事情
声が届く場所まで接近を許した。
決して油断ではない、相手が巧みなだけだ。
ごく自然な接近、ゆえに気づかなかった。
幸いと言うべきか、気配は武人のそれではない。
それでも、不覚をとったことに変わりはない。
「……どこのどいつだ、とまでは言わねえ」
山民 はやっと、そうとだけ言った。
事実として、近づかれたのは揺るがない。
事実は事実。その上での、精いっぱいの強がりだ。
「ふむ。村の長か、あるいはそれに近い者だろうな。それにしては、ずいぶん若くも見えるが」
ごく普通の衣服を身にまとい、ごく普通と見える娘。
だが風采は問題ではない。
その事は、周囲の者たちが教えてくれる。
凍りつく様子の黒づくめたち。
しまったと言う風な老人。
こうまで材料があれば、およその推測はつく。
「明寧 と申します。村の人達がご迷惑をおかけました。普段は決して悪い人たちではないんですよ」
「知ってるぜ。善人ならそう呼ばねえ事もな」
「ふふ、そうかも知れませんね」
その笑みに裏はない。
敵意も悪意も、何も。
それでいて、張りついた笑顔でもない。
表に出るは素朴な裏の無さ。
表に出ているのは、だ。
その事がかえって、並々ならぬものを感じさせる。
「ちなみにですが、 凶崖 さんに危害を加える気はありますか?」
「ねえよ。挑まれたから相手をしてやった、それだけだ。いたぶる趣味もねえ」
「良かったです」
言って懐から取り出し、落としてみせる。
筒状の竹。口からは黒い粉がこぼれている。
「もう少しで、呼ばねばならなくなる所でした」
何も言ってはいない。
しかしこの上なく明解だった。
「ふむ、火薬か何かか。その小ささの煙筒、職人はなかなかいい腕だ」
「ええ。むかいのお婆さんは、もう何十年と作っているんですよ。気むずかしくて、なかなか弟子がいないんですけどね。どうです、あなたは弟子になってみては?」
「――せっかくのお誘いだが、先客がいるんだ」
煙筒が一本だけとは考えにくい。
火花と音を上げる装置。
この場で、それが炸裂すればどうか。
遠からず、村からの加勢が来ることだろう。
その手勢は果たして何人か。
何十人、事によれば何百人。
無論、駆け引きかも知れない。
しかし、そうでないかも知れないのだ。
「残念です。では、どうしますか。このまま、お互い引いて頂けましたら嬉しいのですが」
「……最初から、そう言っているつもりなんだがな」
「ええ。ですが、この場でそれを決めておきたいと思いまして」
ふたたび、山民 は考える。
出口が見えた道を、わざわざ迂回する趣味はない。
「……いいさ。だが、言ってもらおうじゃねえか。魚に宝石を埋めるなんざ、趣味の悪い真似してる理由を」
「ええ。それ位でしたら構いませんよ。短い話と長い話、どちらにしますか?」
横目で焚き火を見る。
魚は程よい色に染まっている。
あまり話し込むようだと焦げが勝るだろう。
「魚をしまいながらで良いなら、どっちでもいいぜ」
「わかりました。では、ちょうど良い長さに調整しますね」




