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ウラカンレオン号の航海記録  作者: 阿蘭素実史
10/19

10. ジャックの船

 雲一つない空の下、ナッソーの沖合を一隻の海賊船が行く。

 ヴェイン海賊団が有する〈オールド・レンジャー号〉だ。船体の左右に計六門の大砲を備えた、単帆装のスループ船だが、ナッソーを牛耳る海賊団の船にしてはかなり小さく脆弱ななりをしている。

 そもそも、この船がオールドと呼ばれるのには所以がある。今でこそ、大砲三十門以上を備えた大型のブリガンティ〈レンジャー号〉を旗艦としているが、この〈オールド・レンジャー号〉こそ、ヴェイン海賊団が旗揚げ当時に手に入れた海賊船であり、船速であればブリガンティ〈レンジャー号〉を凌ぐほどの高速船である。

 そんな〈オールド・レンジャー号〉の船長室で、アレックス、レベッカ、ジャックの三人はテーブルを囲み難しい顔をしていた。

「もっとも最短距離で行くなら、島の南側を抜けるのが一番いいと思うけど、ここは潮流が早くて操船が難しいわよ」

 レベッカがテーブルの上の海図に定規を当てて、航路を引く。薄暗く、揺れる船室でも、慣れた手つきで海図を書けるのは、レベッカの特技でもある。

「俺の操船をバカにしてるのか?」

 テーブルを挟んで向かい側のジャックが顔をしかめた。彼は、ヴェイン海賊団で旗艦〈レンジャー号〉の操舵手を務めている。操船にはそれなりのプライドを持っているのだろう。

 レベッカは首を左右に振った。

「違うわ。無事に帰りたいだけ。それに船体に穴が開いたら、お宝を持って帰ることすら出来なくなるわよ」

「それもそうか……」

「だから、安全に行くなら島の北側を迂回するのがいいと思う」

 羅針盤に目をやりながら、更に航路を描くと、目的地に小さなバツ印を添えた。

「しかし、それだと夜までにナッソーに帰られないぞ?」

「大丈夫、この〈オールド・レンジャー号〉は足の速い船よ。今日は天気もいいし、風さえ上手く帆に受けられれば、島を迂回しても、夜半にはナッソーに帰還出来るわ。それよりも、懸念は別にある」

「イギリス海軍か……」

 神妙な面持ちをするレベッカにそう言ったのは、アレックスだった。レベッカはこくりと頷き、バツ印を書き添えたあたりの海域を、羽ペンの柄で円を描くようになぞる。

「このあたりの海域は、イギリス海軍の哨戒海域よ。ウッズ・ロジャーズがナッソー上陸を狙っている今、海軍は海賊狩りを強化してる。海賊船とみれば、問答無用で砲撃してくるわ。たった六門しか持たないこの船で、イギリス海軍のフリゲート艦とやりあうなんて、丸腰でジャガーと戦うようなものだわ」

「なんだ、そんなこと」

 ジャックは意に介さないとでも言いたげに、高らかに笑った。

「この船は足が速いと言ったのは、お前じゃないか、レベッカ。ヴェインはこの船で、イギリス海軍からも、スペインやフランスの海軍からも、まんまとお宝を掠め取ったんだ。それに、俺の操船テクニックを以てすれば、エビ野郎の船なんて簡単に撒けるさ」

 自信満々といった表情のジャックに、レベッカはため息を一つ付いた。

「それで? そのヴェインは、このことを知ってるの? まさか、無断で〈オールド・レンジャー号〉を持ちだしたって言うんじゃないでしょうね」

 と言うと、まるで晴天の海にスコールがやって来たかのように、突如としてジャックの顔から血の気が引いていく。あからさまに目を逸らし、そ知らぬふりをするような表情に、レベッカはすぐにすべてを察した。

「そのまさかのまさかってことね。じゃあ、ヴェイン海賊団の体裁のためって言うのも、嘘だってこと?」

「そ、それは……」

「あのねえ、ジャック!! あたしも悪かったって思ってるから、あんたの言う『落とし前』に協力してるのよ!?」

 レベッカの口調が荒々しくなると、ジャックはますます眉をハの字に曲げる。

「落ち着いてくれ、レベッカ」

「どうして嘘なんか吐いたのよ? あたしたちを騙すつもりだった、なんて良い度胸してるじゃない、金貨の数を数えるしか能のないヘタレのクセして!」

「そ、それは聞き捨てならないが……、別にお前たちを騙すつもりだったわけじゃない。お互い協力して沈没船の宝を手に入れ、ウチとお前たちのイザコザにケリを付けるっていうのは、本当のことだ」

「本音は?」

 レベッカから、ジトっとした目で睨み付けられたジャックは、答えに窮して絶句した。

「本当のことを言ってくれなきゃ、俺たちは協力できない。たとえ、昼間のイザコザに落とし前を付けるためだったとしても、お前個人のために協力するわけじゃない」

 と、アレックスまでも糾弾に加わり、ジャックは観念したのかため息交じりに肩を落とした。

「どうしても、ヴェインを見返してやりたいんだよ」

「何か失敗したのかよ?」

「スペインの商船を取り逃がしただけだ。どうってことはない、ちょっとしたミスさ。商船の一隻や二隻取り逃がしたって、この海には獲物なんて他にごまんといるんだ、それなのに『お前に海賊の才能はない』なんてバカにされて黙っていられるか。俺だって、故郷を捨てて一獲千金を夢見る海の男だ」

「それで、まだ手つかずの沈没船のお宝を手に入れて、ヴェインに見せつけてやりたいって訳か」

 アレックスが言うと、憤慨していたジャックは素直に頷いた。

「あんたもバカだけど、ヴェインもつくづくバカよね」

 やれやれ、といった顔つきでレベッカが言う。

「船員は上手くあしらわなきゃ。ヴェインのヤツ、いつか『飼い犬に手をかまれる』わよ」

「だよな、そう思うよな! やっぱり、レベッカはいい奴だ!」

 レベッカの好意的な言葉に、ジャックは満面の笑みを浮かべた。別に、ジャックの味方をするつもりで言ったわけではなかったのだが、彼の人懐こい笑顔にレベッカは、怒る気にもなれなかった。

「突発的な航海だから、いつでも航路は変更できるように臨機応変に取り組むよう、あんたの仲間に伝えて。それから、あんたの名誉なんてどうでもいいけど、建前だけでも、ヴェイン海賊団の体裁とウチの海賊団の体裁のための航海だということを、忘れないで。いいわね?」

「アイサー! じゃあ俺は仲間たちに航路を伝えてくる。目的地に到着するまで、お前たちはゆっくりしていてくれ」

 調子のいい返事を返したジャックは、テーブルの上の海図を手早く丸めると、ステップを踏むような軽やかな足取りで、船長室を出て行った。

 残された、アレックスとレベッカはほぼ同時に溜息をついた。厄介ごとが去って、また厄介ごとに巻き込まれたと思わなくもなかったが、すでに船は港を出港している。今さら泳いでナッソーに帰るというわけにもいかない。そもそも、この船には二人以外にも、アイリスとレイモンドも乗り込んでいるのだ。泳ぎの得意でない二人を置き去りには出来ない。

「ジャックにも困ったもんだな」

 苦笑いしながらアレックスが言う。レベッカは「そうね」と短く返したが、どうにもぎこちないことは、自分にもよく分かった。

 あの時、アレックスが見せた冷たい表情。あれは何だったのか。しかし、問い質そうにも、上手く言葉が思いつかない。いくら船長エリオットの娘だからと言って、船員の生い立ちや抱えているものをすべて知っているわけではないし、知るべきではない。

「才能がないっていう、ヴェインの指摘もあながち間違ってないのかも。あいつ、見た目だけはキャラコのシャツ何か着ちゃって、チャラチャラしてるけど、中身はビビリでヘタレだもの。例えるなら、白い子犬かしら?」

 レベッカが皮肉をこめてそう言うと、アレックスはケタケタと声を立てて笑った。その顔は、いつものアレックスのそれだった。あれは幻だったのか。それとも、単に頭に血が上っていただけなのか。

 今はそれを知る術がない。

 そう思ったレベッカは、アレックスの笑いに同調するように、声を立てて笑った。

「それにしても……まさか、一緒に行きたいなんて、正直驚いたわ」

「ん? ああ、アイリスのこと? 俺も驚いた。まさかアイリスが自分から『一緒に連れて行ってほしい』なんていうとは思わなかった」

 アレックスは笑いを収めてそう言うと、先ほどジャックが出て行った扉の向こう、甲板の方に目をやった。


 アレックスとレベッカがジャック・ラカムと打ち合わせをしている間、レイはアイリスの警護を指示された。

 とは言え、この小型スループ〈オールド・レンジャー号〉のさして広くもない甲板では、特別にすることはなにもない。

 一番警戒しなければいけないジャックの仲間たちは、男ばかりの甲板に、可憐なアイリスが乗り込んで来た時こそ「女の子だ!」などと口々に叫び驚きと共に喜んでいたが、流石は船乗りたちである。ひとたびナッソーを出港すると仕事に専念して、アイリスにちょっかいを出そうとするような不逞の輩はいなかったため、すぐにレイの任務は終わりを告げた。

 外科医であるレイは航海術や操船技術を身に着けてはいない。甲板で手伝うこともない彼には、アイリスの傍で甲板の隅に寄りかかり、カリブの海を眺めながらぼんやりとするほかなかった。

 退屈であることを厭う性格ではないレイだが、〈ウラカンレオン号〉に戻りたいという気持ちもある。

 そもそも、午前中にはアイリスをグリーンウッド亭のセルマ・バークレイに預けて船に帰り、次の航海のための医薬品の確認と、補充品の依頼を副長のローランドに伝える雑務をこなすつもりでいた。これでも、ブラックストーン海賊団の船医である。

 ところが、ジャックの申し出に協力せざるを得なくなったアレックスとレベッカに、「私も連れていって下さい」と言い出したのは、レイの傍らで楽しそうに海を眺めているアイリスだった。

 もちろん、アレックス、レベッカ同様にレイも驚いた。表情には出さなかったが。

 レイにアイリスの心境を推し量ることは難しい。出会って間もない年上の少女の「らしさ」とは何かは分からないことを差し引いても、アイリスは活発なレベッカとは対照的に見える。そんな彼女が、自ら進み出てくることを、レイは予想だにしなかった。そのことは、アレックスもレベッカも同様だっただろう。

 そんなアイリスはと言えば、人形のような美しい顔に微笑みを浮かべて、太陽を受けて輝く水面を見つめていた。〈ウラカンレオン号〉の医務室で目覚めた時の不安そうだった顔はすっかりなりを潜めている。オットーの言うとおり「無理に記憶を思い出そうとしても仕方がない」ということを受け止めようとしているのかもしれない。

「見て下さい、レイさん。イルカです!」

 アイリスがレイの傍らで海面を指差す。海面から鎌のような背びれをのぞかせ泳ぐ、灰色の生物。レイは、首を左右に振った。

「違う。あれはサメ」

「サメというと、あの人を食べるという恐ろしいお魚ですか?」

 アイリスは不安げな顔をする。どうやら、ものを知らないお嬢様と言うことだけは確かなようだ、とレイは思った。

「大丈夫。あれは、人を食べないサメ」

 サメは種類が多く、人食いザメと呼ばれるものもいるが、大半は人間を襲ったりはしない、ということをアイリスは知らないのだろう。

「よかった。恐ろしい生き物のいる海に飛び込んだら、アレックスさんが食べられてしまうところでした」

 と、本気で胸をなでおろすアイリスに、レイは少し可笑しくなった。

「それにしても、本当に沈没船のお宝なんてあるのでしょうか?」

 不意にアイリスが言う。鋭い疑問だ。

 ジャック・ラカムは、このニュープロビデンス島近郊の海域に嵐で沈んだという、スペイン商船から積荷をサルベージしようとしている。

 しかし、三週間前に沈んだ船の情報が今更になって出回ることも腑に落ちないが、労せず獲得できるお宝を、エリオットやヴェインをはじめとする他の海賊が、みすみす見逃していることも腑に落ちない。

 もしも本当に沈没船があるなら、それは何かしら良くないことの予兆ではないのか、と勘繰ってしまう。

 そのことを、アイリスも感じていたのは、少し驚きだった。

「空振りになることは、よくある」

 レイがそういうと、わずかにアイリスの顔が残念そうに俯いた。

「皆さんは、私のイメージしていた海賊とは大違いですね。もっと恐ろしい人たちだと思ってました。たくさんの財宝に囲まれ、日夜悪いことをしているような人たちだとばっかり」

「本に書かれているような海賊は、空想の生き物」

 レイは船の傍を泳ぐサメの背びれを見つめながら言った。

「でも、僕たちは海軍に狙われるような、他の船を襲って金品を強奪する悪党だよ」

「じゃあ、どうしてレイさんは海賊になんてなったんですか?」

 アレックスは自由を求めて海賊になったと話してくれた、と説明するアイリスに、レイは堅い表情の中に、わずかだけ自嘲気味な苦笑いをみせた。

「一攫千金。生きていくためには、お金が必要だから。ししょーは反対したけど」

「ししょー、オットー先生のことですね。レイさんとオットーさんってどういう知り合いなのですか?」

「それは……」

 レイは言葉を詰まらせた。あまり自分のことを話すのは得意ではないし、好きでもない。そもそも、他人と話をするのが好きではない。

 他人のことに興味を持つことが悪いことだとは思わない。

 ただ、それほど面白い話でもない。期待させて、つまらないと感じさせるための言葉を発することを厭うレイは「話したくない」という気持ちを込めた視線を送ったが、アイリスは意に介さない。

「ししょーは師匠」

 仕方なく短く答えてやる。

「ナッソーで僕に医術を教えてくれた」

 おそらく、アイリスが聞きたいのは、何故オットーと知り合い、何故カリブの海賊として外科医をやっているのかということだろう。確かに十四、五の少年が医学を習得し、海賊船の外科医をやっているというのは、ものを知らないお嬢様でなくとも興味を抱くことだ。

「オットーさんは、まるでレイさんのお祖父さまのようでした」

「さっきも言ったけど、あんなお祖父ちゃん嫌だ」

「でも、お二人は気が置けない仲のように見えましたよ」

 アイリスがそう言うと、レイは不機嫌そうに口をヘの字に曲げて、そっぽを向いた。

「僕のことなんて、どうでもいい……」

 と、レイが呟くように言う。アイリスは残念そうにしたが、ちょうどそのタイミングで、船長室からジャック・ラカムが姿を現した。

 どうやら、アレックスとレベッカを交えたミーティングは終わったらしい。ジャックは海図を手に仲間たちに、てきぱきと指示を下していく。

「野郎ども! 針路を南に取る!! 風向きは良好だ、最大船速で行く。帆を張れ、フルセイルだ!!」

 張りのいいジャックの声に、彼の仲間たちは威勢のいい返事を返す。

 すぐさま〈オールド・レンジャー号〉の一本だけのマストに、真っ白な帆布が広げられた。

 レイの傍らで、マストを見上げていたアイリスは「わあ!」と歓声を上げる。レイも帆を見上げつつ、会話が打ち切られたことに、心なしか安堵した。


 真っ白な帆を広げ、最大船速で目的地に到着した〈オールド・レンジャー号〉は、ニュープロビデンス島からそれほど遠くない無人島のそばで錨を降ろした。

 そこは、大小六つほどの島が連なった場所で、島と島の間では潮流が絶えず乱れており、難所の一つとして知られている。

 ここで、スペイン商船が積荷を満載したまま沈没したというのは、三か月も前の話だ。

 通常、そのような場所を商船が通ることは、まずあり得ない。特に、積荷を乗せた商船は、なるべく安全な航路を選ぶものである。もしも、商船が危険な道を選ぶとしたら、嵐を避けるため、若しくは海賊に襲われ場合だろう。

 この商船の場合、前者である。推測にすぎないが、突然の嵐に見舞われた商船は、嵐をやり過ごすために、無人島の島陰に入ろうとしたか、若しくは錨を降ろして嵐が過ぎ去るのを待つことにしたのだろう。しかし、不運にもここは難所。潮流に舵を取られ、暴風雨に帆を操られ、あえなく座礁したのではないだろうか。

 いずれにしても、ジャックにとっては、労せず手に入るお宝である。しかし、ジャックが集めた船員の中に、航海術の心得がある者はいなかった。船乗りたる者、多少であればその心得があるものだが、難所に挑む以上ちゃんとした航海士は欲しい。

 そんな折、ブラックストーン海賊団の航海士レベッカ・ブラックストーンが、自分たちの仲間とイザコザを起こしてくれた。こちら側に非があったようだが、ジャックは文字通り「渡りに船」だと感じた。

 かくして、レベッカとアレックスを巻き込み〈オールド・レンジャー号〉は、お宝の沈む海へとやってきたのである。

「まずは、この海域の何処かに沈んだ沈没船を探してくれ。何としても、日没までにはサルベージを終えたい。よろしく頼むぜ、アレックス」

 甲板では、お宝をサルベージするための準備であわただしくなっていた。

 時刻は、すでに夕刻が迫ろうとしている。クズクズしている暇はない、とでも言わんばかりに、アレックスを含めた数名の潜水自慢の船乗りたちが、早々とウォーミングアップを始めていた。

 そんな中、ジャックがアレックスに声をかけて来た。

「アイサー。ところで、ダイビング・ベルはないのかよ?」

 腕を伸ばしつつ、甲板をぐるりと見回すアレックス。

 ダイビング・ベル(潜水鐘)とは、底の開いたつり鐘型をした潜水具である。名前の通り、教会の鐘ほどの大きさで、船から海底へと吊り下げられる。ベルの上部には管が通してあり、フイゴなどを使って船上から絶えず空気を送り込むことによって、ダイバーの呼吸を助けるのである。

「持ちだす余裕はなかったんだ。ヴェインに漏れる前に出航したかったからな」

 ジャックは苦笑いをしてみせる。だが、苦笑いで許される問題ではない。どれほどアレックスが泳ぎに優れているからと言っても、人魚でもない限り、長い時間潜ることは不可能である。

「おいおい、ジャック!」

「まあ、そう慌てるなアレックス。ダイビング・ベルの代わりに、あいつを投入する」

 文句を言おうとしたアレックスを静止して、ジャックが後部甲板の方を親指で指差した。

 後部甲板上にはいくつかの空の酒樽が並べられている。一見すると樽機雷のようにも見えるが、樽の底板が抜かれ、ロープで石が吊るされていた。

「あれは?」

「空気樽。簡易のダイビング・ベルみたいなものさ。あの樽を、適宜この船から海底に投げ込む。一度くらいの呼吸なら可能だ」

 拙速気味な航海にもかかわらず、ジャックにしては考えたじゃないか、とアレックスは頷いた。

「じゃあ、よろしく頼むぜ」

 ジャックはアレックスの肩を軽く叩いて、他の船乗りに声を掛けにその場を立ち去ると、入れ替わるように甲板の隅にいたアイリスとレイがこちらに駆け寄ってくる。

「もう行かれるのですか?」

 と、やや不安げな顔をするアイリスに、アレックスはニッコリと笑った。

「ああ、宝物を沢山持って帰るから、期待して待っててよ、アイリス」

「期待はしてるけど、ここは危険な海よ。あんまり無茶しないでね」

 そう言ったのはアイリスではなく、アレックスの傍らで彼の腰に命綱を巻き付けていたレベッカだ。潮流が速いこの海では、いくら泳ぎが得意なアレックスとは言え、命綱なしで泳ぐ訳にはいかない。

「レベッカに言われたくないけど、無茶はしない。でも、ジャックは俺たちにも取り分をくれるって言うから、ただ働きはしたくないな」

「お気をつけてくださいね」

 アイリスが念を押すように言った。その言葉に、アレックスがこくりと頷くとほぼ同時に、ジャックの威勢のいい掛け声が響いた。

「よーし!! 潜水夫は出発だ!! 甲板員は空気樽を投げ込め!!」

 合図とともに、後部甲板から先ほどの簡易ダイビング・ベルの空樽が海へと投げ込まれる。樽は石の錘を下にして、空気を満載しつつあっという間に海底に見えなくなった。

「じゃあ、行ってくる」

 アレックスはアイリス、レベッカ、レイの三人に手を振ると、全身で大きく息を吸い込んで、船の縁から海へと飛び込んだ。

 白い水しぶきとともにアレックスの姿は青い海の色に溶け込むように消えた。

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