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斬月記  作者: 祭谷一斗
二章 看病
16/24

流行り病

 相変わらず熱は続いていた。

 続くならまだいい。

 むしろ上がる気配さえあった。


 夕刻、廃寺の寝床。

 敷布をかけられ、師尊シズンは横たわっていた。

 決して穏やかな様子ではない。

 その吐息は、掃除しきれなかった ほこり を舞わせている。


 見るからに、その呼吸は荒い。

 時折、胸が激しく上下してもいる。

 不幸中の幸いとして、苦痛は肺からではない。

 純粋に、高熱にあえいでいると察せた。


 山民サンミンたずねたのは、そんな折だった。

 考え得る限り、看病はしている。

 そして、その上で。

 自分には他に、何が出来るだろう。

 そんな風なことをたずねたのは。


「今の俺に、何ができる?」

「――なら、祈ってくれ、山民サンミン


 そう師尊シズンは言う。

 祈りとは遠く思える、そんな者が。


「祈ってくれ。そして、祈るだけにしてくれ。くれぐれも願掛けなど、決して、決してしないように」

「……分かった。まずは、落ち着いてくれ」


 一瞬だけ笑顔を交わす。

 交わせた事実に、少しだけ安堵する。

 否応なく、山民サンミン は察していた。

 その祈りとは、師尊シズン自身の為のものではない。

 他ならぬ山民サンミンへの祈りなのだと。

 ゆめゆめ、何か早まることがないように。

 ただそれだけの為に、許可される祈りなのだと。


 額に添えた濡れ手ぬぐいに、そっと 山民サンミン は触る。

 手ぬぐいはほとんど乾きかけていた。

 交換すべく手に取り、水桶の側に向かう。


 そこでようやく、山民サンミン は気づく。

 あれほど溜めておいた桶の水が、もはやほぼ無いことに。

 手ぬぐいに桶の隅の水を吸わせ、軽く絞る。

 わずかに湿る手ぬぐいから、ほとんど水はこぼれない。


「……済まねえ。水を汲んでくる」


 濡れ手ぬぐいを師尊シズンの額に置き、告げる。

 あるか無いかの、それでも確かな うなづ き。

 うなづ きを返し、水桶を手に取った。

 二、三滴の水がこぼれ、床板に響く。

 足早に、山民サンミン は廃寺を出る。


   ・


 十中八九、疱瘡ほうそう だった。

 一度かかれば、二度かかる事はない。

 山民サンミン にしても、幼少の頃かかった覚えはある。

 自分に感染うつる恐れはない、それだけは幸いだった。


 何があろうと、山民サンミン が追い払われることはない。

 少なくとも、病を理由には。

 感染うつる恐れこそない。

 しかし、と 山民サンミン は思う。

 無事で済むかどうかは、まだ分かってはいない。


「……情けねえ」


 この病に、薬は効かない。

 無論、祈りもだ。

 ただただ、かかった当人の体力勝負である。


 廃寺への滞在。

 それを言い出したのは師尊シズンだった。

 流行り病のきっかけとなれば、多かれ少なかれ禍根となる。

 そう知っている以上、近郊に助けを求める事はできない。

 ゆえに、自ら隔離することにするのだと。

 結局、止める事はできなかった。

 いまの自分に出来ることは、ただ闘病を手伝うだけだ。


「隔離、か……」


 禍根を残さないための隔離。

 確かに、そうかも知れない。


「隔離、ね……」


 確かに、そうかも知れない。

 理屈の上では、確かに。

 川辺へと歩みながら、つぶやく。


「自分の心配より先に、か……」


 見も知らぬ他人を案じ、あらかじめ策を講じること。

 山民サンミン にとってそれは、ひどく大きいことに思われた。

 ずいぶんと、大き過ぎる器のように。


 自分が同じ状況だったとして。

 果たして、同様に動けただろうか。

 高熱にあえぎながら、なおも。

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