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斬月記  作者: 祭谷一斗
一章 川辺にて
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決着

「――悪いことは言わない。ご老人、その手袋は手放すことだ」


 師尊シズンが浮かべるは駆け引きの表情ではない。

 心持ち目を細め、眉をしかめている。

 ひどく分かりにくいが、本当に思いやる素振りだ。


「あるいは、その衣服も。灰色は地位の誇示だけではなく、一種の迷彩も入っている――色以外の、材質の違いを疑われぬように」


 おそらくは当たっているのだろう。

 この場において、沈黙が何よりも雄弁だった。

 今まさに刃を握られている、山民サンミンにも伝わるほどに。


「ひとつ言っておくかのう、嬢ちゃん」

「ふむ、聞こう」

山民サンミンと名乗る、この者は強い。この者を相手に、じゃ」


 老人は突き放す。


「今さら、装備・・を手放す方が危ういわっ!」


 一喝。

 やがて互いに身を離す。

 山民サンミンはふたたび、かばえる位置に身を置く。


「……師尊シズン

「何だ」

「あの呪いの武器だか防具だか、ぶち壊したら巻き添えは来るか」

「度重なるならいざ知らず、一度きりなら限りなく低い」

「運ってことか」

「運といえば運だが、考える必要はあまりないはずだ」


 山民サンミンは考える。

 いまの自分は、危害から守らねばならない身なのだ。

 その危害には当然、将来の(・・・)それも含まれる。


「――無理はするな」

「まあ見てろ。あちらさん、どうもご執心らしい。俺だけじゃねえ、師尊シズン、並々ならぬ知識を持つあんたにもな」


 わずかに目を開け、頬をしぼませる。

 意表を突かれたとの表情だ。

 鋭いようで、やはりどこか抜けている。


「ふむ。しゃべり過ぎたか」

「その通り。今度から気をつけてくれよ」

「努力はしよう」


 当てにならないにも程がある。

 思いつつも、笑わずにはいられない。

 刀を構えながら、言う。


「そいつは頼もしいぜっ!」


 全力で三歩。

 そして半歩。

 同じ様に宙を、刀で薙ぐ。


「はあっ!」

「ぐっ!?」


 老人が掴もうとした刃先は、しかし空を切る。

 円型の刃は、代わりに別の手応えを生んだ。

 胸元。

 真正面。

 肋骨に突き当たる手応え。

 遅れて老人は吹き飛ばされる。


「――ふむ。半歩ずらしたか」

「見えてやがったか。こっちの方が油断ならねえな」


 これは本心だった。

 何も知らない状態で、この技を見切れる者は稀だ。


「そうでもない、加減の方は分からなかった。ご老人を手当する羽目になるかと思ったぞ」

「手勢は多いが、殺気までは見えなかったからな。素人と言っていい相手なら、ちょっとした技でも効くと踏んだ」

「それが、今の半歩か」


 同じ動き、同じ速さで半歩だけ進める。

 四歩と見えても、三歩半しか進んでいない。

 必然、相手の距離感は歪む。

 いわゆる半歩行はんぽこうである。

  武林しゅぎょうば では基礎に近い技だ。


「ぐっううう」


 手加減はした。

 身動技が取れなくなる程度には。

 うめきが漏れる辺り、老人の体力も並ではない。


「いつ、いつ気付い、た?」

「気付いたも何もねえよ」


 隠す必要はもはや、ない。


「多人数が来たから念の為に備えたまでだ。別口で何百人いちゃたまらねえからな」


 だが後ろの黒づくめたちに動きはない。

 大規模な別働隊、その可能性は消えた。


「おい、じいさん。火遊びも悪くはねえさ。向こう岸のあいつらを従わせてるくらいだ。村とやらへの功績はあるんだろう、だがな……この先、どいつも愛嬌があるとは限らねえ。腕が立ち気が短い奴なんざ、江湖てんかに山といるからな」

「くっ」


 老人は崩れ落ちる。

 しばらくは動けまい。


「おっと、対岸の奴らは動くなよ」


 機先を制し、告げる。


「もう少しで魚が焼ける、その後しばらくすれば、じいさんは動き出すはずだ。黙って、こちらの食事をみてな」

「――この期に及んで、まだ食う気か」

「身体を動かしたら、腹が減るからな。これだけ動いたからには、いつもより塩も振っていいだろ」


 焚き火を見る。

 ある魚は背びれが焦げ、また別の魚は尾びれまで焦げている。

 もう百を数えれば、すべて食べ頃になるだろう。


「そう 凶崖キョウガイ さんを責めないでくれませんか、おふた方」

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