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15話



 

 都心を少し離れた都内某所。住宅街の一角の何の変哲もない、法人の名前が掲げられたよくある三階建てのビル。

 建物内は四方が白い壁で、清浄なる雰囲気を漂わせる。天井からはランプシェードがぶら下がり、玄関横や廊下にはアンティーク調のチェストがさり気なく置かれ、生花が誇らしげに咲いている。緩やかにカーブしながら上へと伸びる階段の手摺りは、いやらしくない金の塗装がされている。

 三階に上がると、団体の代表の執務室がある。その部屋は、アンティークのチェストやキャビネットが設えられており、部屋の中央には高級そうな絨毯と、花柄のロココ調のソファーが置いてある。そして窓を背面に置かれた机に座る高島(たかしま)成都子(なつこ)は、二台のパソコンに向かい、全国の市区町にある支部を統括する代表たちとリモート会議をしていた。


「秋田の大館支部。先月の総献金額が、前月比+2.8%で全国トップですね。四ヶ月連続で右肩上がりです。頑張って頂いてありがとうございます」

「とんでもありません」


 秋田県に配する支部全てを統括する壮年の女性は、成都子に褒められ誇らしげな表情で頭を垂れる。着ているセール品の花柄のトップスが、心なしかブランド物に見えてくる。


「一方で。前月より下がっているのが、鳥取の米子支部。先月比−1.8%。今年に入ってから、三度目の最下位ですね。四月から通して見ても、ほぼ横ばいです。もう少し頑張れませんか」

「申し訳ございません。物価高が続いている影響で、特に観光業に携わる者は手一杯だと申しておりまして……」


 鳥取県全ての支部を統括する男性は、言い訳などもってのほかだとわかっていながら米子支部の現状を伝える。成都子がその言い訳を聞いたのは、今回で三度目だった。しかし、目標が達成できないことに対して彼女は目くじらを立てない。少しでも多く収入があればそれはそれで喜ばしいことだが、それは彼女が求めることではない。成都子は団体の代表として全国の支部を管理すると共に、志を同じくする同士たちを家族のように思っている。


「それはわかります。ですが、条件は皆さん同じなのです。(わたくし)も、皆さんに無理を言っているのは承知しています。ですが、今が耐え時なのです。ですから、もう少しの間でいいので……今年度中には嬉しい報告ができると思うので、頑張って頂けませんか」成都子はおおらかに要望した。

「わかりました。見苦しい言い訳などしてしまい、申し訳ございません」


 包み込むような優しい声音の成都子に、自省した鳥取県統括代表の男性は、薄くなった頭頂部が見えるほど頭を下げた。成都子は少し心憂こころうい表情をする。自分と同年代の彼が、恥ずかしい頭を全国の同士に晒したことが情けないと思った訳ではない。自分に対して情けないと感じたのだ。


「来月こそは成都子さまのご期待に添えるよう、尽力致します」

「ありがとうございます。皆さんも、引き続き宜しくお願いしますね」


 リモート会議が終了すると、タイミングを見計らって成都子の側近の男性がやって来た。


「成都子様。一つご報告がございます」

「以前、お願いした件でしょうか」

「はい。こちらをご覧下さい」


 側近は持っていたタブレットを見せた。何枚かの隠し撮り写真が提示され、それを見た成都子は僅かに眉頭を寄せた。


「ありがとうございます。では、伝言をお願いできますか。『あなたの過去の汚点は、私たちの未来の障害となります。僅かな塵も残さぬよう、今すぐ断ち切りなさい。』と」

「かしこまりました」

「念のため、私からも直接伝えておきます。それからその写真を、あとで私のパソコンにも送って下さい」


 伝言を承った側近は腰を折り、部屋を出て行った。

 成都子は、机に飾ってある写真立てに視線を移した。三人の女性が写っているそれは、彼女の家族の写真だった。その中の一人を、撫でるように触れる。その人物を見つめる瞳には優しさはなく、仮借ない感情が現れていた。





 十月上旬。四人で東斗に会いに行くその前日。またそれぞれの自宅に、送り主不明の脅迫文が届いた。


『お母さまはお前たちを見張っている。逃げられはしない。』


 前回同様パソコンで書かれた文書で、恐らく同じ人物からのものだと推測していた。

 二度も送られて来たが、煌たちは社長にもマネージャーの結城にも報告していなかった。社長に報告すれば警察沙汰にされそうだし、結城も社長に報告をしそうだったので、わざと黙っていた。イタズラの可能性も一応考えているが、『黒須』からの可能性は大いにあることは承知していた。

 その日の夜。一同は煌の部屋に集まった。煌が住んでいる中目黒のマンションは、広さは2LDK。リビングにはサンセベリアなどの観葉植物と、趣味のギターが置いてある。全体的に落ち着いた色合いで、黒いソファーとウルトラマリンブルーの遮光カーテンが、部屋の締め色に選ばれている。

 煌はリビングに座った三人に飲み物を聞いた。全員ビールを希望したので、自分の分と合わせて四缶出し、おつまみは冷凍食品の魚のフライや餃子を温めた。

 テレビを観ながら晩酌をし、芸人が自分で考えた色んな説を検証するバラエティー番組を観ながら楽しく飲んだ。しかし賢志だけは、初めから浮かない表情をしていた。

 夜も更けてきて、ニュース番組の時間帯になった。今日起きた事件や世界情勢のニュースを女性アナウンサーが伝える。


「なかなか思うようにいかないな」ほのかに頬を赤くした流哉が、現状を嘆いた。

「気付けばもうすぐ半年とか、信じられないよ。澤田さんも頑張ってくれてるけど、報道規制があったんじゃ掘り下げるの難しそうだし」


 蒼太も足踏み状態に同じく嘆く。そんな最年少に、煌は背中を支えるように言う。


「与えられた時間はもう半分過ぎたが、焦らずにいこう。報道規制がかけられたということは、あの事件の裏には何かあると証明されたも同然だ。諦めずに掘り下げれば、何か出てくるはずだ」

「公式裏アカウントにも相変わらずアンチ投稿くるし。今日もまた、『愚か者ども。そのうち必ず後悔するぞ』とか来たよな。無視してるけど、一度反応返してみるかな」

「やめとけ。きっとふざけてるだけだ」


 缶ビールがそれぞれ二つ空き、三缶目に突入しようとした時、ずっと静かだった賢志が口を開いた。


「ねぇ、みんな。やっぱり、やめた方がいいんじゃないかな」

「今さらなに言ってんだよ。あの文書にビビったのか」

「そうだよ賢志くん。最初に決めたじゃん。何が待ち受けていても真相を突き止めるって」

「だけど、あれは確実に忠告しにきてる」


「あれ」とはもちろん、差出人不明の文書のことだ。自分たち宛てに来た送り主不明の文書を恐れている賢志は、畏怖がこもっているような真剣な目で流哉と蒼太を見た。しかし、煌は言う。


「だが忠告されたということは、俺たちの行動が外れていないということだ。あの事件を掘り返されたくない誰かがいるんだ」

「でも、みんな。怖いと思わないの?」

「怖くない訳ないだろ。いわゆる脅迫文なんて初めて見たし」

「『黒須』の可能性がある上に、忠告はこれで終わりとは限らないんだよ。カッターナイフの刃が封筒に入ってたっていう話も聞いたことあるでしょ。みんな危機感が足りないよ。社長はやってみろとは言ったけど、考え直した方がいいんじゃないかな」


 賢志は、脅迫がエスカレートして、自分たちの身に危険が及ぶ事態になることを懸念しているようだった。彼は最初から危険を懸念していたが、それはリーダーとしてメンバーを守らなければという使命感だった。三人を見放せず一緒に行動をしているのも使命感だったが、もうこれ以上進んではいけないと本当に危機感を感知しているようだ。

 しかし、三人も危険を予感できないほど鈍感ではない。賢志に言われなくても、自分たちの方からどんどん危険な森の中へ向かっているのは承知している。

 そんな賢志に煌は言った。


「そんなに言うなら、抜けてもいいぞ」

「えっ」

「流哉と蒼太も。事件の真相を知りたいと言い出したのは俺だ。確かにしつこく協力をお願いしたが、みんなに断られたら俺だけでもやるつもりだった。だから、ここまで付き合ってくれたことは本当に感謝してる。もしも今後のこと……仕事やプライベートに影響が及ぶことを心配するなら、下りてもいいよ」


 協力を強制しているつもりはない煌は、気配りで三人に言った。事件の真相を追うには一人では無理だと考えて、ともに東斗の名誉を守ろうと声をかけた。巻き込んだのは自分なのだから、本当は引き返すタイミングを見計らっているのならそうしてもいいと言った。

 ところが、流哉と蒼太はそんなことは考えていなかった。


「煌まで変なこと言うなよ。オレは今さら下りる気はないからな」

「そうだよ。僕は協力するって決めた瞬間から、最後まで付き合うつもりでいるよ」

「流哉。蒼太……」


 もしかしたら、メンバーの(よしみ)で仕方なく付き合ってくれているのではと頭の片隅で煌は思っていたが、こんなこと仕方なく付き合えるものではない。流哉も蒼太も、東斗の濡れ衣を信じているからこそ協力しているのだ。その意志を改めて知り、煌は申し訳ないと思いながらとても心強かった。

 煌は、これ以上の追求を渋る賢志に向いた。


「かなりしつこく協力を頼んだかもしれないが、俺は強制しているつもりはない。ここで抜けても、薄情者だとか罵ることはない。賢志。お前の意志を尊重する」


 賢志は恐らく、ずっと後戻りすることを考えていたのだろうと、煌は考えた。メンバーの中で一番年上でリーダーだから、常に状況を見ながら協力してくれていただろう。引く時は自分が判断するべきだということも。

 俯く賢志は 考え込んで黙ってしまう。リーダーとしての考えと本当の思いとが、心の中で拮抗する。


「……ごめん。今日は帰る」


 賢志は答えが出せなかった。ほんの数分の熟考では判断は下せず、居たたまれなさに負けて先に帰ってしまった。

 閉まったリビングのドアを、三人は見つめた。


「……賢志くん、最初からあまり乗り気じゃなかったもんね」

「危険があるかもしれないって、ずっと危惧してたもんな。でも、一番年下のソウがやるからって言って……」

「ボクが心配で、無理して付き合ってくれてるのかな。ボクが賛成しなければ、賢志くんに負担かけなかったのかな」


 蒼太は、のちになって顧みることを考えずに判断をした自身の責任を感じるが、煌は庇う。


「蒼太のせいじゃない。賢志が危険を危惧するのは当然だ。俺たちは、本当の犯罪者に近付こうとしているんだから」


 引こうと言った賢志の方が正しく、むしろ、危険を知りながら近付く自分たちの方が愚かなんだと煌は言った。しかし、自分たちには知らなければならないことがある。もしもそれが知るべきではなかった事実だとしても、事件の真相に関係することならば、自分たちには知る権利がある。全てを飲み込むためにも、追求は必要だと考えていた。





 賢志が帰ってしばらくしてから、流哉と蒼太も自宅に帰った。煌は風呂を済ませると、部屋着のスウェットに着替えてベッドに入った。

 目を閉じる前に、あの文書は誰が送って来たのかと考える。目的を公にしている以上、『黒須』本人以外にもできることだ。SNSやテレビで知った一般人だけでなく、芸能関係者も可能。疑惑を向けられる対象は全国にいる。しかしあの文面では、ふざけて送って来たのか本気なのかは判断が難しい。


(と言うか。もしもふざけているなら、もっと過激な文面になるか? 悪ふざけをする人間ほど言葉を選ばず、こうすれば面白くなって注目されるだろうと快楽的になるんじゃないか? だとすると、あれは『黒須』じゃない気がする。澤田さんの話では『黒須』は慎重な人物で、上手く逃げ隠れをしている。そんな人物が、俺たちに遭遇するリスクを考えずに直接自宅のポストに入れるだろうか)


「あれは、『黒須』からじゃない?」


 そう考えると、別の人物の仕業という可能性が浮上する。つまりそれは、『黒須』の他に事件と関係している人物がいるのではないか、という疑念が生まれるということ。


「もう一人、嵌めたやつがいる?」


 東斗を嵌めた共犯者がいる可能性が。




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