相方
兄弟子の後ろ姿を、山民 は見送る。
幻。あくまでも、これは幻なのだ。
話すことも触れることも出来ない。
今まで、いつもそうだった。
つまるところ、見送ることしか出来はしない。
そう決めてさえいれば、思い悩むこともない。
ゆえに、山民 は幻の中を歩む。
歩みながら、ただ見た。
決して追いつくことのない、兄弟子の後ろ姿を。
己の感傷を抑え込みながら。
ほどなく、幻は姿を消す。
「やっと、か」
それでいい。
変えることは出来ないのだから。
変えられないことで、思い悩むことなどない。
このまま歩めば、程なく幻も終わるはず。
わずかな痛みを残しながら、それで終わるはずだ。
今までは、そうして終わって来たのだから。
しかし、と 山民 は思う。
本当に終わるのだろうか。
幻、すなわち自分の心残りは、本当にこれだけなのか。
今の自分に引っかかっているもの。
あるとするならば、それは。
「……あいつか」
思わず歩みを止める。
目の前に現れたのは。
「ふむ。どうやら、夢の中かそういう風らしいな」
考えてみれば、迷い道のなかで話せたことはない。
やり取りこそあれど、それはすべて追憶だったはずだ。
なぜだろう。そう思う間にも、相手は話しかけてくる。
「幽霊でも見る目だな。あいにくと、こちらは健在だが」
「つくづく得体が知れねえ。俺の幻覚に入り込みやがるとはな」
「――まさか」
師尊は頭を振る。
ほとんど動きをを見せない表情。
しかしよく見たなら、感情らしきものが浮かぶこともある。
どうせ幻の中ならば、だ。
そんな所まで似なくてもいいと思うのだが。
「山民、君なら分かっているだろう」
「何がだよ」
「この私もまた、この場限りの幻という事に」
「それにしちゃ、そっくりな気がするが」
「写し絵だからな」
どうしたものだろう。
言い回しまで、似て思えるのは。
「水面に映れば、似て見えるのも道理だ」
「俺が、鏡か何かだってのか」
「違うのか」
わずかに。山民 は考える。
その鏡が、相手を歪めずに映すならば。
「……違わない、気がする」
「君は素直過ぎるからな」
「悪かったな」
「そう悪いものでもない。時と場合によるが」
分かる風な分からない風な事を言う。
そんな所もそっくりだ。
「おとなしく、素直になれとでも」
「ふむ。そう受け取っても良い――そう受け取らずとも」
「訳が分かんねえよ」
「要するに、君は決めかねているのだろうな」
「そちらで決めてくれねえのか」
「それは私の役割ではない――君の、そして本物の私の役目だ」
「なんだよ、そいつは」
「ふむ。端的に言おう。早く目を覚ませ、と言うことだ」
そうして、かき消えた。
木が地面に落ちる音。
目の前に転がるものは、ほかでもない。
山民 が持っていた木桶だ。
拾い直し、顔をしかめる。
砂利がついたからには、よく洗わねばならない。
「……戻った、か」
振り向き、焚き火の端を見る。
火は、まだ点いたばかりだ。
「……まずは、助けに行くか」
ご令嬢を。
その言葉は飲み込んだ。
思わず 山民 は苦笑いする。
あいつがご令嬢だって?
そんな魂で収まるもんか。
あいつにはもっと、相応しい言葉があるはずだ。
山民 は歩んでいく。
今度こそは、水汲み場へと。




