流行り病
相変わらず熱は続いていた。
続くならまだいい。
むしろ上がる気配さえあった。
夕刻、廃寺の寝床。
敷布をかけられ、師尊は横たわっていた。
決して穏やかな様子ではない。
その吐息は、掃除しきれなかった 埃 を舞わせている。
見るからに、その呼吸は荒い。
時折、胸が激しく上下してもいる。
不幸中の幸いとして、苦痛は肺からではない。
純粋に、高熱に喘いでいると察せた。
山民 が訊ねたのは、そんな折だった。
考え得る限り、看病はしている。
そして、その上で。
自分には他に、何が出来るだろう。
そんな風なことを訊ねたのは。
「今の俺に、何ができる?」
「――なら、祈ってくれ、山民」
そう師尊は言う。
祈りとは遠く思える、そんな者が。
「祈ってくれ。そして、祈るだけにしてくれ。くれぐれも願掛けなど、決して、決してしないように」
「……分かった。まずは、落ち着いてくれ」
一瞬だけ笑顔を交わす。
交わせた事実に、少しだけ安堵する。
否応なく、山民 は察していた。
その祈りとは、師尊自身の為のものではない。
他ならぬ山民への祈りなのだと。
ゆめゆめ、何か早まることがないように。
ただそれだけの為に、許可される祈りなのだと。
額に添えた濡れ手ぬぐいに、そっと 山民 は触る。
手ぬぐいはほとんど乾きかけていた。
交換すべく手に取り、水桶の側に向かう。
そこでようやく、山民 は気づく。
あれほど溜めておいた桶の水が、もはやほぼ無いことに。
手ぬぐいに桶の隅の水を吸わせ、軽く絞る。
わずかに湿る手ぬぐいから、ほとんど水はこぼれない。
「……済まねえ。水を汲んでくる」
濡れ手ぬぐいを師尊の額に置き、告げる。
あるか無いかの、それでも確かな 頷 き。
頷 きを返し、水桶を手に取った。
二、三滴の水がこぼれ、床板に響く。
足早に、山民 は廃寺を出る。
・
十中八九、疱瘡 だった。
一度かかれば、二度かかる事はない。
山民 にしても、幼少の頃かかった覚えはある。
自分に感染る恐れはない、それだけは幸いだった。
何があろうと、山民 が追い払われることはない。
少なくとも、病を理由には。
感染る恐れこそない。
しかし、と 山民 は思う。
無事で済むかどうかは、まだ分かってはいない。
「……情けねえ」
この病に、薬は効かない。
無論、祈りもだ。
ただただ、かかった当人の体力勝負である。
廃寺への滞在。
それを言い出したのは師尊だった。
流行り病のきっかけとなれば、多かれ少なかれ禍根となる。
そう知っている以上、近郊に助けを求める事はできない。
ゆえに、自ら隔離することにするのだと。
結局、止める事はできなかった。
いまの自分に出来ることは、ただ闘病を手伝うだけだ。
「隔離、か……」
禍根を残さないための隔離。
確かに、そうかも知れない。
「隔離、ね……」
確かに、そうかも知れない。
理屈の上では、確かに。
川辺へと歩みながら、つぶやく。
「自分の心配より先に、か……」
見も知らぬ他人を案じ、あらかじめ策を講じること。
山民 にとってそれは、ひどく大きいことに思われた。
ずいぶんと、大き過ぎる器のように。
自分が同じ状況だったとして。
果たして、同様に動けただろうか。
高熱に喘ぎながら、なおも。




