精神治療
昼食後しばらくすると、院長室のドアが控えめな音でノックされた。
食後の紅茶を楽しんでいたボクは、ソーサーにカップを置いてから入室を促す。
「どうぞ。鍵は開いていますよ。お入りなさい」
小さな男の子がおずおずした態度で入ってきた。
フーゴである。
ちゃんと言いつけを守ってひとりで来たようだ。
「い、院長せんせい、しし、失礼します……」
消え入りそうな、か細く頼りない声。
フーゴは怯えきっていた。
視線をキョロキョロさせ、心細げに肩を縮こめている。
初老の女性である院長に扮したボクは、彼を安心させようと穏やかに微笑んだ。
出来る限りの優しい声で語りかける。
「そんなに緊張しないで良いのですよ」
「ごごご、ごめんなさ――」
「ほら、また言ってるそばから。とにかくまずは落ち着きなさい。こうして貴方を院長室に呼び出しはしましたが、実はそんなに大した用ではないのです。わかったら、安心して。さ、そこに座りなさい」
フーゴはボクに言われるまま、来客用のソファにちょこんと座った。
床に足が着くよう浅く腰掛けている。
恐らくいつでも走り出せるようにしているのだ。
やはりボクのことを警戒している。
怯えきったフーゴは、まるで拾われたばかりの捨て猫みたいだ。
ボクが黙って観察していると、彼のほうから口を開いてきた。
「そ、それで、院長せんせぃ。あ、あ、あのっ、ぼ、僕にお話しって……なんですか?」
「ああ、それはですね。少し聞きたいことがあるのです」
少しぬるくなってきた紅茶を、ひと口啜る。
一拍の間を置いてから、ボクはなるべく落ち着いた声色で話し掛ける。
「フーゴ」
「は、はいっ」
「私の自惚れでなければ、貴方は以前までとてもよく私に懐いて、心を開いてくれていましたよね?」
フーゴがこくりと頷く。
「それなのにこのところの貴方は、なぜか私を避けているように思えます。……最近、特に変わったことはありましたか? ないわよね? なのに、貴方は私を避ける。私はね、その理由が知りたいのです」
フーゴが押し黙った。
上目遣いにチラチラと様子を窺ってくる。
この態度は、正直に答えて良いものかと逡巡しているのだろう。
だから背中を押してやる。
「うふふ、大丈夫ですよ。思っていることを包み隠さず話してご覧なさい。私はなにを言われても怒りません。だって私と貴方たちは家族なのです。貴方は家族に遠慮したり、隠しごとをするのですか? さぁ、フーゴ。話して」
沈黙の時が過ぎる。
けれどもやがてフーゴは、意を決したのかぽつぽつと話し出した。
「……そ、その、……目が……」
ボクは黙って耳を傾ける。
「僕、院長せんせいの、目が、怖いの。だって院長せんせい、前は怒っている時でも、すごく優しい目をしていたのに、今は逆で、笑ってても目が怖くて……。だ、だから、僕、今の院長せんせいに見られると、怖いの。とても怖くて……」
なんだその理由は。
理由を聞き終えたボクは、むすっとした。
まるで納得できない。
フーゴの話は理解不能だ。
目が怖いとか、そんな抽象的なことを言われてもよく分からない。
第一、ボクは初老の優しい院長らしく、常に穏やかに微笑んでいるつもりである。
なのに怖いと言われても困る。
これでは対処のしようがないではないか。
「……ふぅ」
ボクは、ついため息をついた。
何というか、難癖でもつけられている気分だ。
目が怖いって、ボクの擬態は完璧なのだから、形状の問題ではないだろう。
なら何が問題なのか。
話し終えたフーゴは、相変わらず怯えた様子でこちらを窺っている。
「貴方の言い分は分かりました」
ともかくボクは、彼をこれ以上怯えさせないよう、意識的に目元を優しくして微笑んだ。
これでどうだろう。
自分ではこれ以上ないくらい、優しい笑みだと思うのだけど。
「――ひぅ⁉︎」
フーゴが両手で隠すみたいに頭を抱えた。
「ごごご、ごめんなさい! 院長せんせい、許して……! そんな怖い目で見ないでぇ……」
やっぱりこれでもダメらしい。
うーん……。
ボクもフーゴに負けず、内心で頭を抱えた。
◇
フーゴは頭を両手で抱えたまま怯えている。
こうして話を聞いてみたは良いものの、結局怯えられる理由は不明瞭で、さっぱり要領を得なかった。
けれども結論を出さなければいけない。
ボクはこう思う。
つまるところ、フーゴは『腐ったみかん』なのだ。
さしたる理由もなく、理不尽に家族たるボクを怖がるなんて、もう性根が腐っているとしか言いようがない。
腐ったみかんはそのまま放置しておくと、伝染する。
他の正常なみかんまでダメにしてしまう。
それはみかんを家族に置き換えても同じことだ。
だから本来ならフーゴは取り除くべきだ。
つまりは、さっさと殺して食べてしまうのが正解なんだと思う。
けれども僕は、心の中で頭を振った。
……殺せない。
いや、殺さない。
ボクはそんな簡単に家族を諦められない。
フーゴは家族の一員だ。
だからフーゴのことも諦めたくない。
多少腐っているからといって、ボクは愛を育むべき家族を殺すような真似はしないのだ。
それではあまりに短絡的だし、今までと何も変わらない。
なのでフーゴには更生して欲しいのである。
けれどもこの子が、いま現在腐ったみかんであることは確かだ。
このままにはしておけない。
なんらかの対処は必要である。
だからボクは決めた。
フーゴには、精神治療を施そうと思う。
◇
ボクは椅子から立ち上がり、古くなったフローリングをぎしぎしと軋ませながら歩く。
背後に立つと、フーゴはびくりと身体を震わせた。
「ひっ⁉︎ ぼ、僕、部屋に戻ります……!」
フーゴは慌てて逃げようとした。
ボクは立ち上がろうとする彼の肩を、両手で押さえつける。
「待ちなさい。まだ用は済んでいませんよ」
もう一度ソファに座らせた。
すかさず指先を注射針に変え、精製したばかりの麻酔薬を打ち込む。
「……ぁ、ぅ……」
フーゴがビクンと震えた。
ぐったりと脱力した幼い身体が、ソファにもたれ掛かる。
しっかり麻酔が効いたようだ。
それでもフーゴは、小さな身体を必死に捩ってボクから逃れようともがく。
ボクは思わず吹き出した。
「ふふふっ、なんですかフーゴ。ウネウネとみっともなく身体を動かして。その動き方、まるでミミズみたいで面白いですね」
「……た、……たす……」
「ダメですよ、じっとしていなさい」
ここは麻酔薬の追加投入だ。
もう一度ぷすりと針を突き刺すと、フーゴは目を閉じて、完全に動かなくなった。
ボクは寝息を立てる彼に語り掛ける。
「安心なさい。すぐに済みますから。簡単な処置です。これが済めば、フーゴもちゃんと、模範的な家族になれますからね」
ボクは鋭いメスにした指先で、フーゴの額の一部を頭蓋骨ごと抉り抜いた。
直径1センチほどの穴が、ぽかりと穿たれる。
いまから行うのは簡易的な手術だ。
多分『ロボトミー手術』と言うヤツなんだと思う。
ロボトミー手術とは前世において実際に行われていた精神治療法である。
統合失調症や重度のうつ病なんかを発した精神病患者に行われ、かなりの成果があったらしい。
その方法は脳の一部を切除してしまうというもの。
一聞しただけだと乱暴な治療法に思えるけれども、手の付けらないような乱暴者も大人しくなる、かなり実績のある脳外科手術なんだとか。
まぁ副作用として、施術後の患者が無気力になったりすることはあったらしいけれども、そこは別に問題ない。
だってボクは、家族と愛を育めさえすれば、後のことなどどうでも良いのだ。
愛を育むのに必要なのは共に過ごす時間だと思う。
なら無気力だとかのやる気うんぬんは、二の次である。
ボクはエルフの里を発ってからも、ずっと機会をみては脳についての研究を進めてきた。
いまでは施術の技術もすっかり上達して、頭蓋骨をまるっと開頭しなくとも、小さな穴を空けるだけで手術を行うことが可能になっている。
そしてボクは、前頭葉のとある箇所を少しばかり切除すれば、反抗的な被験者がすぐに大人しくなることを経験として知っていた。
つまりは既にロボトミー手術をマスターしていたのだ。
「……さぁ、それでは処置を開始しますよ」
フーゴの額に空けた穴に、ショゴス細胞を滑り込ませる。
前頭葉の一部を切除した。
空けた穴はショゴス細胞で塞いでおく。
これで終わりだ。
簡単なものである。
呆気なさすぎて物足りないくらいだ。
だからつい、もっとフーゴを弄りたくなる。
「……ああ、そうそう。良いことを思い付きました。念のためにフーゴは改造しておきましょう」
施術後の万一に備えよう。
暴れたりしても大丈夫なように、フーゴの身体はボクが外部から自由に動かせるようにしておいた方が良いと思う。
だから改造してしまおう。
ボクは改造エルフのディネリンドを思い出した。
よし。
あんな風に改造しよう。
これは良い思い付きだ。
フーゴはこれからは、改造エルフならぬ、改造人間になるのだ。
ああ、生まれ変わったフーゴに早く会いたい。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
…………。
数時間が経過した。
麻酔による昏倒から目覚めたフーゴが、ぱちりとまぶたを開く。
けれどもソファに身体を横たえたまま動かない。
まるで電源の入っていないロボットのようだ。
だから命じる。
「……フーゴ。フーゴ、起きなさい」
「はい。院長せんせい」
フーゴがむくりと身体を起こした。
ボクをじっと見つめてくる。
まだ幼い彼の顔には、どんな表情も浮かんでいない。
もちろん怯えの色も消えている。
ボクは尋ねる。
「フーゴ、調子はどうですか?」
「はい、院長せんせい。調子は良いです」
「そうですか、それは良かった。ところでフーゴ、まだ私の目は怖いですか?」
「いいえ、院長せんせい。なにも怖くありません」
うんうん。
ボクは満足げに頷いた。
どうやら治療は成功したみたいだ。
これでようやく、晴れてフーゴもちゃんとしたボクたちの家族になれたのだ。
ボクはそのことを、とても嬉しく思った。




