迷い道
頭を振り、山民 は思い直す。
「……いけねえ、順序が逆だ」
考えるより先、やるべき事があった。
感情を押しのけ、まずは行動すると決める。
山民 は庭に出、いったん水桶を置いた。
水汲みの前にも、やるべき事は残っているのだから。
庭にある枯れ枝と枯れ葉を集め、一箇所に寄せる。
円心に調達しておいた薪を並べ、脇には枝葉を並べた。
そして火をおこし、端の葉に火をつける。
戻る頃には、いい火具合になっているはずだ。
ふたたび水桶を手に取り、川辺の水汲み場へと進む。
「もうじき夜か。あと何回か往復するかな」
歩みながら、山民 は考える。
水を汲んだら、先に湯を沸かすか。
熱で出た汗を拭うには、ぬるま湯のある方がいい。
汗を拭えば、少しは気分が和らぐはずだ。
……いや、もう夕方だ。まずは食事が先か。
心配せずとも、米はまだ十分ある。
でもまた粥にするのも芸がない。
粟を少し散らし、塩を振るのはどうだろう。
考えながら歩む内、不意に気付く。
確かに進んではいるが、その進みがやけに遅い。
と言って、地面が悪い訳でもない。
ここ数日、雨は降ってさえいないのだ。
この食い違いを、果たしてどう言い表したものだろう。
あえて言うならば、二足と大地が遊離する感覚。
「……迷い道、か」
心当たりはあった。
決して初めてという事はない。
少なくとも、山民 にとっては。
つかの間、山民 は思い出していた。
両親の死んだ日。
武林 に入門した日。
そして師の亡くなった日。
折にふれて、夢とも 現 ともつかぬ道に迷い込んでいた事を。
ともあれ抜けられなくはない、不意に迷い込む道。
ゆえに、迷い道。
そう 山民 は称している。
迷い道に入り込むのは、師尊と会ってからは初めてだ。
未熟者の自分でも、あまり迷うことがなかったせいだろうか。
未熟さゆえの迷い。
そんな迷いの生み出す幻覚。
その様に、山民 は解釈している。
なにかしらの予感。
なにかしらの予兆。
そんな負荷がもたらす、心の幻覚なのだと。
予感を打ち消すように、山民 は歩む。
抜け出すには、歩み続けるしかない。
忘れているだけだ。
そう思い込むことで、打ち消そうとする。
こんなこと、たびたびあったに決まっている。
ただ何か本当に起こった時以外、あらかた忘れているだけだ。
念のため、靴底を踏みしめて確かめる。
牛皮の靴の下、あるべきはずの感触はない。
と言って歩けぬ訳でもない。
踏みしめることも歩むことも出来る。
そこに土や砂利の感触がないだけで。
無感覚のままの徒歩行路。
これはもう、迷い道に違いなかった。
諦めて、山民 は歩みを進める。
こうなってしまっては、ゆるり歩むしかない。
そうする他に、方法を知らないのだから。
「しゃあねえか」
いっそ武器を持ち込めていれば、話が早いのかも知れない。
そう思い、両手を確かめる。
斬月刀は無論、手にしていたはずの水桶も消えている。
「へっ、またしても素手って訳だ」
焦りはない。
覚めれば時間が経たぬ事は分かっている。
後はだから、戻れるかどうかだけだ。
焦りはない。
戻りさえすれば、師尊を待たせる事はないはずだ。




