表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
斬月記  作者: 祭谷一斗
二章 看病
20/24

恩師

 それでも、山民サンミン に歩みを止める気はない。

 歩まなければ、終わる事はない。

 その事だけは分かっていた。

 土も砂利も、石も風もない。

 そんな道を、ただひたすらに歩まなければ。


 手応えのないまま、一歩ずつ進む。

 置いて行かれた、幼い頃の自分。

 何も知らない、その姿とすれ違う。

 触れることなく、後ろに消えていく。


 では次は。

 決まっている、あの時のことだ。


恩師じいさん、か」


 それまでどう生きてきたか、よく覚えてはいない。

 ともあれ、生きてはいたはずだ。

 町の片隅、空風を抱えながら辺りを伺う位には。


 一度、拾われたことを覚えている。

 孤児院だったか。

 その内の一人から誘われたのは。

 程なく、仲間に溶け込んだ。

 その境遇は、悪くはなかったように思う。


 子どもたちには、秘密の遊びがあった。

 持てる者から、金品を奪う。

 ただし、自分たちで使うことはない。

 世のため人のため。

 それを口実に、孤児院の窓に投げ込む。

 義賊気取りの子供の、つまらない遊びだ。


 ある日の、山民サンミン の番のこと。

 温和な年寄だった。

 質素だが、よく手入れされた着物。

 懐の財布は、相応以上のはずだ。

 財布のひとつふたつ落とした所で、困る身とは見えない。

 ならば、今から落としてもらう。


 周囲の供らしき者たちは、見る限り節穴と思えた。

 隙きを突くのは訳もない。

 すぐにも落としてもらう。

 思い違いに気づくのはすぐ後だ。

 老人に右手を捕まれ、その手を高く持ち上げられる。

 供らしき者たちが、遅れて 山民サンミン を取り囲む。


 騒がしい中、どんな顔をしていただろう。

 気に入った、と老人は言う。

 成功は二の次だ。

 力をおよそ見抜いて、狙ってきた。

 ワシの下に修行に来ないか。

 周囲の目もある中で、そう言ってみせた。


 お供の者たちはどうだったか。

 気配では難色を示しつつ、表立って反対はしなかった。

 かつて、自分はこう思っていた。

 子供に出し抜かれた、居心地の悪さゆえと。

 それゆえに、反対はしなかったのだと。


「……あれこそ子供の浅知恵だった、て訳だ」


 老師範は、そう長くなかったのだろう。

 そしてその事は、周知のものだった。

 むろん、物好きの所業ではある。

 それでも、日々に張り合いが生まれるなら。

 そんな思惑も、恐らくあったはずだ。


 その前後のことは、今もよく分からない。

 入門してからも、深くは訊ねなかったから。


 確かなことは幾つかある。

 恩師の晩年を共に過ごしたこと。

 武術と心を教わったこと。

 葬儀が終わり、居場所を失ったことだ。


 拒まれた訳ではない。

 むしろ引き止められた。

 ただ、ここに居続けるのは違う。

 ごく自然に、そう感じたまでだ。


 なるほど、腕はある。

 頭も人並み以上ではあるらしい。

 けれども、と 山民サンミン は思う。

 恩師の域には遠く及ばない。

 腕ではなく、心の器が。

 足りないと感じたまま、教えることは出来なかった。

 流派は決して己一人のものでもない。

 そのことを救いに、消息を絶った。


 あるいは、と山民サンミン は思い返す。

 あるいは、その時から探していたのかも知れない。

 自らの居場所を。

 仕えるべき、あるじ の姿を。


恩師じいさん、か」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ