兄弟子
山民 ももはや、そう若い訳ではない。
むろん、正確な歳は分からない。
孤児同然の身の上だ、戸籍が残っているか怪しいものだ。
それでもせいぜい、20を数える程のはずだった。
寿命の半分とまでは言わない。
しかし、それに近い年月を生きてはきた。
そんななか、心を惹くものは決して多くない。
頓着しない質だったせいもあるだろう。
去られる事もあれば、立ち去る事もある。
そんな時のために自然、身構えていたのかも知れない。
母と恩師。
しかと覚えているのは、この二度だけだ。
その二度があれば、もう十分ではあった。
頓着しない質ではあった。
連れられ旅した場所は多くとも、過ごした場所は少ない。
ゆえに、常なる思い出も多くはない。
思い出すことと言えば必然、武林 の事になる。
「……兄さんか」
歩みながら、次の幻が見えてくる。
かつての兄弟子の姿が、そこにはあった。
いつだっただろう、兄弟子の一人が来たのは。
恩師の葬儀から、まだ二年と経っていない頃のはずだ。
野で過ごす自分を訪ね、その兄弟子は言った。
誰も忘れてはいない。戻る気はないのか。
待っている者を、このまま待たせ続けるつもりなのか。
正直に言おう、最後の愛弟子を朽ちるに任せるのは惜しい。
お前の持つ技術を、後代へ伝える義務もあるはずだ。
まだ決して遅くはない、こちらに戻って来い。
おおむね、そんな風なことを。
「ありがてえ。ありがてえけど、な……」
その言葉に、驚くほど心は動かなかった。
ただ黙って、首を振った事を覚えている。
その思い出通りに、幻の自分もまた首を振る。
技術だけなら、何か教えられるかも知れねえ。
けどな、心の方はどうだ?
誰かと会っても、いずれ別れが来るもんだ。
俺はいま、そいつを良くない意味で察してしまってる。
そんな俺が教えたところで、身が入る訳がねえや。
どこをどう考えても、相手の益にはならねえよ。
長い目で見れば、そう 山民 は言う。
武術に思い入れのある、そっちが教えた方が物になるはずだ。
伝えたのは、飾りのない本心だった。
本心であると伝わるよう、淡々と述べたつもりだ。
今でもこう思ってはいる。
最後には、心の強い者が勝るのだと。
そうか。
その一言のみを残し、兄弟子は去っていった。
己を見つけるまで、苦労しただろうに。
兄弟子の後姿に、山民 は耐えていた。
ほんの少しだけとはいえ、心が動かされたからだ。
いま声をかければ、さらに動かされないとも限らない。
心揺れるのは罪ではない。
けれども、相手に未練を募らせるのは罪だ。
中途半端な事など、決してしたくはなかった。
それがともに修行へ励んだ兄弟子であれば、なおの事だ。
「ひと言、か……」
今にして思えば、と 山民 は思う。
愚直をやるには、まだ若過ぎたのかも知れない。
信じること。信じるにも、強さがいる。
腕とはまた、別な形の強さが。
すまねえ。
そうとだけ、あのときの山民 は言っていた。
兄弟子に聞こえたかどうか、確かなことは分からない。
それでも半歩だけ、歩みが緩んだように見えた。
その半歩の事は、今でもよく覚えている。




