輝く未来を想像して。
「マネージャー……」
「本当にごめんなさい。マネージャー」
「でも、いいんです」結城はそれ以上の不満は胸に押し込んだ。「それが、みなさんの意志ですもんね。私は、F.L.Yのマネージャーです。皆さんの望みをできるだけ叶えるのが、私の仕事ですから」
今見せた不満も悔し涙も全て、彼女のF.L.Yに対する愛の証だ。結成当初マネージャーになったばかりの結城は、「国内だけでなく海外にも飛び出せるグループにしたい」と目標を掲げていた。その目標は、四人もずっと覚えていた。そんな彼女に不義理なことをしていることも、自覚していた。
「結城さん。俺たちのマネージャーをやってくれて、ありがとうございます。吉田社長も、悩みながらも俺たちをここまで見守って下さり、本当にありがとうございました」
「ありがとうございました!」
四人は結城と吉田社長に、懺悔と陳謝と感謝の意を込めて深々と頭を下げた。結城はまた溢れてきた涙を指で拭い、吉田は覚悟の面持ちで彼らの背中を押す。
「あとは、好きにやりなさい」
まるでこれから大舞台へと向かうような顔付きの四人は、社長室の扉を開け、残り僅かとなった終着点への道へと踏み出した。




