29話
二〇一九年。七月下旬。
梅雨が明け本格的な夏が訪れた都心は、昼間にコンクリートに溜められた熱が放射され、夜の涼しさを奪っていた。
とある地下鉄駅近くの首都高下の公園で、賢志は違法薬物を売る相手が現れるのを待っていた。服装は黒やカーキの地味な色味で、ワッペン付きキャップを被りメガネをかけ、一般人に紛れていた。ダボダボのズボンのポケットには、大事な収入源が入っている。それをなくさないよう、多少暑くても手を入れて握り締めていた。
もう間もなく約束の時間だ。相手はこのキャップを目印に声をかけてくる。賢志は不自然にならないよう、周囲に注意した。
その時。話しかけて来た人物がいた。
「あれ。賢志?」
気さくに声をかけられ振り向くと、長身の若い男性だった。だが、約束している相手ではない。その声と顔は知っている人物で賢志はギクリとした。
「東斗……!? 何で、こんなところに……」
「出版社で雑誌のインタビューの仕事があって、帰るとこ」
「出版社でって……でも、この辺じゃないよね?」
「うん。ひと駅歩こうと思ってこっちまで来たんだ。賢志こそ、こんなところで何してるの?」
「ちょっと、人と待ち合わせてて……」
違法薬物を売る相手を待っているなんて言えず、後ろめたさで思わず視線を逸らした。
「そうなんだ。そういえば今日の服装、いつもの私服と違うね。いつもは白とかブラウン系なのに、違う色着てるんだ」
「うん。そうだね……ごめん東斗。もうすぐ知り合いが来るから」
「あ。ごめんね邪魔して」
側に人がいては相手も警戒して近付けないので、早く東斗と距離を取りたくて自分からその場を離れた。
その時、腕が通行人とぶつかってしまい、反動でポケットから手が出た。そして、そのはずみで隠し持っていた大麻入りの小袋が落ちてしまった。東斗はそれに気付いて拾い上げる。
「何か落ちたよ。何これ」「返して!」
賢志は東斗から慌ててぶん取り、ポケットに突っ込んだ。普段とは違う賢志の振る舞いに東斗は一瞬ぽかんとしたが、明らかに慌てた様子で動揺もしている表情を怪しんだ。
賢志はそのまま急いで去ろうとしたが、東斗に腕を掴まれた。
「待って賢志。それ、何。それって、賢志が持っていていいものなの?」
「東斗には関係ないよ」
「今は関係ないかもしれないけど、のちのちグループにも関係してくるものじゃないよね?」
賢志の様子と持っていたもので察した東斗は、真剣な眼差しで彼に問う。
普段はおおらかで、周りからよく相談事をされる東斗は、メンバーのことも普段からよく見ている。体調が悪そうなら仕事をフォローし、悩みがありそうだと思ったら二人きりで食事に行こうと誘ってくれる。能力という訳ではなさそうだが、他人の変化には敏感だった。ただし賢志の異変には、この時初めて気付いた。
路上で東斗に問い質されそうになった賢志は観念し、売買をキャンセルして、適当な居酒屋に連れて行かれた。そこで賢志は、家族のことや違法薬物を売り始めた経緯を包み隠さず話した。目の前の料理に手を出す気にはなれなかったが、東斗は飲み食いをしながらひたすら聞いていた。
東斗は酒を飲むペースが早く、話を聞いている間に日本酒を三杯飲み、聞き終わる頃には焼酎は二杯目だった。顔が赤くなり呑んべえ顔になっていた東斗だったが、話の集中力は切れていなかった。
「賢志がそんな大変な状況だったなんて、想像もしなかったよ」
「芸能活動の給料だけじゃ、まだ全然まかないきれないんだ。だから違法薬物を売って、分け前をもらって補填してる感じ」
「いや、でもさ。その教団って結局は、表向きは凡能者を救っているように見せかけて裏では法外な献金額を請求して、違法薬物まで売ってるなんて。まがいものの正義じゃないか」
「これの売買を勧めてきたのは、教団じゃないけど。でも例えまがいものだとしても、信者から見れば全てが正しいことなんだよ」
「でも間違ってる! 賢志たち家族は、多額の献金のために偽りの救いを信じさせられたんでしょ。それに気付きながら素直に従う賢志もどうかと思うけど、一方的に教団が悪い!」
東斗はテーブルを叩いて声を大にして非難した。テーブルの音を聞いて、周りの客や店員が注目する。東斗は酒飲みだとは知ってはいたが、普段は見ない顔が現れ賢志は少し戸惑う。
「東斗、だいぶ酔ってない? 大丈夫?」
「オレの心配より、自分のことを優先しろよ! ダメだよ賢志。お前はそういう優しさに付け込まれるんだから。教団も、家族のためを思ったとこをピンポイントで狙ってきたんだよ。性根が腐ってるやつらだな全く!」
「本当に大丈夫? 普段とキャラ違うよ?」
東斗が賢志を心配していたはずが、いつの間にかそれが逆になっている。どうやら東斗は、度数が高めの酒を飲み過ぎると、おおらかキャラからズバッとものを言うキャラに変貌するようだ。いつもは、ビールやハイボールを何杯も飲んでいて酒に強い印象があったが、予想外の場面で知った彼の一面は意外な顔だった。
焼酎を飲み干した東斗は、賢志に尋ねる。
「賢志。その、ピース何とか教会って、SNSやってるの?」
「え? うん。確か」
聞いた東斗は、スマホで教団のSNSを検索する。
「あった。これ?」
「うん。そうだけど……」
教団のプロフィールのアイコンには、花と、手を重ねたようなシンボルマークが使われていた。すると東斗は、何やら操作を始めた。文字を打ち込んでいるようだ。その十数秒の間、賢志は何となく不安を抱きながら東斗の手元をじっと見ていた。
「……よしっ」
「何してたの?」
「クレームのポストした」
「えっ!?」
賢志は、東斗の手ごとスマホを掴んで画面を覗いた。
「ウサギの革を被った狼。白鳥の羽根を纏ったハゲワシ。甘い善意でアリを寄せ集めて蜜を奪い取る偽善者。誰にも知られないと思ってあぐらをかくなよ」
その時は気付かなかったが、その投稿は東斗の裏アカウントから送られていた。その文面を見た賢志は青褪めた。
「今すぐ削除して!」
「無理。と言うか嫌だ」
「なんで。言うこと聞いてよ東斗!」
「だって許せないよ。オレの大事な仲間を食いものにするようなやつらなんて。絶対に許せない」
東斗の気持ちは嫌ではなかった。寧ろ、話を聞いて敬遠せず味方になってくれるのは、とても有り難かった。そう思う反面、依存心が根付いていた賢志は教団に反抗することが許せず、そして、その正義に対する教団からの“返答”が怖かった。
「でも!」
「オレは今日、賢志の弱味を知った。だけどそれに付け込むことは絶対にない! オレは賢志の味方だから。オレの正義は偽善なんかじゃないから」
東斗は酒で顔を赤くしながらも、真剣な眼差しを向けた。自分の行動は間違っていないと、正義に自信を持っていた。
「いい、賢志? 賢志が今日話してくれたことやオレが見たことは、賢志が教団を抜けられるまで黙ってよう。煌たちにも内緒だよ。オレたちはまだまだ成長途中のグループだから、余計な心配事は広げない方がいい。あとでみんな怒ると思うけど、二人で土下座して謝れば大丈夫」
「東斗……」
「オレを信用してよ。賢志」
賢志の心配をよそに、何も恐れていない東斗はニカッと笑った。
その時の正義がどんなかたちで自分に返ってくるかなんて、東斗は微塵も想像していなかった。報復をされることすら考えていなかった。そのかたちは、賢志にも予想できるものではなかった。
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