決着
「――悪いことは言わない。ご老人、その手袋は手放すことだ」
師尊が浮かべるは駆け引きの表情ではない。
心持ち目を細め、眉をしかめている。
ひどく分かりにくいが、本当に思いやる素振りだ。
「あるいは、その衣服も。灰色は地位の誇示だけではなく、一種の迷彩も入っている――色以外の、材質の違いを疑われぬように」
おそらくは当たっているのだろう。
この場において、沈黙が何よりも雄弁だった。
今まさに刃を握られている、山民にも伝わるほどに。
「ひとつ言っておくかのう、嬢ちゃん」
「ふむ、聞こう」
「山民と名乗る、この者は強い。この者を相手に、じゃ」
老人は突き放す。
「今さら、装備を手放す方が危ういわっ!」
一喝。
やがて互いに身を離す。
山民はふたたび、かばえる位置に身を置く。
「……師尊」
「何だ」
「あの呪いの武器だか防具だか、ぶち壊したら巻き添えは来るか」
「度重なるならいざ知らず、一度きりなら限りなく低い」
「運ってことか」
「運といえば運だが、考える必要はあまりないはずだ」
山民は考える。
いまの自分は、危害から守らねばならない身なのだ。
その危害には当然、将来のそれも含まれる。
「――無理はするな」
「まあ見てろ。あちらさん、どうもご執心らしい。俺だけじゃねえ、師尊、並々ならぬ知識を持つあんたにもな」
わずかに目を開け、頬をしぼませる。
意表を突かれたとの表情だ。
鋭いようで、やはりどこか抜けている。
「ふむ。しゃべり過ぎたか」
「その通り。今度から気をつけてくれよ」
「努力はしよう」
当てにならないにも程がある。
思いつつも、笑わずにはいられない。
刀を構えながら、言う。
「そいつは頼もしいぜっ!」
全力で三歩。
そして半歩。
同じ様に宙を、刀で薙ぐ。
「はあっ!」
「ぐっ!?」
老人が掴もうとした刃先は、しかし空を切る。
円型の刃は、代わりに別の手応えを生んだ。
胸元。
真正面。
肋骨に突き当たる手応え。
遅れて老人は吹き飛ばされる。
「――ふむ。半歩ずらしたか」
「見えてやがったか。こっちの方が油断ならねえな」
これは本心だった。
何も知らない状態で、この技を見切れる者は稀だ。
「そうでもない、加減の方は分からなかった。ご老人を手当する羽目になるかと思ったぞ」
「手勢は多いが、殺気までは見えなかったからな。素人と言っていい相手なら、ちょっとした技でも効くと踏んだ」
「それが、今の半歩か」
同じ動き、同じ速さで半歩だけ進める。
四歩と見えても、三歩半しか進んでいない。
必然、相手の距離感は歪む。
いわゆる半歩行である。
武林 では基礎に近い技だ。
「ぐっううう」
手加減はした。
身動技が取れなくなる程度には。
うめきが漏れる辺り、老人の体力も並ではない。
「いつ、いつ気付い、た?」
「気付いたも何もねえよ」
隠す必要はもはや、ない。
「多人数が来たから念の為に備えたまでだ。別口で何百人いちゃ堪らねえからな」
だが後ろの黒づくめたちに動きはない。
大規模な別働隊、その可能性は消えた。
「おい、じいさん。火遊びも悪くはねえさ。向こう岸のあいつらを従わせてるくらいだ。村とやらへの功績はあるんだろう、だがな……この先、どいつも愛嬌があるとは限らねえ。腕が立ち気が短い奴なんざ、江湖に山といるからな」
「くっ」
老人は崩れ落ちる。
しばらくは動けまい。
「おっと、対岸の奴らは動くなよ」
機先を制し、告げる。
「もう少しで魚が焼ける、その後しばらくすれば、じいさんは動き出すはずだ。黙って、こちらの食事をみてな」
「――この期に及んで、まだ食う気か」
「身体を動かしたら、腹が減るからな。これだけ動いたからには、いつもより塩も振っていいだろ」
焚き火を見る。
ある魚は背びれが焦げ、また別の魚は尾びれまで焦げている。
もう百を数えれば、すべて食べ頃になるだろう。
「そう 凶崖 さんを責めないでくれませんか、おふた方」




