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斬月記  作者: 祭谷一斗
二章 看病
22/24

相方

 兄弟子の後ろ姿を、山民サンミン は見送る。

 幻。あくまでも、これは幻なのだ。

 話すことも触れることも出来ない。

 今まで、いつもそうだった。

 つまるところ、見送ることしか出来はしない。

 そう決めてさえいれば、思い悩むこともない。


 ゆえに、山民サンミン は幻の中を歩む。

 歩みながら、ただ見た。

 決して追いつくことのない、兄弟子の後ろ姿を。

 己の感傷を抑え込みながら。

 ほどなく、幻は姿を消す。


「やっと、か」

 

 それでいい。

 変えることは出来ないのだから。

 変えられないことで、思い悩むことなどない。

 このまま歩めば、程なく幻も終わるはず。

 わずかな痛みを残しながら、それで終わるはずだ。

 今までは、そうして終わって来たのだから。


 しかし、と 山民サンミン は思う。

 本当に終わるのだろうか。

 幻、すなわち自分の心残りは、本当にこれだけなのか。

 今の自分に引っかかっているもの。 

 あるとするならば、それは。


「……あいつか」


 思わず歩みを止める。

 目の前に現れたのは。


「ふむ。どうやら、夢の中かそういう風らしいな」


 考えてみれば、迷い道のなかで話せたことはない。

 やり取りこそあれど、それはすべて追憶だったはずだ。

 なぜだろう。そう思う間にも、相手は話しかけてくる。


「幽霊でも見る目だな。あいにくと、こちらは健在だが」

「つくづく得体が知れねえ。俺の幻覚に入り込みやがるとはな」

「――まさか」


 師尊シズンは頭を振る。

 ほとんど動きをを見せない表情。

 しかしよく見たなら、感情らしきものが浮かぶこともある。

 どうせ幻の中ならば、だ。

 そんな所まで似なくてもいいと思うのだが。


山民サンミン、君なら分かっているだろう」

「何がだよ」

「この私もまた、この場限りの幻という事に」

「それにしちゃ、そっくりな気がするが」

「写し絵だからな」


 どうしたものだろう。

 言い回しまで、似て思えるのは。


「水面に映れば、似て見えるのも道理だ」

「俺が、鏡か何かだってのか」

「違うのか」


 わずかに。山民サンミン は考える。

 その鏡が、相手を歪めずに映すならば。


「……違わない、気がする」

「君は素直過ぎるからな」

「悪かったな」

「そう悪いものでもない。時と場合によるが」


 分かる風な分からない風な事を言う。

 そんな所もそっくりだ。


「おとなしく、素直になれとでも」

「ふむ。そう受け取っても良い――そう受け取らずとも」

「訳が分かんねえよ」

「要するに、君は決めかねているのだろうな」

「そちらで決めてくれねえのか」

「それは私の役割ではない――君の、そして本物のの役目だ」

「なんだよ、そいつは」

「ふむ。端的に言おう。早く目を覚ませ、と言うことだ」


 そうして、かき消えた。


 木が地面に落ちる音。

 目の前に転がるものは、ほかでもない。

 山民サンミン が持っていた木桶だ。

 拾い直し、顔をしかめる。

 砂利・・がついたからには、よく洗わねばならない。


「……戻った、か」


 振り向き、焚き火の端を見る。

 火は、まだいたばかりだ。


「……まずは、助けに行くか」


 ご令嬢を。

 その言葉は飲み込んだ。

 思わず 山民サンミン は苦笑いする。

 あいつがご令嬢だって?

 そんなたまで収まるもんか。

 あいつにはもっと、相応しい言葉があるはずだ。


 山民サンミン は歩んでいく。

 今度こそは、水汲み場へと。

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