14話
十二月へあと一歩という日の夜。アケボノテレビで年末特番のスポーツ番組の収録が終わった流哉は、一人で局を出た。
今日は久々に単独のテレビの仕事で、しかも得意のバスケ対決に気合いも入り、用意されたユニフォームを着て意気揚々とスタジオ入ったのだが、対戦相手は国内外で活躍する日本人プロバスケ選手たち。寄せ集めの「芸能界バスケ部」みたいなメンバーでは歯が立たず、ハンデありでも惨敗してしまった。
と言うわけで、流哉は今空腹だった。収録前に弁当は食べたが、試合で全てエネルギーとして消化されたので、夕飯を食べてから帰ることにした。いつもは彼個人に付いているマネージャーがいるのだが、今日は、同時にマネジメントを担当している蒼太の送迎に行っていたので一人だった。
流哉には、アケボノテレビで仕事があった時に必ず行くラーメン屋が近くにあった。現在時刻は夜の九時。閉店時間が迫っているので、足早に向かった。流哉は一ツ木通りの信号を渡り、みすじ通りへと一歩踏み入れた。
みすじ通りは、居酒屋や焼肉屋、韓国料理店などが多く立ち並ぶ飲食店街だが、他にもディスカウントストアやサウナ施設、小さなライブスタジオなどもある通りで、食事をして帰る人やこれから食事をする人など、人通りは多かった。流哉はキャップを被っているだけだったが、道行く人には全く気付かれていない。
行きつけのラーメン屋は、もうすぐそこだった。歩いていると、後ろからバイクが走って来る音がする。歩き慣れている流哉は、一方通行の道幅の端を普通に歩いていた。
すると後方から、女性の「キャアッ!」と言う悲鳴が聞こえた。振り返ると、街灯の側で女性が倒れ込んでいた。どうやら走って来たバイクとぶつかりそうになり、転んでしまったようだ。一緒にいる友達が動揺しながら「大丈夫?」と声をかけている。
黒いバイクは転んだ女性には見向きもせず、そのまま走って来る。車道の真ん中を走り出したかと思えば蛇行し、他の通行人にもぶつかりそうになっていた。
飲酒運転だろうか。そのバイクは、道の端にいた流哉の方へ突っ込んで来た。
「なっ!?」
流哉は慌てて建物の際まで避けた。バイクは飲食店の看板を弾き飛ばし、それが流哉の足に直撃した。それが視界に入っていないのか、黒いバイクは何事もなかったように真っ直ぐに走り去って行った。
周りの歩行者も流哉も放心状態となった。しかし流哉は、転んでいた女性のことをすぐさま思い出して踵を返した。看板が当たった脛が痛いが大した怪我ではないので、自分のことは後回しにした。
友達が心配して「ねえ、大丈夫!?」と声をかけ続けていた。転んだ女性は、左足首を抑えて地面に座り込んでいた。
「大丈夫っすか!?」
駆け寄った流哉は側にしゃがんだ。足首を抑える女性の表情は、苦痛に歪んでいる。捻っただけだとしても、痛くて立ち上がれないはずだ。すぐに病院で診てもらった方がいいと判断し、流哉が自ら送って行きたいところだったが。
「オレ今日車ないんだよな……救急車呼びますね」
女性の返事を待たずに、流哉はスマホで119番に電話した。そのあとは、友達一人では心許ないと思い、救急車が来るまで二人に付き添うことにした。
「大丈夫っすか? 痛みます?」
「はい。挫いたみたいです」
「オレもたまに稽古でやっちゃうんだよなぁ。マジで痛いっすよね」
なるべく優しく話しかけて、女性が不安にならないように気を遣った。
話していると、女性の友達が流哉の顔をジッと覗き込むように見つめてきた。
「あの……もしかして、七海流哉くん?」
「えっ!?」
苦痛に表情を歪めていた女性は、友達のひと言で一瞬痛みを忘れ、驚いた表情で流哉の顔を見た。
キャップを被っているとは言え至近距離で普通に話したので、バレてしまった。誤魔化しは通用しないだろうと思いつつ、流哉は一応否定する。
「いや。人違いっす。だから、七海流哉が付き添ってくれたってSNSで書かないで下さいね」
「は、はい」
あまり目立ちたくなかったので、念を押しておいた。見たところ、会社勤めの害のなさそうな人たちだったので、その程度にしておいた。
そして数分後に救急車が到着し、怪我をした女性が担架に乗せられ、無事に病院に搬送されて行くまで流哉は見送った。
時計を見れば、目指していたラーメン屋は閉店時間となっていた。やむを得ずその店のラーメンは今日は諦めることにし、近くにある横浜家系ラーメンに変更した。口が既にラーメンの口だった上に、ガッツリ食べたい気分だったのだ。
日付は十二月となり、今年も年越しまでのカウントダウンが始まった。
その前に忘れてはならない十二月と言えばのイベント、クリスマスのディスプレイが街に展開され始める。クリスマス商戦に向けたプレゼントのサンプルが、キラキラとした装飾と共に百貨店のショーケースに並べられ、路面店も「Merry Christmas」のガーランドを吊り下げたり、サンタの人形や小さなツリーを飾っている。街路樹もイルミネーションの装いに変わり、街の雰囲気は一気に変わっていた。
そんなハッピーな気分になれる時期だというのに、週刊誌がF.L.Yメンバー全員のゴシップ記事を載せた。
【出身を偽装していたF.L.Yの緑川煌、実は愛人関係の男性とのあいだの子供だった!?】
「青森のド田舎出身はなんとか受け入れられたのに。立ち直れない……」
「あんなにイケメンなのは、実は愛人の男の血なのか?」
「またかよ。F.L.Yのメンバーはたまに楽しませてくれるなw」
│
「マジそれ。別の意味で目が離せないわw」
「ド田舎からあんなイケメン生まれるて、どんなDNAやねん」
「出身地がどこでも出生に秘密があっても、私はどんな煌でも大好きだから!!!!!」
【重度のうつの母親がいたF.L.Yのリーダー倉橋賢志、稼ぐわけは障害者の妹のため!?】
「これホントかよ。ドラマの設定じゃね?」
「これはさすがに作ったな。最近のF.L.Y、最初のド派手さから一転して飽きられてるから」
「え。賢志くんのスキャンダルって嘘なの?」
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「緑川くんの記事といい、週刊誌の報道だから全部は信用しない方がいい」
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「賢志くんは絶対苦労人だと思うから、これ本当じゃない?」
「ファンが擁護しているが、みんな流されるな。同情してほしいだけの嘘報道だ」
【衝撃の事実! 炎上自殺モデルの弟・七海流哉「姉の死はオレの責任」!?】
「七海流哉って、愛香里の自殺に関わってるの!?」
「これって、愛香里は自殺じゃないって意味にも取れない?」
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「私の流哉を殺人犯にするつもりですか? そのつもりなら絶対に許さないんですけど」
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「違います! そんなつもりじゃありません! 誤解させてすみません!」
【壮絶なイジメに遭っていたF.L.Y玉城蒼太、児童ポルノサイトに写真流出の事実発覚!】
「イジメ以上に引くんだけど。写真載せる方も見る方もどっちもキモイ」
「当時の写真あったから載せとく」
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「確かにかわいい顔してるな」
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「男子好きな大人はそういうの見て抜いてんのか」
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「勝手な妄想で蒼太くんを汚さないで! その写真も肖像法に引っかかるんじゃないんですか!?」
「玉城蒼太はビッチになれる可能性が秘められているのはわかった」
あの事件当時を彷彿とさせるような記事に、ファンの擁護とファン意外の誹謗中傷の争いの投稿が相次いだ。
今回出た記事は、東斗の事件当時に出たものの“続編”というような位置で出されたものだった。“前編”では、煌は「出身地を偽装。本当は神奈川県ではなく青森県のド田舎だった」こと。賢志は「育児ノイローゼから重度の鬱病になった母親の存在」のこと。流哉は「全身整形疑惑で炎上し自殺した元モデルの弟だった」こと。蒼太は「中学生時代の壮絶なイジメの過去」が載った。メンバーそれぞれの記事が出たことはお互い知っていたが、当時はそれどころではなく記事について話をすることはなかった。
記事が出る前には、週刊誌の方から掲載される旨が事務所に通達され、四人にもメディアから質問をされても余計な発言はしないようにと、吉田社長から忠告された。よくある「事務所を通して下さい」というやつだ。
しかしこの二度に渡って出た記事に関して、煌たちは不可思議に思っていた。それは前編の時と同様に、誰にも話していないことが嗅ぎ付けられたことだ。
事務所の会議室を一室借りて、四人は話し合った。
「また身内しか知らないような話をなんで……」
「そんなの、また誰かが売ったに決まってるだろ」
「リュウくん、またそういうこと言う!」
「だって、こういう記事ってそういうもんだろ。信用してても、予想にない裏切りってのはあるもんなんだよ」
前回も今回も、知っている身内の口から漏れたことは間違いないと流哉は言った。その口調と表情は、苛立ちを覗かせながらも呆れていた。
「流哉。その言い方だと、前回の記事も今回の記事も本当だってことなのか?」
流哉の言い回しを無視できなかった煌は、他意なく事実の真偽を尋ねた。デリケートなことであるのは重々承知しているが、本当の仲間のことを知ることなく、また何事もなかったように過ごしてしまっていいのだろうかと疑問が湧いた。
しかし、話してくれるかは五分五分だと思っていた。すると流哉は「本当だよ」と肯定した。そして、三人の視線が集まる中で、当時のことを思い出しながら事実を話し始めた。
「初めからちゃんと説明すると、オレの姉貴は、愛香里っていうモデルだった」
「ネイルチップをオリジナルで作って、大人気になってたモデルだよね」
「進学で上京したんだけど、スカウトされてモデルをやり始めたんだ。そしたらある時から人気が出始めて、専属モデルとかアパレルのイメージモデルとかやるようになった。だけど突然、全身整形疑惑が出て、SNSで叩かれ始めた」
「酷い……」
「それで……疑惑は全部嘘だったのか?」
煌が慎重に質問すると、なぜか流哉はフッと微笑した。
「それが、整形は事実だってさ。でも、やってたのは顔の一部だけだ。みんな、出回ってた誰かが作ったニセ比較写真を鵜呑みにしたんだ。姉貴は必死に否定したけど、比較写真は嘘だと誰も信じてくれなくて、誹謗中傷も絶えなかった」
「ハルくんと似た状況だったんだね」
「オレも最初は、それを信じちゃったんだ。メイクのせいか、昔と全然顔違うから……実は、姉貴とは仲良くなかったんだよね」
「確執があったのか?」
「姉貴はいわゆる陰キャで、明るく振る舞うオレを一方的に妬んでて、結構な溝があったんだ。たぶん勝手な思い込みもしてて、家族の中でも浮いてた感じだった。だから、上京してからの姉貴のことは全然知らなくて、姉弟なのに整形疑惑を鵜呑みにしたことを後悔した」
連絡先は知っていたが全く取っておらず、何年かぶりの電話をしたのがその騒動の最中だった。当時はまさにオーディションを受けている最中だった流哉は他の候補生からその疑惑を聞き、姉の愛香里に問い質した。
「姉貴、全身整形ってマジかよ。やり過ぎじゃねーの」
と。その時は、姉の言い分をよく聞かずに電話を切ってしまった。
「オレは本当は、姉貴が好きだった。なのに信じてやれなかった。しかも、同じことを東斗の時にも……オレって、本当にくだらない話を鵜呑みにしやすいよな」流哉は自身の過ちを嘲笑した。
「リュウくん……」
「だから、オレが芸能界に入りたかったのは、姉貴が見ていたものを見たかったからかな。同じ景色を見て、姉貴がどんな場所で戦っていたのかをこの目で確かめたかった。そしたらわかったよ。姉貴はすげぇんだって。あんなのは、本当にただの疑惑だったんだ」
「そうだったのか……」
流哉の家族への後悔や、芸能界入りを望んだ本当の理由を初めて聞き、煌たちは何も言えなかった。
胸に秘めていたその後悔は、どんな言葉をかけても浄化されない。家族なのに仲良くなかったからという理由だけで、モデルデビューをした姉がどんな気持ちで活動していたかも知ろうとしなかった。本当ならその胸の内を共有して、流哉が危機に寄り添えたはずだ。あの時の彼女が本当に味方になってほしいと望んでいた人は、芸能界ではないところにいたのだろうから。




