24話
ピースサークルファミリー教会は病院なども運営しているが、そのツテで製薬会社とも深い繋がりがあった。
高島成都子は側近を連れ、とある製薬会社の新薬研究室を訪れており、研究室の見学を終えたあと応接室で開発責任者から説明を受けていた。
「昨日、三度目の第Ⅲ相試験のデータをまとめ、効果や副作用の分析が完了しました。あとは、榎田先生の手筈通りに厚労省の承認を得て、出荷する予定です」
「わかりました。もう一方の方は?」
「そちらも、五度目の第Ⅲ相試験に入りました。こちらより多少、進捗は遅れますが、完成はもう目の前です」
「そう……ようやく、目的が果たせる時が来るのね」
「偉大なるマリアも、天国で喜んでいらっしゃるでしょうね」
この開発責任者も、新薬開発をしている職員も、製薬会社の社長も皆、ピースサークルファミリー教会の信者だった。
「ええ。皆さんのおかげです。これで、悲願の未来へ向かう第一歩を踏み出せます」
最初は無茶なことだと思っていた。しかし、偉大なるマリアの燃えるような強い思いと、彼女の意志を継ぐ成都子の願いに応えるべく、果てしない年月をかけて自身らを成長させながら励んできた。教団の長年の悲願を叶えるために、研究をしては失敗を繰り返し、それでもなお、己の信じる正義と、凡能者の自分たちの新しい未来を迎えるために命を削ってきた。
これは、偉大なるマリアと成都子だけでなく、全ての教団信者が望んできた自由のため。その血が滲んだ努力の結晶が、間もなく形になろうとしていた。
世田谷区のとあるマンション。どこにでもある、芸能人が住んでいそうもない普通のマンションだが、ここが、仕事が続いている時や友人が来る時に賢志が帰る家だ。
特にオシャレにしている訳ではなく、家具などはシンプルなデザインや無地で、置かれているものの色は、明るくもなく、暗くもない。くすんだ青やグレーといった、はっきりとしていない色を好んでいた。唯一のこだわりは、オーディオだ。リラックスをしたい時は音楽を聴くため、質のいい音で楽しめるようにスピーカーだけは高いものを選んでいた。
帰宅した直後、タイミングを狙ったかのようにスマホの着信音が鳴った。画面を見ると、煌からの電話だった。
だが賢志は出ず、無視をした。十秒くらいで着信音は切れた。
けれどまたすぐに煌から着信が来た。賢志はまた無視し、それが三回続き、諦めたのか鳴らなくなった。
ところが、今度はLINEの通知音が鳴った。確認すると案の定、煌からだった。賢志は一応通知を開いた。
「何度も電話ごめん。忙しいか?」
立て続けの電話を謝罪していた。メッセージを確認した賢志だが、既読無視した。
しかしメッセージはそれだけで終わらず、次々と送られて来た。
「ちょっと、元気にしてるか気になった」
「流哉と蒼太が、既読無視されるって嘆いてたぞ」
「テレビ観てる。芸人さんとの掛け合い、抜群だな」
「ずっと家で一人飲みだから、そろそろ誰かと飲みたい気分」
「一人の時間が長いから、独り言が出るようになった」
と、一分足らずの間に六件ものメッセージが来たが、例外なく無視をした。
既読無視をされていることをわかりながら、煌も送って来ている。煌がこんなにしつこくしてくるのは珍しかったが、着信もメッセージも無視をすれば諦めるだろうと、賢志は放っておいた。
数分して、煌は諦めたのか、独り言が出るというメッセージのあとは、ぱったりと静かになった。やっと終わったかと賢志はホッとしたが、少し間が空いてからまた通知音が鳴った。
「賢志。俺は何ともないから」
「俺は今とても、お前と話したい」
「会えないか?」
三件のメッセージが連続で来たあと、今度は本当にぱったりと静かになった。賢志の返信を待つように。
「……」
賢志は、これも既読無視をしようと決め、スマホ画面を裏にしてテーブルに置いた。
疲れたので、もう風呂に入って寝ようと思い、風呂桶に湯を溜め始める。その間に、持ち帰って来た楽屋弁当と缶ビールで、質素な夕食の時間にしようとした。が、
「……」
弁当を食べる気になれなかった。
ふと、テーブルに置いたスマホを振り返る。
きっと煌は返信を待っている。そして今日無視をしても、明日や明後日にまた立て続けに着信やメッセージが来るに違いない。それをまた無視をするのも面倒だ。それを考えると、煩わしく思えてきた。
返信はすぐにできる。賢志は裏にしていたスマホを手に取り、
「無理」
と、ひと言だけ返信した。他には何も言えることはなかった。
すると、煌はスマホの前で待っていたのか、すぐに返信が来た。
「ダメか? ただ話したいだけなんだ」
「頼む」
お願いをされて、賢志の気持ちに排斥したい気持ちが前面に出てくる。
宮沢には、仲間に誠意を見せるべきだ、話を聞いてくれる、受け入れてくれると背中を押された。けれど、信頼をしている人からの言葉でも、一歩が踏み出せなかった。
このままではいけないことは、充分理解している。自分の正義は、本当の正義ではなかった。それに気付いたことを、示さなければならない。
誰より、煌には。
賢志は迷った。悩み、返信を逡巡し、数分間スマホを握り、見つめた。
そしてようやく、決心が付いた。
「わかった」
ひと言だけ、返信した。煌からは「ありがとう」と返って来た。
それから、どちらかの家で話そうということになり、賢志の家に煌が来ることになった。
その翌日の夜。賢志の家のインターホンが鳴った。モニター画面で煌の顔を確認すると、オートロックを開けた。その数分後にまたインターホンが鳴り、賢志は扉を開けて出迎えた。煌は片手に雨に濡れた傘を持っていた。
「久し振り」
やって来た煌は、メガネをかけ冴えない顔で出迎えた賢志に、いつも通りに挨拶をした。左腕を挙上していた包帯はなくなっているがギプスはまだ着けていて、頭の包帯は抜糸されてすっかり取れていた。病院へ面会に一度も行っておらず、流哉や蒼太から経過を聞いていただけの賢志は、無事な姿に複雑な心境を抱いた。
ところが賢志はなかなか煌を部屋に入れず、玄関から顔だけを出して警戒するように通路の様子を見た。
「どうした?」
「……警察。連れて来てるかと思った」
「何でだよ」煌は微苦笑した。
ひとまず安心した賢志は、煌を中に入れた。
「賢志の部屋来たの久し振りだなぁ。二年前に引っ越した時に、流哉と蒼太と飲んだ時以来か」
「適当に座ってて」
煌はリビングダイニングのソファーに腰を下ろした。賢志は、冷蔵庫から出したペットボトルコーヒーをコップに入れ、ミルクと砂糖と一緒に出した。
飲み物を出した賢志は煌と一緒には座らず、彼を避けるようにキッチン前の小さなテーブルに座った。賢志のその行動に対して、煌は何も言わない。
「……元気にしてたか?」
煌の方から口を開いた。
「……それなりに」
賢志はとりあえず答えた。しかし、感情が乗っていない。
「仕事、楽しくやれてるか?」
「……それなりに」
「メシは? ずっと自炊してるのか?」
「……親みたいなこと訊くね」
「悪い。会うの久し振りだから、つい」
煌は、通夜のような空気を変えようとなるべく明るく話し、笑うが、賢志の賢志の厭わしさか滲み出た表情は一切変わらない。
一度心が折れて、煌は口を閉じた。沈黙が流れ、また通夜のような空気になり、ベランダを叩く雨の音が時間を繋げる。
賢志と話がしたくて来た煌だが、どう切り出していいものか悩んでいた。昨夜のメッセージのやり取りから約一日の猶予はあったものの、ストレートに問い質して聞けることではないだろうし、あまり突っ込んだ話を聞くのは避けた方がいいだろうか、と色々考えた。
煌が話の切り口を探っていると、賢志は無言で立ち上がり、冷蔵庫からリンゴを一つ持って来て、フルーツナイフでゆっくりと皮を剥き始めた。
「……流哉と蒼太は元気?」今度は賢志の方から口を開いた。
「相変わらずだよ。今度、仲良しコンビの企画で番組にゲストに呼ばれてるんだってさ。どれだけ気が合うかゲームしたりするらしい」
「そう」
それだけ聞いて、賢志はまた口を閉じた。連絡を無視していることを、本当は気にしているのだろうか。リンゴに向けられたままのその表情からは、心の内側を覗くことはできない。
煌が訪ねて来てもなお、賢志の口と心は閉ざされる。背中を押してもらった僅かな勇気は、根付かずに雨に流されていた。自分を拒んでいるような雰囲気を醸し出すその姿に、煌はやはりためらう。
話をして、訊きたいことを訊いて、今度は自分が賢志を傷付けることにはならないだろうか。たぶん彼には、話せないことがたくさんある。話せることは話してほしいが、もしかしたら全く話してくれないかもしれない。
だが、それでもいい。今日会って、少しでも顔を見て話せたなら、それはそれで前に進めたということだ。「F.L.Yの倉橋賢志」ではなく、普通の「倉橋賢志」との距離を少しだけ縮められたということだ。その一歩を踏み出すには、自分から切り出さないと何も変わらない。
煌は静かに深呼吸をした。その深さで、思っていたより気を張っていたんだと気付く。
自分が構えていては、賢志も話しづらいだろう。今日は喧嘩をしに来たんじゃない。ただ、話をしに来ただけだ。普段の楽屋の自分でいればいい。
煌は話し出した。




