8話
四人はギスギスした空気のまま、収録に向かった。体育館には、平均台やトランポリン、風船のプールに巨大扇風機などの障害物がセットされていた。
いつものように現場に入ったつもりの四人だったが、歪な空気がすぐにスタッフにも伝わっり、その居心地の悪い空気のまま収録は始まった。
「さて今日の企画は。『真夜中のバスケ! スリーポイントシュート対決!』です」
「なんか色々置いてあるけど、この障害物をクリアしないといけないの?」
「その通りだよ蒼太。この障害物を全てクリアして、最後にスリーポイントシュートを一番多く決めた人が優勝です。そして最下位の人には罰ゲームで、一人肝試しをやってもらいます」
「うわぁ! 絶対ヤダ!」
「夜中の学校ってだけで最悪なのに、一人で肝試しとか死ぬわ」
と、何事もなかったかのようにオープニングを撮り、ゲームが始まった。
ゲームは蒼太から始まり、賢志、流哉、最後に煌の順番だった。見ている側はプレイヤーを冗談で野次ったり、スタッフと一緒に妨害したりして盛り上げていた。だが煌の順番になると、若干盛り上がりが欠けた。野次も妨害もあまりなかった。
ディレクターの庄司は、雰囲気が悪い四人の様子に神部プロデューサーと顔を合わせる。しかし険悪という訳でもなく、四人はいつも通りにやろうとしているので収録を続けた。
対決の結果はやはり煌が最下位となり、罰ゲームの餌食となることが決定した。GoProだけを頭に着けられた煌は、懐中電灯を持ち一人で真っ暗な校内を一周させられ、夜の廃校に煌の悲鳴が木霊した。賢志たちは体育館で一部始終をモニタリングし、笑いが起きたりして和やかな雰囲気を作って収録を終えたが、カメラが止まった途端にその空気はスッと消えた。
収録を終え、それぞれ控え室に戻って行った。賢志も戻ろうとして体育館を出ようとすると、駆けて来た庄司に呼び止められた。
「話したいことがあるんだけど、いいかな」
二人は校舎へ移動し、賢志は「お疲れ様」と缶コーヒーを渡されて、保健室前の廊下で立ち話を始めた。
「みんな今日どうしたの。ずっと空気悪かったよね」
深刻な空気は出さず、普段の会話と同じように明朗に庄司は尋ねた。これまで一緒にやって来て、こんなに空気が悪いのは異常だと感じた。東斗のことがあった時も不穏な雰囲気を隠そうとしていたので、気になって訊かずにはいられなかった。これが一時的なものなら問題ないが、長引くものであるなら残り少ない収録にも支障が出ることを懸念していた。
「気付いてたんですね。すみません」
「何かあった? きみたちってあんまりケンカしないのに、収録に影響するようなことがあったの?」
「……実はさっき、ちょっと揉めてしまって」
庄司に心配をかけられなかった賢志はなんでもないと牽制はせず、「ケンカ」ではなく「揉めた」と説明した。
「よくある、方向性の違いってやつ?」
「いいえ。そういうのではないんですが……」
本当は説明できることは言った方がいいんだろうが、さすがに経緯を説明することは憚られた。
「……まぁ。グループのことだから、部外者の僕は首を突っ込まないでおくけど。次の収録までには関係修復できるかな」
「わかりました」
庄司は敢えてなのか、深くは探ってこなかった。恐らく、昔よりは大人になった彼らなら、自分たちの問題は自分たちで解決できるだろうと考えているのだ。四人をバラエティーで育てた自称身内と言っても、庄司は過保護ではない。
庄司は自分の分の缶コーヒーを開けて飲んだ。さっき自販機で買ったホットは冷めていて、「ちょっと温いな」と独り言を呟いた。そしてズボンの後ろのポケットに入れているタバコに手を伸ばしたが、何も取らずに前のポケットに手を突っ込んだ。携帯灰皿を持っていないことを忘れていた。いつも缶コーヒーとタバコはセットなのだ。
すると庄司は、口寂しさを紛らわすように話し始めた。
「グループやってくのって、大変なんだよね。僕がこれまで見てきた印象の話だけど。最初は足踏み揃えて肩まで組んで、何人何脚でスタートするんだけど、グループが売れて、個人の仕事が増えると、バランス崩しやすいんだよね。更に、特別扱いされて個人の楽屋を用意されると、顔を合わせるのが番組の収録時だけになっちゃって、まともに話をする機会を失うんだ。グループも人気で個人も人気。事務所としては嬉しいことだ。だけど個人が強くなるのと引き換えに、それぞれが見えなくなる。それが何年も続いて、別々の方向を向いてだんだん不仲になって、グループの存続ができなくなる。そういう道を歩んで解散したグループを、僕は知ってる」
撤収作業で体育館と校舎を往復するスタッフが、二人の前を忙しそうに通る。元ホット缶コーヒーを包み込むように持ちながら、賢志は静かに話を聞いていた。
「きみたちF.L.Yも、あの事件のあとにあったよね。解散危機。森島くんの誹謗中傷がきみたちにも飛び火して、事件に乗っかって個人の余計なスキャンダルまで出て、グループ内の雰囲気が悪くなった。今日その時のことが、一瞬だけ頭を過ぎったよ。あの時も、あからさまなケンカはなかったけどね。今日も、誰かの何かがきっかけで揉め事になった?」
庄司は当時のことを全て見ていたから、四人のことが心配だった。家族意識も、あながち冗談でもなかった。だから自分を制作スタッフではなく、上下関係もなく、一人の人間だと思って話せることがあるなら話してほしかった。
しかし賢志は口を噤み、何も答えなかった。庄司はそれをうら悲しく思ったが、自分の思いを押し付けることはしなかった。その代わり、こんなことを尋ねる。
「訊きたいんだけどさ。あの時F.L.Yが解散しなかったのは、なんでだい?」
「え?」
「週刊誌とか一般人にあることないこと色々言われて、グループ内の雰囲気も最悪で、メンバーが犯罪者なんだから解散しろっていう脅迫めいた手紙も届いたんでしょ? 世間を騒がせて、ファンを悲しませて、関係者に迷惑をかけて、周りから空気で連帯責任を迫られた。なのに解散せず、活動休止をした。それはなんで?」
唐突に尋ねられた賢志は、疑問に思いながら当時のことを思い起こして話した。
「……あの時は。色んな方面からバッシングされて、僕たちも二次被害を受けて、新しく受けた仕事やコンサートは全部キャンセルしました。事務所とも、今後の活動をどうするかを何度も話し合った。状況に疲弊していた僕たちは、解散してもいいと一度は口にしました。だけど……」
ある出来事を思い出した賢志は、一瞬だけ口を閉じた。
「だけど。煌が言ったんです」
「俺たちがこの世界にいた証を、まだ何も残せていない!」
事務所の会議室で、吉田社長も立ち会って話し合っていた時。「解散」の二文字が出た次の瞬間に煌は立ち上がり、力強く真っ直ぐな意志を、まだこの場所に立っていられる強さを、その場にいた全員に示した。
「僕たちがなんでここにいるのか。どういう目的を持って、芸能界という厳しい世界で生きているのか。自分たちに強い意志や願いがあるからここにいるんじゃないか、って……それに。解散したら、僕たちからも東斗に責任を押し付けてしまう。救いの手を持っている僕たちが、落ち込んだ東斗を死の淵に追い遣ってはいけない。だから、しばらくグループ活動をやめる選択を取ったんです」
煌のあのひと言がなければ、あの事件でF.L.Yは消滅していた。きっと、他の誰の言葉でもない。煌の言葉でなければ、今また四人は揃っていなかっただろう。
「そうだったんだね。そして、奇しくもまたピンチに陥ってる。神様はまた、きみたちに試練を与えている訳だ」
「神様の試練……」
「ただでさえきみたちは今、周りの好奇心が冷めて飽きられてる。今度は、『かつての仲間を犠牲にして話題を作った史上最低のアイドル』、なんてバッシングされるかもしれない。世間は、有名人に対して容赦ない。だから僕の直感だけど、この試練を乗り越えないといざという時に堪えられなくて、今度こそ本当にF.L.Yが壊れてしまうかもね」
「F.L.Yが壊れる」。
その言葉は賢志の胸を握り潰そうとして、恐れでハッと庄司に顔を向けた。向けられた賢志の表情で心情を察した庄司は、慌ててフォローする。
「あ。不穏なこと言っちゃったね。怖がらせてごめん。予言でもなんでもないから。本当にただの直感だから。でもきっと、きみたちならチョチョイのチョイだよ。あの試練を乗り越えて、今またここにいるんだから。因みに。山に例えるとどの山かな」
「え? えっと。そうですね……富士山……とか?」
「富士山か。あの時の山がエベレストだとしたら、その比じゃないから難なく乗り越えられるね。うん。心配ない! F.L.Yを見てきた僕が言うんだから、間違いない!」
賢志の恐れを吹き飛ばすほどの笑顔で、庄司は朗らかに言った。デビューして二年目で冠番組が始まった時も、バラエティーが不慣れで最初の収録が思ったようにいかなくても庄司は
「大丈夫、大丈夫! これから慣れてくから! それまで僕たちがフォローするから!」
とプレッシャーを与えず、五人が自然体で挑める現場の空気を作ってくれた。そして誰かが落ち込むたびに、大丈夫だと言って背中を叩いてくれた。
「という訳で。また来週よろしく。楽しい収録にしようね!」
去り際、庄司は賢志の背中を軽くポンポンと二度叩いて、元気付けてくれた。体育館へ消えて行くその大きな背中を、賢志は見つめる。
「……」
庄司からもらった缶コーヒーに視線を落とした。真っ黒のパッケージで「無糖」と書かれた、温くなった缶コーヒー。
賢志は、表情に苦衷を滲ませる。胸に当てた手は、何かに助けを縋るように強く握り締められた。




