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斬月記  作者: 祭谷一斗
一章 川辺にて
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事情

 声が届く場所まで接近を許した。

 決して油断ではない、相手が巧みなだけだ。

 ごく自然な接近、ゆえに気づかなかった。


 幸いと言うべきか、気配は武人のそれではない。

 それでも、不覚をとったことに変わりはない。


「……どこのどいつだ、とまでは言わねえ」


 山民サンミン はやっと、そうとだけ言った。

 事実として、近づかれたのは揺るがない。

 事実は事実。その上での、精いっぱいの強がりだ。


「ふむ。村のおさか、あるいはそれに近い者だろうな。それにしては、ずいぶん若くも見えるが」


 ごく普通の衣服を身にまとい、ごく普通と見える娘。

 だが風采は問題ではない。

 その事は、周囲の者たちが教えてくれる。


 凍りつく様子の黒づくめたち。

 しまったと言う風な老人。

 こうまで材料があれば、およその推測はつく。


明寧ミンネイ と申します。村の人達がご迷惑をおかけました。普段は決して悪い人たちではないんですよ」

「知ってるぜ。善人ならそう呼ばねえ事もな」

「ふふ、そうかも知れませんね」


 その笑みに裏はない。

 敵意も悪意も、何も。

 それでいて、張りついた笑顔でもない。


 表に出るは素朴な裏の無さ。

 表に出ているのは、だ。

 その事がかえって、並々ならぬものを感じさせる。


「ちなみにですが、 凶崖キョウガイ さんに危害を加える気はありますか?」

「ねえよ。挑まれたから相手をしてやった、それだけだ。いたぶる趣味もねえ」

「良かったです」


 言って懐から取り出し、落としてみせる。

 筒状の竹。口からは黒い粉がこぼれている。


「もう少しで、呼ばねばならなくなる所でした」


 何も言ってはいない。

 しかしこの上なく明解だった。


「ふむ、火薬か何かか。その小ささの煙筒、職人はなかなかいい腕だ」

「ええ。むかいのお婆さんは、もう何十年と作っているんですよ。気むずかしくて、なかなか弟子がいないんですけどね。どうです、あなたは弟子になってみては?」

「――せっかくのお誘いだが、先客がいるんだ」


 煙筒が一本だけとは考えにくい。

 火花と音を上げる装置。

 この場で、それが炸裂すればどうか。

 遠からず、村からの加勢が来ることだろう。


 その手勢は果たして何人か。

 何十人、事によれば何百人。

 無論、駆け引きかも知れない。

 しかし、そうでないかも知れないのだ。


「残念です。では、どうしますか。このまま、お互い引いて頂けましたら嬉しいのですが」

「……最初から、そう言っているつもりなんだがな」

「ええ。ですが、この場でそれを決めておきたいと思いまして」


 ふたたび、山民サンミン は考える。

 出口が見えた道を、わざわざ迂回する趣味はない。


「……いいさ。だが、言ってもらおうじゃねえか。魚に宝石を埋めるなんざ、趣味の悪い真似してる理由を」

「ええ。それ位でしたら構いませんよ。短い話と長い話、どちらにしますか?」


 横目で焚き火を見る。

 魚は程よい色に染まっている。

 あまり話し込むようだと焦げが勝るだろう。


「魚をしまいながらで良いなら、どっちでもいいぜ」

「わかりました。では、ちょうど良い長さに調整しますね」

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