十話 古代魔法・蘇生術 【命廻再臨(めいかいさいりん)】
本当に突然の出来事だった。ラウルが魔力障壁を張る暇も無く、伸びた巨人の腕が隣のクリスの腹を抉った。血と内臓が、倒れたクリスに開いた穴からはみ出し、ビチャリと水音を立てる。
その場に居た誰もが、何が起こったのかを理解するのに時間を要した。エリックとペルシャは驚愕に目を見開き、その場で立ち尽くす。
「こっちも、いただきまぁす」
黒い巨人のような影はもう一度腕を振り上げる。標的はラウル。上げた腕が振り下ろされようとして――
空中で停止した。
「あれは、魔獣! あのラウルとかいう奴、魔獣まで操れるのか……!」
驚くペルシャの視線の先、巨人の腕は、狼のような動物に受け止められていた。人狼とでも言うのだろうか。
狼の頭。その下は全身硬そうな毛を纏い、二本足で立っている。両腕は前足ではなく人間の腕と同じ。その腕が、振り下ろされた巨人の腕をしっかりと受け止めていた。
人狼の形をした魔力の塊、【魔獣】の全身の毛は逆立っている。牙をむき出しにし、獰猛な唸り声を上げ、すきあらば巨人を噛み殺そうと双眸を鋭く光らせている。
「お前、許さないぞ」
魔獣と同じく怒りを露わにしたラウルの声は魔力を帯びて言霊となり、球体状の魔力弾となって彼の周囲をただよいはじめる。
「消し炭にしてやる!」
その言葉を号令として、魔力弾が飛んでいく。怒りの感情が直接巨人にぶつかり、連鎖的に爆風を起こす。
「いいぞ、美味そうだ。美味そうな魔力だ」
立ち込める煙の中で、巨人は笑う。魔獣に腕を抑えられて、餌を目の前にしておあずけをくらうその状況すらも楽しいというように。
唸りながら涎を垂らす人狼のほうがよほど空腹に見える。
「喰ってやる。必ず喰ってやるぞ。しかし今は勿体無い。メインディッシュはもっと空腹のときが良い」
余裕を見せつけるように言うと、巨人は腕を自ら切り離し魔獣から逃れた。切り離した腕は大気に溶け、肩口の切断面からは新しい腕がすぐに伸びる。トカゲのしっぽ切りさながらの芸当。
巨人はそのまま上空へ翔んで、何もないところに手を伸ばす。両手で扉を開けるようなしぐさをすると、白いもやごと空気が捻じ曲げられ、別空間への入り口がぱっくりと開けた。繋がった先はどこだか分からない。
覗き見える赤黒い風景から黒い霧のような魔力が漏れ出して、街道にかかる白いもやを押し返している。巨人は頭から吸い込まれるように、その空間内へと姿を消した。
「クリス! 死ぬな! こんなところで死ぬなよ……! 絶対に、殺させやしない……!」
巨人の退却を確認すると、ラウルはすぐさまクリスに駆け寄り、意識なくぐったりとしている彼女の体を抱きかかえた。生命維持魔法が発動していない。それはつまり、もう命が無いということ。それでも、現実を直視できないのか、ラウルは必死に最愛の人の名前を呼ぶ。
「俺が見たのは、このシーンだ」
いつか見た夢の光景を目の当たりにしてペルシャは生唾を飲んだ。この夢が実際に起こったことだとしたら、クリスはとっくに死んでいるはず。ここから先、夢で見られなかった部分で一体何が起こったのか? 見守っていると、ラウルはクリスの体をそっと地面に横たえ、その周囲に記号や文字を描きはじめる。
ラウルの手によって流れるように記述される繊細な記号達に、二人は目を奪われた。
「あれは、魔法陣!」
数百年前に滅んだはずの、古代文明の遺産。誰にも分からないとされているそれを、すらすらと描き出す手元に目を奪われる。
始端と終端を繋ぎ終わり、記号達が円となってから、
「天より授かる祈りは魂 地より賜る恵みは血潮 大気の魔より核を誘い 空虚の器に再び廻りて――」
ラウルはその一端に手をつき、呪文を呟き始めた。魔力の光がラウルの手先に集まり、流れ出すように魔法陣へと染みていく。記号一つ一つに光が伝染していき、魔法陣が七色の光で輝き出す。
「聖詠唱! ラウルという男、一体何者なんだ!」
詠唱が進むにつれ、オーロラに似たその光は強さを増し、やがて目を開けていられないほどになる。
「甦れ! 命廻再臨!」
ラウルの詠唱が終わると、パンッ! と、手を叩くような音を発しながら、光が弾けた。
――来世で、また会おう。
光が弾ける直前、微かに、そんな声が聞こえた気がした。
瞼を閉じていても分かるほどの明るさが収まり、二人は恐る恐る目を開く。ぼやけた視界が徐々にクリアになり、飛び込んだ光景は――
「私……は……」
――死んでいたはずのクリスが、起き上がるところだった。時間を巻き戻したように、身体には傷一つ無く、地面に広がっていた血や内蔵も跡形なく消えている。ただし、衣類に開いた大きな穴が、これまでの出来事が嘘ではないと物語っていた。
クリスは頭を抑えて周囲を見回し、すぐにそばで倒れているラウルに気がついた。
「ラウル!? 何が起こったの!? ラウル!?」
慌てて彼を抱き起こすクリス。
そこで急に、ペルシャとエリックの視界が歪み始めた。
「ヤバイ。タイムリミットだ。押し出される!」
歪んだ光景が、加速度的に遠くなる。強い力に全身を圧迫される感覚がして、抗えないままに二人の精神は夢の世界から強制的に離脱させられた。
*
クリスの夢から押し出されたペルシャとエリックの精神は体へと無事に戻り、二人は一斉に身を起こす。
今の夢の光景について、考えを確認しあわなければならない。できればクリスが目覚めるのを待って、三人で。そう考えて、ペルシャはクリスの寝顔を覗き見た。
「泣いてる……のか?」
侵域前は安らかだった寝顔は一変し眉がひそめられ、閉じた瞳から枕まではかすかに涙の跡が見える。
「なんとなく、あのあと起こったことが想像できてしまうな……」
エリックも隣に立ち、なんとも言えないという表情をしている。クリスにかけるべき言葉も、自分を納得させる言葉も見つからない。
二人が無言のままベッドを見下ろしていると、そこに眠る少女の長いまつげがゆっくりと持ち上げられた。
「あ……れ……? 私……一体……」
今ひとつ状況を理解できていないような彼女は、夢と現実の区別がつかない寝起きの頭で何かを思い出そうとしている。それが、倒れる前の出来事なのか、夢の中での出来事なのか。
「クリス、大丈夫? 君はエリックを助けようとして、不完全な蘇生術を使ったんだ」
「エリックさんを……? 蘇生術を使ったのは私ではなくラウル……。いえ、違う。この世代ではエリック……」
「ゆっくりで良い。何か思い出せたら話して」
長い話になりそうだ。と、エリックは一度席を外し、茶を淹れてくることにした。
カップとポットを温め、じゅうぶんな時間茶葉を蒸らし、透き通った琥珀色の液体を三つ準備する。それを手にもう一度部屋へ戻ると、大分落ち着いた様子のクリスがベッドの上で起き上がっていた。
ペルシャが移動させたらしく、ベッドサイドにソファが並べられている。「チェアを持ってくれば良いだろうになぜわざわざ重いソファを。どうぜ元に戻すのは私なのだろうな」とエリックは思ったが、文句は言わずに腰を下ろす。
「クリス。君は、今見た夢を覚えてる?」
紅茶の入ったカップを見もせずに受け取って、ペルシャが問いかける。
「はい。でもあれは夢であって夢ではないんです。私、思い出しました……いろいろと」
ありがとうございます、と小さく礼を言って紅茶を受け取り、クリスは続けた。
「まず、私の名前はクリスじゃありません」
「は?」
想像していなかった出だしに、二人は素っ頓狂な声をハモらせた。しかしすぐに、
「いや、そうだ。その通りだ。だってクリスというのは、名前も分からないという君に、私が咄嗟につけた名前だったじゃないか」
とエリックは出会った日のことを思い出した。
でも、と反論するのはペルシャ。
「さっき夢の中で、君はクリスと呼ばれていたよね?」
「ごめんなさい。今世では、という意味です」
クリスは紅茶を一口飲んで、大きく息をついた。本題に入るつもりのようだ。ペルシャとエリックも、ソファに深く座り直す。
「輪廻転生、というのを、知ってますか?」
「生まれ変わりのことだろ? 都会じゃ信じてない奴もいるみたいだけど、この街じゃ赤ん坊でも知ってるさ。エリックなんて、街の奴らから『悪魔の生まれ変わり』なんて揶揄されてる」
「うるさいな。それは今関係ないだろう」
笑うところ……なのだが、クリスは深く傷ついた顔をして首を横に振った。
「決して、悪魔なんかじゃありません。ラウル……数百年前に実在した、とても有能な祓魔師の生まれ変わり。それがエリックさん、あなたです」
一瞬だけ静まり返った部屋に、カチャリとカップの軽い音が響く。ペルシャはさほど驚いたふうでもなく、紅茶を啜った。
「なるほどね。エリックがクリスって名前を思いついたのも、きっと前世の記憶を無意識に掘り起こしたからだ。クリスと呼ばれていた夢の女性は、君の前世なんだね?」
「はい。正確には、前世よりもっと昔。どこから話せばいいのか……夢魔の現界化という現象については、ご存知ですか?」
現界化という言葉に、ペルシャの赤い瞳が、炎をまとったように揺れた。
「知ってるよ。とてもよく、ね」
通常、人に寄生して夢の世界に巣を作るのが夢魔である。しかし、その夢魔が極稀に現の世界に姿をあらわすことがある。
現界化と呼ばれるその現象を起こせるのは、現で存在の形を確立できる上級の夢魔のみ。
「それでしたら話が早いです。私と、婚約者だったラウルは、現界化した夢魔に襲われました。そして私は、一度死んだんです」
現界化で一番厄介なのは、夢の世界とは違って、何もかもが現実だということ。物を壊せば壊れたままだし、怪我をすれば肉体が損傷する。領域の書き換えで修復することが出来ない。
「死んだ私に、ラウルは蘇生術を使いました。今は失われたとされる蘇生術ですが、あの頃はまだ使える人間が少しは居ましたから。ラウルもそのうちの一人でした」
「ってことは、あれは数百年前の出来事だってこと?」
「そうです。ラウルは、自らの命と引き換えに、転生するはずだった私の魂を元の肉体に戻しました。だけど、それだけでは無かったんです。これはラウルも知らなかったことなのでしょうが……蘇生術には一つ、大きな罠があったんです」
「罠……?」
術者が死ぬ以外のデメリットについて、現代に残る文献には一つも記されていない。しかし、ここまで聞けば大方の予測は出来る。クリスの体内に詰め込まれた、人一人分の魔法回路。エリックの体内に存在しないもの。二つのピースが、繋がったような気がした。
「はい。蘇生術で失うのは命だけではありません。あの術は全ての魔力だけでなく、魔法回路ごと、他人に分け与える術なんです。そうしてラウルの回路を譲り受けた私は、寿命を全うし、その生を終えました。問題はここからなんです。次の転生で、私には前世の記憶が残ったままでした。体内の回路も。いえ、逆でしょうか。体内に回路が残っていたから、前世の記憶も残っていた……?」
「卵が先か、鶏が先か。みたいなことだね」
それはこの際どちらでも良いですね、と嘲笑気味にクリスは笑う。
「私は困りました。魔法がうまく使えなくなっているし、前世の記憶で混乱するし……。とにかく、ラウルも転生しているに違いないと思って、彼を探すことにしたんです。そして、気づいてしまったんです。永劫回帰にとらわれてしまっていることに……」
永劫回帰。何度転生しても、同じ人生を歩み、同じ結末を招くということ。それは、ある人にとっては永遠の命と同等で、ある人にとっては地獄にも等しい境遇。
「完全な永劫回帰ではないんです。私は私として産まれ、ラウルを探すことには違いないのですが、会える人生も会えない人生もあります。だけど、必ず私はラウルの回路を持って産まれます。そして、それを狙って来る現界化した夢魔に殺されて人生を終えるんです。毎回そうなんです。何度も。何度も。腹部を貫かれ、痛みの中で薄れていく意識。その生の終わりを、転生の度に繰り返してきたんです」
何度も……と繰り返すクリスからだんだんと表情が抜け落ちていく。
その苦痛を想像し、ペルシャとエリックの顔色も青くなっていた。苦痛だけではない。何度も、転生する度に、死の記憶が増えていくのだ。たったの数度死の危機に瀕しただけの二人には、クリスの絶望を正しく計り知ることは出来ない。それでも、途方も無く強い精神を持たねばきっと気が狂ってしまうだろうというのは安易に推測できた。
「そのうちに私は、自分の記憶を封印することを覚えました。あの夢魔の気配を感じ取ったら、自動で封印魔法が発動するように、自分に呪いをかけました。そうすることで、せめて死の直前に、これまでの死を思い出さないで済むように。そして多分、エリックさん、あなたに会いに来る途中に、それが発動したんだと思います」
「そんでもって、水汲み人形に拾われたってわけか」
うーん、と鼻から息を出して、ペルシャはソファに沈み込んだ。
「なんとも途方のない話だなー。俺は現代ではほぼ最強の祓魔師だって自信があるけど、古代魔法だのなんだのってスケールのでかいもん持ちだされちゃ敵わねー。それで結局、クリスがエリックを助けたのはなんで? クリスも蘇生術使えんの? 俺にも教えてよ」
「自分の命と引き換えに蘇らせたい奴がいるのか?」
というエリックの問いに、
「いや、本でも出せば儲かるかなって」
と、ペルシャは不真面目な返答をする。
「ごめんなさい。私は専門家では無いから、魔法陣も聖詠唱も知らないんです。エリックさんの気配が急に薄くなったのを感じて、とにかく必死で……」
「クリスの魔法下手が幸いした感じかなー。『助けたい』とか、そんな感じで魔法使ったんだろきっと」
一人がけソファの上、ひじかけに足を乗せて窮屈そうに無理やり寝転がるペルシャは、「ラウルの使った魔法陣と詠唱、もっとよく見とけばよかったな」と舌打ちしてから、
「じゃあさー、俺達さー、しばらくキャンプ生活しよっか」
と、突然に、突拍子もない提案をした。




