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とある作者の独り言 15) 報道の自由あるいは自由の暴力

 日本の一部の報道機関は、実に自由だ。

 

 日本の一部の報道機関は、とある著名人と結婚した一般人の個人情報を報道し、個人宅に張り込み、外出を含めた個人の生きる権利を妨害し、その結果、新婚夫婦を離婚に追い込み、その離婚を報じて視聴率を稼ぐ。


 視聴者のための報道らしいが。日本の一部の報道機関がいう「視聴者」は、誰なのだろう。


 視聴者となりうる人間の一人である私は、著名人とその関係者が伏せた著名人の結婚相手について、無理やり暴いて知りたいとは思わない。見知らぬ誰かの幸せを願うだけだ。笑顔で幸せな人が一人また一人と増えることで、世界は少しずつ、ほんの少しだが幸せに近づくと思っている。


 それにしても、一体全体、日本の一部の報道がいう「視聴者」とは誰のことだろう。赤の他人の家庭を破壊したい「視聴者」や人の幸せを破壊したい「視聴者」はどこにいるのだろう。


 「人を呪わば穴二つ」と古来より言い伝えられている。日本の一部の報道がいう「視聴者」が生きていく先に「人を呪ってできた穴二つ」があるのではと思うと、恐ろしくもあり哀れでもある。


 個人情報保護法という法律がある。第1条にその理念が書かれている。


 第1条の途中から引用すると、「並びに個人情報の適正かつ効果的な活用が新たな産業の創出並びに活力ある経済社会及び豊かな国民生活の実現に資するものであることその他の個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする」と記載されている。


 誰と誰が結婚したかを報じることは、個人情報の適正かつ効果的な活用が新たな産業の創出並びに活力ある経済社会及び豊かな国民生活の実現に資するのだろうか。


 日本国憲法には、生存権を定めた条文があると、義務教育では教わった。

第二十五条(1)には、「すべて国民は健康で文化的系な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。


 誰かと誰かが結婚し、どのような生活をしているかを報道しようとして、新婚夫婦の生存権を侵害することは、憲法の理念とはどのような関係になるのだろうか。


 残念ながら、法律家でもなく憲法学者でもない一個人には、疑問に思う以上のことはできない。


 日本の一部の報道がいう「視聴者」は誰だろう。少なくとも、私ではない。私はそのような他人の幸せや権利を侵害する側の人間にはなりたくない。だが、一個人ができることなど無きに等しい。

 

 個人にできることはせいぜい、日本の一部の報道の番組を見ないことや、その番組に協賛している企業の商品やサービスを購入しないこと程度しか思いつかない。些細なことだ。一矢を報いるなどとんでもない。何の抗議にもならないだろう。


 私は自分の基本的人権を侵害されたくはない。同様に、他人の基本的人権も侵害したくない。他人の基本的人権を侵害する誰かに協力したくない。片棒を担ぐなどお断りだ。


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