11話
二日後。出演ドラマの『猛獣は眠らない』は無事に最終話を撮了し、クランクアップとなった。
その翌日の夜。池袋駅からすぐのイタリア料理店を貸し切り、ドラマの出演者やスタッフが集まり打ち上げが行われた。ランダムな配置の板張りの床に、天井の吊り下げ照明と剥き出しの配管がオシャレな、カジュアルな雰囲気のレストランだ。オープンキッチンでは何人ものシェフが腕を振るいそのライブ感もよく、客から見えるカウンターに鮮魚を置いていて食材への自信が表れている。
キッチン前に置かれた大きくて長いテーブルには、ブイヤベースや海鮮ピザ、カルパッチョなどの店自慢の海鮮料理が並び、立食パーティー形式でそれぞれ好きなものを皿に取り、ビールやワインと一緒に味わっている。煌も、共演者や監督と談笑しながら楽しんでいた。
「貴美さん。お疲れさまでした」
「お疲れさま。緑川くんとがっつり共演できて、楽しかったわ。また宜しくね」
「こちらこそ。またお願いします」
貴美も交えて撮影中の出来事を思い返しながら談笑しているが、ここでもまた彼女はスマホをしきりに気にしていた。撮影の後半あたりからよくその場面を目にしているが、彼氏でもできたのだろうかと煌は思った。あの一同を畏縮させた怒号も、彼氏にブチ切れていたのかもしれない。
いったんトイレで席を外した煌は、公式裏アカウントの投稿をチェックした。相変わらず、不特定多数のアカウントから@ポストが毎日届いていた。
「まるでハイエナのようなやつらだ」
「本業を片手間にするとは。普通にアイドルをやればいいものを」
「あとで後悔するとわかっていない、馬鹿で愚かな芸能人だ」
(アンチ投稿、前よりかなり増えてるな。東斗アンチかグループアンチか……両方か?)
アンチ投稿は、これまでで百件は超えている。過激ではあるが、今すぐ危険を感じるものではないから放っておいている。芸能人なのだからこのくらいの批判は受けて当たり前だと割り切っているので、あまり気に留めないようにしていた。
打ち上げは後半となり、結構酒も入って話し声や笑い声も大きくなり、会場となっている店内は盛り上がっていた。明日は他の撮影が入っている数名の共演者は、途中で抜けて帰って行った。
「じゃあゲームしまーす! 凡能者当てゲームをしよう! 見事当てられたら、僕のポケットマネーから一万円を差し上げまぁーす!」
唐突に、酔っ払ったドラマプロデューサーが悪ノリでそんなことを言い始めた。一瞬で興醒めした周囲の白けた視線が彼に集まる。
「プロデューサー! そのゲームはやめましょう。ビンゴ持って来てあるので、ビンゴ大会やりましょう!」
場の空気を察した監督は、せっかくの盛り上がりを冷まそうとするプロデューサーに言い聞かせ、無理やりビンゴ大会の準備を始める。千鳥足のプロデューサーは、大人しくしていてくれと言われるように店の端に置かれた椅子に座らされた。
飲み物がほしくてドリンクカウンターにいた煌は、プロデューサーの醜態を見て、そろそろソフトドリンクにしておこうかと選んでいた。
「はい。緑川くん」
そこへ共演者の先輩俳優の小田が来て、爽やかな笑顔で煌の分のビンゴカードを渡してくれた。彼が、煌が演じた逢沢の友人・裕貴を演じてくれていた。同世代だが、子役上がりでキャリアは二〇年以上だ。逢沢の復讐の事実が明らかになったあとも、時々出演していた。
「プロデューサー、だいぶ飲んでるなぁ」
「最初会った時と印象が違いますね」
「仕事中は完全にスイッチ入ってるから。でも、酒グセが悪いのは結構有名」
小田は悪ノリプロデューサーと仕事をするのはこれで三度目らしく、十代で初めて会った時は仕事中と酒の席とのギャップに引いたと言った。今の表情を見る限り、その印象は現在進行形のようだ。
「そうなんですね」
「オレの緑川くんの印象も違ったなぁ。テレビを観ててクールな印象だったから近寄りがたいと思ってたけど、意外と話しやすくて安心した」
「よく言われます。実際会うとイメージ変わるって」
「役のイメージでインプットされちゃうんだよね。だけど今回は園山に振り回される役だったから、みんなに違うイメージを持ってもらえたかもね」
「確かに。印象が変わったっていう声をSNSでよく見ます」
煌はカウンターに並んだソフトドリンクの中からオレンジジュースを選び、グラスに口を近付けた。しかし、小田は飲むのを止めた。
「それはやめた方がいい」
「え?」
「異物が入ってる」
彼の真剣な面持ちを見て煌は口に付ける寸前で手を止め、グラスをカウンターに戻した。
「驚かせてごめん。だけど、オレの能力で見えるんだ。それには、オレンジジュースとは違う色が混ざってる」
煌が目視しても普通のオレンジジュースとの違いは全くわからないが、小田の普通との違いを見分ける第三種特性〈違和感の可視〉で、オレンジジュース以外の混入物が見えているようだ。
「さっきから見てたんだけど、緑川くんが取るものだけに微量に何かが入ってる。きみは真ん中から取るクセがあるだろ。それを見抜かれているみたいだ。端なら大丈夫」
親切な小田のアドバイスで、煌は慎重になりながら右端のグラスを取った。小田は頷いて安全だと言った。
「教えて頂いてありがとうございます」
「きみに何かあったら、オレがガッカリするから。また緑川くんと共演したいしね」
そう言って再び爽やかな微笑みをキラリと輝かせ、小田は去って行った。
間もなくしてビンゴ大会が始まるが、煌はそれどころではなくなった。
(異物って……一体何を仕込まれた? まさか毒物? だが今のところ、身体に異変はない)
手足や舌に痺れはないし、視界もはっきりしている。意識が朦朧とする感じもない。毒物の種類にもよるが、微量と言っていたから反応が出にくいのだろうか。
(身体に異常が現れるような量じゃなかったのか。それとも毒物じゃなく何かの薬なのか?)
「誰がこんなことを」
(この店の店員? いや。フロアにも厨房にも人がいる中で、堂々とそんなことはできない。しかも小田さんは、俺が取るものだけに入っていると言っていた。これは偶然じゃない。俺が真ん中から取るクセをわかっていて仕込んだのか!?)
ピンポイントで煌を狙ったのなら、その人物はずっと煌の行動パターンを観察し、食べるペースや飲み物を飲むタイミング、次に何を食べて飲むのかを把握しているのかもしれない。この店の店員以外となると、行動パターンを長期で観察できる、ドラマの撮影を四ヶ月間ともにしてきたスタッフや共演者の方が可能性が高い。
煌は、訝しる視線で周囲を見回した。
(この中の誰かが俺を狙った?!)
フロアにいる全員を見回しても特段変わった様子はなく、揃った、まだ揃わないなど言いながらビンゴ大会を楽しんでいる。スタッフも共演者も、怪しい動きをしていたり挙動不審な人物はいない。
(なぜ俺が……まさか。『黒須』と繋がってるやつが……?!)
もう誰も疑わないと誓った矢先だというのに。煌は鋭い視線になる。まさか、ドラマ関係者が集まる中で狙われるとは思っていなかった。大胆にも大勢が集まる場で堂々と異物を混入させる度量は、相手が遠慮などしないことを表していた。それは、本気になれば手段を選ばないという忠告だ。
たちまち、ここにいる全員が敵に見えてくる。どの人物も、仕事で会う時以外の顔を知らない。普段は何を考え、どんな思想を持っているのかも。何気ないひと言で、一瞬で敵になりうる他人ばかりだ。
煌は、安全だと教えられて持ったグラスを、口を付けないままカウンターに戻した。そしてその後は、打ち上げが終わるまで何も口にしなかった。
午後十一時。打ち上げは終わり、煌は迎えに来た結城マネージャーに車で送ってもらった。
解散する瞬間まで全員に警戒していたが、最後まで異物を混入した犯人はわからなかった。しかし、あのメンバーが再び揃うことはないので、同じことは起こらないだろう。『黒須』と繋がりのある人物だったのか、それだけでも知りたかったが、大勢の前で堂々と犯人探しをする訳にはいかなかったのでやめておいた。
カーラジオからは、ニュースが流れていた。
「増加中の特性能力犯罪ですが、今日までに二十四人の容疑者が逮捕されています。警察の取り調べに対し、アルファベットが刻印された薬を飲んで力が暴走したと供述している容疑者もいるようで、警察は今後、この薬の出処についても調べる方針です」
「そんな薬が世の中に出回ってるんですね。怖いなぁ」運転しながら結城が漏らした。
煌は上着のポケットからアメを出した。帰り際に女性共演者からもらったやつだ。
「そうだ緑川さん。森島さんのことなんですが、ご両親が公開捜索に踏み切る決意をして下さりました」
「そうなんですか」
「バッシングも嫌だけど、早く無事な姿で会いたいと」
東斗の両親が公開捜査を決意してくれたことで、少しは捜索も前進するはずだ。
「東斗のご両親に感謝しないとですね。……本当にあいつ、今どこにいるんだろう。連絡もしてこないし」
「大丈夫ですよ。信じましょう」
結城はバックミラー越しに、後部座席の煌に微笑んだ。それに答えるように煌も微笑した。
煌はまだ手のひらにあったアメを見つめ、ほんの5秒ほど目を瞑って目を開けた。そして密かに安堵してアメを食べた。
(異常はないか)
このアメにも何か仕込まれている可能性を疑ったが、同じパッケージのものを他の人にも配っていて、能力で記憶を見てもコンビニで買っているところが見えたので、何もないと信じて食べた。味は甘くておいしいミルク味だ。
一体誰が煌の飲食物に異物を仕込んだのだろう。狙われたと考える煌だが、誰もが『黒須』を探していることを知っているので全員を疑いたくなる。しかし煌は、誰も疑いたくないとも思う。
「緑川さん。大丈夫ですか?」
煌がぼうっと窓の外を眺めていたので、心配した結城は声をかけた。
「あ。はい」
「本当は仕事どころじゃありませんよね。でも、待つしかありません。警察のみなさんを信じましょう」
そうだ、今は異物を混入された自分のことよりも東斗のことだと、煌は頭を切り替える。と同時に、貴美から以前言われた言葉を思い出した。
───あなたたちが行動したことで、森島くんがまた危険な目に遭うかもしれないのよ?
貴美は真剣に忠告してくれていた。今思えば煌たちのことよりも、元カレの東斗のことを心配して説得をしようとしていたようにも感じる。それは、今繋がりを持っている人だけでなく、かつて繋がっていた人にも多大な心配をさせてしまっているということだ。
(だが、戻らない。確かに東斗がまた狙われたのは、俺たちのせいかもしれない。でもだから、余計に理由を聞かなければならない。じゃないと終われない)
車窓の外を覗けば、もうすぐ午前〇時になるというのに歩いて帰宅する人々がいる。街がまだ明るいのだから、時間なんて気にならないのだろう。
しかし、他人を企図して犯罪者にしたことを何とも思わずに普通に日常を過ごしているやつが、この一般人の中に紛れて生きているのだ。この、夜でも明るい都会の中で闇に溶け込み、煌たちの行動を盗み見ているのかもしれない。
『黒須』は今、何を思いながら闇の中に潜み、外の世界を見ているのだろうか。




