13. 協力者
潮騒が聞こえる。
目を覚ましたアレックスの目に飛び込んできたのは、真っ白な海岸だった。
「ここは、あの世か?」
と思っては見たものの、全身の痛みが現実であることを知らしめた。
どうやら生きているらしい。体のあちこちに痛みはあるが、手足も無事、大きな怪我もない。砲撃の直撃を受けながらも、ほぼ無傷であることは、奇跡のように思えた。
アレックスはゆっくりと立ち上がった。白い砂浜に照りつける太陽が眩しく、思わずめを細めてしまう。周囲を見回してみるが、あたりに人の気配はない。代わりに、海岸に打ち上げられた船の残骸らしき瓦礫。それらのいくつかは〈オールド・レンジャー号〉のものと思われる。しかし、残りは他の船……つまり嵐や海賊船の襲撃によって沈められた船のものだろう。すでに朽ちかけている残骸が、それを物語っていた。
「おおーい!! 誰か、誰かいないのか!?」
ひとしきり叫んでみるが、返事はない。推察するまでもなく、無人島なのだろう。
カリブ海には、大小無数の無人島が存在している。砲撃の爆風で船外に投げ出されたアレックスは、その一つに流れ着いたのだ。
無事であったことは感謝したいが、やはり仲間たちのことが気がかりだ。
レベッカは、レイは、アイリスは無事なのか。だが、それを知るためには、この無人島を出る方法を見つけなければならない。
グズグズしている暇はないと感じたアレックスは、とぼとぼと海岸を歩きはじめた。
白い砂浜、エメラルド色の海、風にそよぐヤシの木。気を失う前のあの騒々しさとは真反対の、のどかな景色の島だ。
アレックスは、海岸沿いを探索しつつ、漂着物を物色した。使えるものは何かないかと、無人島を脱出するための手立てを模索しながら。
ちょっとした宝探しのようなものだった。
見つけ出したのは、カトラスが一振り。まだ錆びついてはおらず、刃こぼれもしていなかった。剣はナイフなどの刃物として使う事も出来る貴重な拾得物だった。
さらに目ざとく見つけたのは、油瓶とフリントロックの拳銃だ。これで火を起こすことができる。これはとても貴重なお宝だと、すかさず拾い上げた。
アレックスはこれらの宝を手に、島全体を把握するため更に海岸を探索した。
すると、船の残骸らしき瓦礫の隙間に、風にたなびく金色の何かが見えた。それが人の髪……それもよく知る人物の髪の毛であることに、アレックスはすぐに気づいた。
「アイリス!!」
アレックスは慌てて駆けだすと、重たい瓦礫を急いで除けた。
少女は、瓦礫と瓦礫の間に横たわっていた。衣類と白い肌がやや煤けていたが、外見に怪我をしているところは見つからない。
「アイリス、しっかりしろ!! アイリス!!」
アレックスは必至で彼女の体をゆすった。すると、ややあって、アイリスはゆっくりと長い睫の瞼を開いた。
「ここは……? アレックスさん?」
周囲に視線を巡らせたアイリスが、アレックスの顔を見て呟くように言った。アレックスはホッと胸をなでおろした。
アイリスも潮流に乗り、アレックスと同様にこの島に漂着したのだろう。彼女もまたアレックス同様に、怪我なく無事で合ったことは、奇跡と呼ぶにふさわしいことだった。
「アイリス、立てる?」
と、アレックスが尋ねると、アイリスはこくりと頷いた。そしてゆっくりと立ち上がる。まだ事情が呑み込めていないのか、彼女は少しばかりきょとんとした目で、再度辺りを見回した。
「レイは? 一緒じゃないのか?」
「いいえ。レイさんは船が沈む前に、船室を出ていかれました。ものすごい音が窓の外から聞こえて来たので『何があったのか確かめてくる』と仰って……」
おそらく、アイリスが言っているのは、戦列艦の砲撃音のことだろう。船室にいた彼女たちは、外で何が起きているのか理解できていなかったに違いない。
「一体何があったのですか?」
アイリスの問いかけに、アレックスは事の経緯を話して聞かせた。
アレックスの作戦通り、死神サイモン・グレイナーの〈デスサイス号〉は振り切ったものの、直後にナッソー上陸を目論むウッズ・ロジャーズの艦隊に、運悪く遭遇してしまった。戦列艦の尋常ではない砲撃にさらされた〈オールド・レンジャー号〉はなすすべなく、撃沈されてしまった。ジャックはおろか、レベッカやレイの消息すら分からぬまま、この島に漂着した。
「ご無事でしょうか、レベッカさんたち……」
「レベッカやレイは、あれでもブラックストーン海賊団の海賊だ。心配には及ばない、きっと無事だよ。俺たちと同じように、無人島にでも流れ着いているさ」
楽観的に答えたが、今はそう信じる他ない。そのことは、アイリスも察したのか「そうですよね」と相槌を返した。
「とにかく、俺たちはこの島を脱出して、何としてもナッソーに帰投しなければならない。ロジャーズ艦隊のことも気になるし、エリオット船長たちが心配してるはずだ」
「はい。でもどうやって……」
「こいつで、狼煙を上げる」
と言って、アレックスがアイリスに見せたのは、先ほど拾得した油の入った瓶とフリントロックの拳銃だった。
「ここら一帯は、交易船の航路になってる。こいつを使って狼煙を天高く上げることが出来れば、きっと助けてくれるはずだ。そのためにはまず、薪を探そう。手伝ってくれるかい?」
「はい、勿論です」
アレックスとアイリスは島をぐるりとめぐりつつ、薪となる木切れを探した。幸い、海岸沿いには難破船などの残骸が無数に転がっている。そのため、夕刻までには二人がかりで十分な数の薪を集めることが出来た。
アレックスは周囲から見えやすい、浜辺の張り出しを選んで、集めた薪に火を点けた。油の入った瓶を開け、フリントロック銃を一発撃ちこむだけで、瞬くうちに炎と煙が上がった。
「あとは、沖を行く船が俺たちを見つけてくれるのを待つだけだ」
そう言って、アレックスは焚火のそばに腰を下ろした。
「でも、それがイギリス海軍の船だったら、どうなさるんですか?」
アレックスの隣に腰をおろしながら、アイリスが尋ねた。
「その時は、その時だよ」と笑うアレックス。「全員海に叩き落として、船を奪ってやる。そのまま、ナッソーに凱旋だ」
もちろん冗談ではあったが、アレックスであれば成し遂げてしまいそうな気がして、アイリスはクスクスと笑みを漏らした。
「アイリスを怖い目に逢わせてしまったね……。こんなことになるとは、思ってなかったって言ったら、言い訳になるけど、俺が甘かった」
「確かに、とても怖かったです。でもこれが、わたしの知らない世界なんだと思うと、不思議と胸が躍るような気がします」
炎の揺らぎを見つめながら、アイリスが微笑んだ。
「記憶は戻りませんが、きっとこんな冒険知らないままだった。こうして、アレックスさんと二人きりで、無人島にたどり着くことなんて、なかったと思います」
「こんな状況なのに、アイリスは落ち着いてるんだな」
アレックスは少しばかり目を丸くする。
「海賊に向いているのかもしれない」
「わたしが、ですか? そんな、わたしはアレックスさんみたいに頭の回転良くないですし、レベッカさんみたく度胸もありませんし、レイさんのように知識もありません」
「レベッカは努力家だし、レイは賢しいからな。でも、海賊に必要なのは、度胸でも知恵でもないんだ。自由を追い求める覚悟なんだよ」
「それは、エリオット船長の教えですか?」
「まあね。受け売りってヤツ」
そう言って、アレックスは苦笑いする。
「自由。わたしは、記憶のあった頃のわたしは、かごの鳥だったのでしょうか……。砲弾と剣が飛び交うこんなにも恐ろしい世界なのに、憧れが間近にある様な、そんな子どものような気持ちになります」
アイリスは遠い眼をして空を見上げた。すでに陽は沈み、藍色の帳に宝石のように散りばめられた星々と、洋上に浮かぶ下弦の月が、美しく輝いていた。
「アレックスさんは、どんな子どもだったのですか?」
「俺? 俺は何の変哲もない農家の末息子だよ」
唐突に自分の過去を尋ねられ、少しばかり驚いたアレックスも遠い眼をして夜空を見上げた。その瞳はまるで、遠い記憶をたどるかのようだった。
「生まれは、スコットランドの田舎。俺の親父は歯牙ない農夫で……」
二人は焚火を囲み、夜が更けるまで互いのことを色々と語り合った。それは、この数日で最も落ち着いた、静かで楽しい時間だった。
翌朝。
朝日が水平線から顔をのぞかせるころ、沖合を一隻の帆船が通りかかった。イギリスからアメリカに向かう商船である。
「おおーい! こっちだ、助けてくれ!!」
浜辺の突端まで走り、アレックスは大声で商船を呼び止めた。無論、その声が届くはずはないのだが、無人島から立ち上る狼煙に気づいた商船は、ゆっくりとその場に錨をおろした。
すぐさま、商船から一艘のカッターがこちらにやって来る。浜辺に乗り上げると、カッターから降りてきた水夫らしき男が、少しばかりニヤニヤとしながら、
「現地民ではなさそうだな。こんな無人島に女と二人きりなんて、羨ましい」
などとのたまった。
事情を知らない人間から、そのような軽口を叩かれることには、いささか腹が立ったが、他の船が通りかかるのを待っているような時間的な余裕アレックスたちにはなかった。
こうしている間にもロジャーズ艦隊は、ナッソー上陸のために進軍しているに違いない。勿論、ナッソーにはエリオットをはじめとする海賊たちがいる。元海賊であったセルマ・バークレイのような、街の人たちも、ロジャーズの上陸を阻止するに違いない。他人に土足で家に踏み込まれて、黙っている人間はそうそういないのだから。
しかし、相手は戦列艦である。
とりわけフレデリック・ミラー海軍大尉率いる戦列艦リストレーション号は、火力速力共に〈ウラカンレオン号〉をはるかに上回っている。ということをアレックスたちは知らないまでも、戦列艦と言う戦闘に特化して作られた船と海賊船では、まるで彼我戦力差に開きがあることは明白だった。
一刻も早くナッソーに帰還し、ロジャーズ艦隊の進撃を知らせ、阻止しなければならない。そのためには、たった一秒でも惜しいくらいだった。
カッターに乗せられたアレックスとアイリスが、商船の甲板に上がると、恰幅のいい船長が待ち構えていた。
「ようこそ、漂流者。この船は、英国美術商協会の〈サファイア号〉だ」
〈サファイア号〉の船長はそういうと、アレックスに握手を求めてきた。
「助けてくれたことには礼を言う。しかし、俺は海賊だぞ?」
慇懃なあいさつを怪訝に思ったアレックスは、その手を握らずに腰のカトラスに手をやった。すると、水夫たちにざわめきが起こる。
そのざわめきを制した船長は、「海賊である前に漂流者。漂流者を助けるのは、船乗りの義務だ」と誇らしげに言った。
その考え方は、アイリスを救出した時のアレックスのそれと同じだった。
「そうか、あんたは真っ当なイギリス紳士のようだな。ありがとう、助けてくれて」
アレックスはカトラスを鞘に納めると、船長の手を取り礼を述べた。そして、漂流の事情を船長に話して聞かせた。ロジャーズ艦隊がナッソーに迫っていることも。
「船長。不躾で申し訳ないんだが、俺とこの子をナッソーまで送り届けてもらいたい。事は一刻を争うんだ。謝礼ならブラックストーン海賊団から幾らでも支払う」
「ナッソー……海賊の本拠地へ足を踏み入れろ、と言うのはいささか無理難題だ」
船長が難色を示すのも無理はない。しかし、時間はない。どこかの港で降ろしてもらい、別の船を経由してナッソーに帰還している時間はない以上、この船で直接ナッソーに乗りつけるのが最も手っ取り早い。
「お前たちの事情は良く分かった。しかし、仮にも宝石商の商船が海賊のおひざ元に入れば、ただでは済まない。ヴェイン海賊団は俺たちを見逃してはくれまい。積荷の安全と航海の安全を守ることが〈サファイア号〉の船長たる俺の務めだ」
「しかし、ロジャーズの艦隊はすぐそこまで来てる! 早くしないと大変なことになるんだ」
「バハマ総督の海賊狩りか……それでナッソーの海賊が捕えられるなら、我々にとってそれほど有益なことはない。海賊に怯えることなく、カリブ海を横断できるのだから。少年、君もこの機会に、海賊から脚を洗ってはどうか。海賊など、そう長く出来ることではない。むしろ、その航海知識を活用して、この船の乗組員になるといい」
「申し出はありがたいが、俺は海賊を辞めるつもりはない」
「そうか、ならば君たちはケイマン島で降ろす。ケイマン島の港なら、他の海賊船にでも拾ってもらえるだろう。それまで、船室で疲れを癒すといい」
そう言うと、船長は踵を返した。
船長の言うことは正論である以上、言い返す言葉が見つからないアレックスはがっくりと肩を降ろした。
あの戦列艦の砲撃で生き残ることが出来、そして無人島から脱出することが出来た。それだけでも 儲けものだったと思う他ないのか……と諦めかけたその時、水夫たちをかき分けて、船長の前に一人の男が現れた。
音年の頃は壮年と呼ぶにふさわしい。上等な衣類と上品そうな振る舞いはイギリスの貴族を思わせる。
「ナッソーへその少年たちを連れていくべきだ」
と男は船長に言った。船長は少しばかり訝るような目つきになる。
「何故ですかな、チェスター様?」
「無論、わたしはこの船に乗り合わせた乗客に過ぎない。あなたに圧力をかけるような権限すら持たない。しかし、もしも少年たちの言うとおり、ロジャーズ率いるフレデリック・ミラーの艦隊がナッソーに肉薄しているというなら、海賊に恩を売っておくべきでしょう」
チェスターと呼ばれたその男は、まるで商談相手にでも話しかけるかのような口調だった。
「海賊に恩を売っておけば、彼らは恩義には背かない。仮にもイギリス紳士の端くれだ。そうなれば、あなたの言う、積荷の安全と航海の安全は盤石となるだろう」
「だが、そのためのリスクが大きすぎる。海賊の庭に乗り込むなど、正気の沙汰とは思えない」
「ほう、では積荷の安全は守られずとも良いと仰るのか? 船倉にあるのは、ただの宝石商が商う品ではない。さしずめ、アメリカの商人との闇取引に使う品であろう。つまり、この船には密輸品が積まれているということだ」
「な、何故それを!?」
一瞬にして、船長の顔色が変わる。チェスターの切った交渉のカードに、わなわなと震えた。
「密輸をしていることが、本国や総督らに知れ渡れば、英国宝石商協会はお取り潰し。あなたの首に縄が巻かれることになる。それに、あれだけのお宝を満載した船で、何度もカリブを往復するなら、海賊に『ナシ』を付ける絶好の機会だと思いませんかな?」
「それはそうだが……」
船長はしばらく考え込むように腕組みをした。そして、チラリとアレックスたちの方を見ると、
「ヴェインに直接会いたい。可能か?」と尋ねた。
「ああ、必要なら、ウチの船長も含めて、ナッソーの海賊との不可侵の契約を結ぶこともできる」
かどうかは不明であったが、アレックスはハッタリをかました。
「分かった。お前たちをナッソーに送り届けよう。その代り、きっちりと謝礼はしていただく」
船長はそういうとすぐさま、水夫たちにナッソーへの出発を告げた。水夫たちがぞろぞろと持ち場へと帰っていく中、アレックスとアイリスは、チェスターの傍に歩み寄った。
「助かった。俺はアレックス・クロフォード。こっちはアイリス」
と自己紹介がてら、チェスターに礼を言う。
「私は、パーシバル・チェスター。ロンドンで酒の卸問屋をしている」
「何故俺たちに助け舟を?」
アレックスが尋ねるとチェスターは少しばかり笑いながら、そっと声を潜めた。
「なあに、私も密輸業を裏稼業にしているんだ。カリブは海賊のおかげでシェアのない、いわばビジネスチャンスが転がっている地域だ。そんなカリブのヴェイン海賊団やブラックストーン海賊団と裏取引が可能なら、私にとって『助け舟』ではなく『渡りに船』と言うことだ」
「なるほど、あんたも俺たちと同じ、悪人と言うことか」
「まあ、そういうことだ。ナッソーまでは半日ほどかかるだろう。それまで、私の部屋でビジネスの話をしよう。そのお嬢さんもご一緒に」
チェスターはそういうと、アイリスをエスコートするように手を差し伸べた。レディ・ファーストは紳士の嗜みである。まさに、チェスターのその自然な立ち振る舞いは、イギリス紳士そのものであった。




