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1話




 翌日、全ての決着を着けるために四人は動き出した。

 まずは、『F.L.Y公式裏アカウント』で『黒須』探しを諦めたと宣言し、騒がせたことへの謝罪文を投稿した。すると、毎日のようにアカウント届いていた悪質な投稿はぱったりとなくなった。その宣言はネットニュースと週刊誌にひっそりと載せられ、途端に世間に騒がれることもなくなった。ファンもひと安心してくれたが、嘘をついてしまったことは一様に心が傷んだ。

 協力してくれていた澤田からも諦めてしまったのかと連絡が来て、これ以上先へは連れて行けないと思い、これまで協力してくれたことを感謝した。澤田は深い事情は聞いてこなかったが、「また何かあれば協力します」というメッセージが最後のやり取りになった。





 ある日の夕方。引き続き自宅療養中の(こう)は、マネージャーの結城と電話をしていた。復帰したあとの仕事のオファーが来ているという話だ。以前にもオファーが来て一度断ったドラマ出演だったのだが、煌は来た話は全部断ってほしいと頼んでいた。


「本当にいいんですか、緑川さん。本当は他にもオファーを下さっているんですよ?」


 煌は通話をマイクモードにして、着替えながらしゃべっていた。


「いいんです。ドラマとか映画撮影でずっと長期休みがなかったので、ちょうどいいですし」

「でも。出演をキャンセルした映画だって、監督が直々に主演で声をかけて下さったのに、もったいないですよ。今からでも、キャンセルをキャンセルしませんか?」

「無理でしょ。もう決まってますよ。去年公開のクライムサスペンス映画に初出演した若手の俳優が、監督の新作映画に出るって噂で聞いたので。そろそろ撮影が始まるくらいじゃないですか」


 使いたい俳優が使えなければ、他の俳優を選べばいい。適役は自分以外にもいる。自分は使えない俳優なのだから、他の将来有望な俳優に役を譲るのが適当だと、煌は自分の中で整理をつけていた。頑なな彼の意志に、電話口の結城も「そうですか」と残念そうだった。


「それじゃあ、そろそろ」

「どこかへおでかけですか?」

「はい。ちょっと野暮用で」


 着替えた煌は、腕がまだ完治していなかったので自分の車は使わず、最寄り駅から電車に乗り、新宿へ向かった。

 煌はこれから、東斗の裏アカウントで煌個人に連絡を取ってきた『黒須』に会いに行く。賢志たちからは、わざわざ東斗の裏アカウントを使っているのだから何かの罠だと、単独での接触を止められた。煌も罠である危険は十分に承知しているが、直接『黒須』からコンタクトしてきた千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないと、三人を説得した。

 それに、気になっている。わざわざ東斗の裏アカウントを使ったその意味を。

 新宿駅で電車を降りて、徒歩で指定されたバーへ向かう。何度か通って慣れた道を歩いて例の雑居ビルに到着し、二階への階段を上り、上品な設えの木製の扉の取っ手に手をかけた。

 まだ開店前の三分前だったが、扉は開いていた。カウンターにはいつものマスターがグラスを磨きながら立っていて、「いらっしゃいませ」と煌に会釈した。そして()()()()()()がお待ちですよと右手を出し、半個室の方へ煌を促した。

 煌は会釈をして、店の奥へ進んだ。カウンターフロアの段差まで歩を進めると、煌はそこで足を止めた。

 半個室の奥側のチェスターフィールドソファーに、一人の男が座っていた。見た目は三十代で、髪の色から、ダウンコート、トレーナー、ズボンまで黒一色で、唯一スニーカーだけは濃い緑色だった。

 男は煌が現れると、わざわざソファから立ち上がった。


「待ってました、緑川煌さん。始めまして。俺が、あんたたちが探していた『黒須』です」


『黒須』と名乗った男は、ほぼ無表情で敬語で挨拶した。第一印象は、素朴な雰囲気で几帳面そうで、事前情報があるせいか用心深そうに見える。しかし、東斗(はると)を嵌めたわりには傲慢には見えず、暴力的な感じもなく、むしろ無気力ささえ感じた。そして、どこか執念深さを醸し出している気がする。


「お前が……」

(こいつが、俺たちがずっと探していた『黒須』……)


 煌は、自分の中にふつふつと怒りが湧いてくるのがわかった。意図的に人を罪人に仕立て上げ、それを悪とも全く思っていないような雰囲気を漂わせていて、それに煽られ掴みかかってしまいそうになる。


「話したいこととは何だ」


 煌は怒りを誤魔化し、忌々しい人物と共有する時間を一秒でも短縮するために要件を訊いた。


「急かしますね。まぁ、そうよですよね。早く本題聞きたいですよね」

「だから早く話せ」

「わかりました。では、直球で言わせてもらいます」


 煌より年上なのに敬語で話す『黒須』は彼を真っ直ぐに見つめ、無表情の双眸にマッチ棒ほどの火を灯して言い放つ。


「緑川煌さん。俺と手を組みませんか」

「……は?」


 空耳かと思い理解できない煌は、懐疑的な表情で『黒須』に問い返した。


「手を組む? バカなことを言うな。そんな理由がどこにある。お前は東斗を」「あんたの言いたいことはわかってますよ」『黒須』は煌の言葉を遮った。


「でも俺には、一発殴ってやりたいやつがいるんですよ」

「お前の因縁なんて知るか。復讐なら勝手に」「いや」


『黒須』はまた煌の言葉を遮り、そして、まるで煌のことを知っているかのように言う。


「あんたにもいますよね。顔面に拳を食らわせたいやつが、一人」

「え?」


 懐疑と不可解で眉頭を寄せた煌に『黒須』は二〜三歩近付き、言った。


「俺とあんたの“敵”は同じなんですよ」


 その黒い双眸に灯っていたのはマッチ棒ではなく、もっと大きな火柱だった。


「敵?」

「だから()()()をぶちのめすために、協力したいんです」

「は? いや。ちょっと待て。お前の言っていることがさっぱりわからない」


 煌たちが探してきた“敵”は『黒須』だ。そんなことを言って、煌の思考を攪乱するつもりなのだろうか。自身の敵との接触をかわしてきたやつがわざわざ呼び出したのは、そのためなのだろうか。

 だが、「復讐したい相手」という意味を持つのなら、煌にも他に“敵”と言える人物は一人いる。その人物が、彼と『黒須』の共通の敵だというのだろうか?

 まさか、そんなはずはない。違法薬物の売人なのだから、きっと自分でもやっていておかしな言動をしているんだろう。煌はそう考えることにした。


「あんた今、俺が薬のせいでおかしなこと言ってると思ったでしょ。勘違いしないでほしいけど、俺は一切やってませんから」


 と『黒須』は、煌の思考を読んだようにピタリと言い当てた。煌は思わず驚きの表情をした。


「まぁ、そう考えるのはしょうがないですよね。じゃあ。俺があんたたちに協力する気になったきっかけを先に話した方が、飲み込んでもらいやすいですかね」

「きっかけ?」

「今日は話以外に、あんたに会わせい人がいるんです」


 話を飲み込み信用してもらいやすくするよう『黒須』は話の軌道を変え、もう一脚のソファーに座っていた人物を紹介しようとした。位置が手前で店内の照明の具合もあり煌からは認識し難かったが、背凭れから飛び出してキャップを被った後頭部が見えていた。

 紹介された人物は立ち上がった。背がすらっと高くて足が長く、煌と同世代の男だった。その顔を見た瞬間、煌は目を剥いて絶句した。


「……な……なん、で……」


『黒須』はマスターから椅子を一脚借りて来て、二脚のソファーのあいだに置いた。


「とりあえず座って下さい。話は長くなります」


 煌が驚愕のあまり呆然としているのに構わず、『黒須』はいきさつを話し始めた。





 別の日。とある製薬会社の社長室に成都子(なつこ)は側近を連れて訪れ、社長と研究開発総責任者と会っていた。この日は彼女にとって、一つ目の大事な節目の日だった。


「お待たせ致しました。こちらが出来上がった製品です」


 成都子の前に、完成し銀色の包装シートに包まれた錠剤が見本で出された。成都子は喜びよりも不浄のものを見るような目をしつつ、それを手に取った。その白い錠剤には《P》と刻印されている。


「榎田先生の手配で、厚労省のチェックは予定通りパスされましたので、間もなく納品となります」

「もう一方も、ただいま第Ⅲ相試験(だいさんそうしけん)のデータを精査中ですので、問題がなければそちらも製造開始となります」


 その報告を聞いた成都子は、胸を撫で下ろし安堵したた顔付きに変わった。


「障害となることでしたが、無事に乗り越え、本来の目的の展望も見えてきました。今年度中に広がり始め、夏ごろが人類のターニングポイントとなりそうですね」

「私もずっと待ちわびておりました。こうして一助となれたことも、偉大なるマリア(ジャンヌ・マリア)のお導きだと心から感謝しております」

「一助どころか、あなたは大いに助けとなり、支えとなってくれましたよ。偉大なるマリア(ジャンヌ・マリア)も、天国で貴方を称えて下さっているはずです」

「もったいなきお言葉、ありがとうございます」


 社長と開発総責任者は手を組み、額に付けて感謝する。目的達成のスタートラインまであともう少しだと励まし、成都子は製薬会社を去った。


 成都子はその後、教団本部に戻った。廊下ですれ違う信者たちは壁に吸い寄せられるように彼女のための道を開け、祈りの手を額に付け教祖に頭を下げる。

 すると、歩く成都子の前に賢志(けんし)が現れた。賢志は成都子の歩みの妨げになることを承知で彼女の道に立ち塞がり、手を組んで頭を下げる。


「成都子様。ご無礼を承知の上で、哀れな私に少し時間を頂けませんでしょうか」

「いいでしょう」


「ありがとうございます」と賢志は組んだ祈りの手を解き、頭を上げた。


「なんですか?」

「献金のことなのですが。やはり私には額が大き過ぎます。減らして頂くことはできないでしょうか」

「お前……」側近が無礼な賢志を注意しようとすると、成都子は手を挙げてそれを制した。


「あなたは確か、芸能活動をしているのですよね。たくさんの番組にも出られていると聞きましたが、収入は多いのではないのですか?」

「そんなことはありません。所属している事務所は給料制で、毎月の支払額はほぼ一定です。確かに番組にも出ていますが、それほど多い訳でもありません」

「でも。司会もなさっているんですよね? その分を、お給料に上乗せしてもらっているのでは?」

「だとしても、多額の献金をすぐに支払えるような金額ではありません。それに私は、自分だけでなく家族に生活費を少し入れたり、妹の施設利用費も助けているんです。遊興費や余計なお金なんて一円も出ません。これではいつまで経っても払い終われません」


 賢志は少しでも情けをもらえるよう訴えた。信者の願いならどんな小さなことでも聞き届け導いてくれる彼女なら、と。ところが、賢志の懇請を聞いた成都子は少し高圧的になる。


「では。棄教しなければいいのでは?」

「それは……」

「あなたのご両親は今、幸せなのですよ? やれ金額が多い、やれ遊興費がないなどと不満を漏らすのは、ご両親のことなど微塵も考えず、俗世の毒に侵されているからではありませんか? それとも、(わたくし)どもへ忘恩し、有性者だから凡能者(ノーギフト)に払うお金は一銭もないのに仕方なく払ってやるのだと、傲慢にお思いなのでしょうか」


 その目に、凡能者へ向けるのと同じ慈悲の心は映っていない。


「そんなことは!」

「凡能者を庇護する私たちが、特別に有性者であるあなたたちを受け入れたのですよ。それに対する恩義はないのですか」

「そんな! 私はただ、減額の交渉をしたかっただけです。救って頂いた恩は忘れてはいません。ですがこのままでは生活もままならなくなってしまい、献金すらできなくなってしまいます。ですからどうか、哀れな私たちにご慈悲を!」


 賢志は冷たい廊下に両膝を突き、祈りの手を額に当てて懇願した。成都子の側近たちは顔を見合わせ、有性者のくせにみっともなく跪いて教祖様に卑しく懇願する賢志を、冷ややかに侮蔑する。

 少しの沈黙が流れたが、そのあいだに成都子も少し心を落ち着けた。


「……まぁ。先日の貴方は、よくやってくれたようですしね。仲間をその手にかけるという、我々も驚く暴挙を成してくれましたから。おかげで大人しくなったようなので、聞くだけ聞きましょう」

「いいのですか、成都子様!」

「少しはその功績を称えてあげましょう。それで。どのくらい下げれば支払えますか」

「あと1000万……いえ。500万下げてもらえませんか」

「500ですか」


 成都子は掌をを側近に出すとタブレットを受け取り、献金額リストで月毎のグラフを確認する。


「吉岡さん、でしたか。あなたは、新薬の治験者集めもしていたのですね。その一人あたりを10万円分として、3000万円の献金にあてていた。あなたがこれまで集めた治験者は50人。つまり、500万円分は納金を終えています。現金でも120万円納金しているので、合計して620万円を納めていますね。3000万円から620万円を引いて、残りは2380万円……ここから下げてほしいと」

「はい」

「治験者集めはサービスで加算していたはずですが、さらに?」

「お願いします!」


 賢志は組んだ手に力を込め、廊下に着きそうなくらい頭を下げた。成都子は下げられた彼の後頭部を見下ろし、これからのことを考慮して考える。


「……わかりました。では、300万円サービスして差し上げます」

「成都子様!」側近は不平の声を上げたが、成都子はそれで許すと決めた。

「既にサービスをしているのですから、不満はありませんよね。これでも譲歩しているのですから」

「ありがとうございます!」

「ですが。残りはしっかり納めて頂きますよ。私たち凡能者が有性者に差別されてきた心の傷は、深く暗い暗澹とした歴史なのです。あなたに課したのは、見返りと償いの金額です。それに同士たちを救いたくても、お金がなければ何もできないのですから」


 廊下に正座し頭を下げた賢志の横を通り過ぎ、成都子は側近とともに去って行った。

 成都子たちの足音が遠のくと賢志は立ち上がり、無事にやり終えて胸を撫で下ろした。




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